artscapeレビュー
2014年07月01日号のレビュー/プレビュー
菅かおる「アクロス・ザ・ユニバース」
会期:2014/05/20~2014/06/01
Gallery PARC[京都府]
ギャラリーとしては比較的広大な空間には、16曲の屏風仕立ての作品がインスタレーション的に配置されていた。作品は表と裏にあるので計32枚の絵画から成る大作である。片面は夜もしくは闇のなかで展開されるミクロな生命の営みを描いているようであり、森林の情景にも見える。もう片面は透明感のある薄い赤と緑などを基調とした抽象的な画面やモノトーンの石庭を思わせる世界で、光に満ちた清澄な空間が描き出されていた。本作は、その規模と構成力において彼女の過去最大・最高の作品である。一作家のブレークスルーの瞬間を見られたことをうれしく思う。
2014/05/22(木)(小吹隆文)
太田遼 武政朋子 箕輪亜希子「From the nothing, with love. ─虚無より愛をこめて─」
会期:2014/05/21~2014/06/01
シャトー小金井[東京都]
「絵画」や「彫刻」、「建築」を根本的に疑うこと。それぞれのジャンルに内在する文法や文脈を無邪気に踏襲して「新しさ」を吹聴するのではなく、それらを内側から徹底的に再検証すること。昨今あまり見かけなくなった仕事に熱心に取り組んでいるのが、太田遼と武政朋子、そして箕輪亜希子の3人である。
会場に入ると、白い通路が一直線に伸びている。一方の壁にはいくつかのドアが設えられているが、大半はこの会場にはなかったものだ。作品のありかを探しあぐねていると、長い通路を回りこんだところで合点がいった。通路に見えたのは仮設の壁面で、裏側には木材が剥き出しのまま、いくつかの絵画作品が展示されていた。ドアもフェイクだから、もちろん開かない。通常であれば絵画は白い壁面に展示されるが、この場合はむしろ裏と表が逆転しているわけだ。空間の内側と外側を巧みに反転させる太田遼ならではの快作である。
その剥き出しの壁面に展示されていた武政朋子の作品は、一見すると茫漠とした色面が広がる抽象画のようだが、よく見ると不規則な点線が描かれている。これらはもともと武政が描いた過去の絵画作品の表面を削りとり、点によってトレースしたもの。とりわけ際立つ十字のようなかたちは、キャンバスを裏側で支える木枠の痕跡だという。自らの絵画を分解して再構成すると言えば聞こえはいいが、そのような安易な形容を許さないほど強い身体性を感じさせている。文字どおり「身を削る」ような彫刻的身ぶりによって、武政は絵画を更新しようとしたのかもしれない。
彫刻の箕輪亜希子が発表したのは、写真作品。日常的な風景を切り取ったスナップ写真だが、それらの画面は人の顔の造作に見えなくもない。無機的な風景に人の顔を重ねて見る写真は多いが、箕輪の写真はその重複をわずかにずらしているから、たんに偶然の一致を喜ぶような写真ではない。他の作品で陶器を割り、再びつなぎあわせる行程を何度も繰り返しているように、箕輪の関心は「かたち」を疑い、「かたち」を弄り出すことにあった。人の顔に見えなくもない写真作品は、その「かたち」と「かたち」のはざまを写し出しているのである。
もはや既存のジャンルを無批判に信奉することはできないにしても、その圏外に容易には抜け出し難いこともまた否定できない事実である。それゆえ、美術を学んでしまった者たちの多くは、内側に立ちながら、外側へ突き抜ける造形をつくり出すことを余儀なくされる。その際、考えられるひとつの選択肢として、言語化しえない領域に降りる方法があるが、しかし彼らはそうはしない。意味や言葉が生まれる前の状態に立ち返るのではなく、ジャンルを内破する構えをあくまでも自己言及的に保持するのだ。だから彼らがそれぞれのジャンルで何をしようとしているのか、それらをどのように塗り替えようとしているのか、鑑賞者にはよくわかるのだ。ジャンルは作品のつくり手だけで成り立っているわけではないのだから、深みに降りていくのではなく、受け手とともに外側へ向かおうとする彼らの姿勢は誠実であるし、期待が持てる。
2014/05/23(金)(福住廉)
通崎睦美選 展「通崎好み──コレクションとクリエイション」
会期:2014/05/20~2014/06/29
東大阪市民美術センター[大阪府]
通崎睦美は音楽家である。その事実をあらためて実感させられる展覧会であった。
本展は二会場構成。第一会場には、銘仙きもの、はきもの、半襟などのアンティーク・コレクションと、アーティストたちとの共同作業で誕生した浴衣ブランド・メテユンデ関連の展示、須田剋太と小磯良平による幼少期の通崎の肖像画、谷本天志による新作のきものなど、「通崎好み」のものが賑かに溢れている。全体を見渡すと、文字通り「好み」としか言い表わしようがないものの存在がたしかに感じられる。アンティーク着物のコレクターとして、文筆家としての通崎の旺盛な活動に触れるといつもその多才ぶりに驚かされるが、そこから浮かび上がってくるのは独特の美意識であり、しかも日々の生活のなかで磨かれてきた活き活きとした美意識である。アサヒビール大山崎山荘美術館での展覧会 から10年を経て、その美意識がいっそう明確にいっそうシンプルに見えてきたように思う。
とはいえ、本展での発見は第二会場にあった。ここには、昨年上梓された通崎睦美『木琴デイズ──平岡養一「天衣無縫の音楽人生」』(講談社、2013)にまつわるものが展示されている。同書は昭和期にアメリカと日本で活躍した木琴奏者・平岡養一の人生を綴ったドキュメンタリーである。執筆のために収集された各種資料や、当時の木琴人気を物語る玩具や楽譜などが展示されている。ことのきっかけは通崎と平岡の木琴との出会いにあったという。楽器を、音を、演奏を介して、音楽家同士、通じ合うものがあったのである。会場では、第一会場にあった楽しさや親しさは気配を鎮め、少しばかり近寄りがたい静かな集中力が感じられた。
音楽は目に見えない抽象的なもの。そして音楽の演奏はライブ、まさに生き物で、その場で体験することしかできない。そんな刹那の世界と、時を超えて、色や形、質や量をもって存在するアンティーク着物の世界、本展ではその二つの世界を併せ持つ通崎睦美の世界に触れることができる。[平光睦子]
2014/05/26(月)(SYNK)
ノスタルジー&ファンタジー──現代美術の想像力とその源泉
会期:2014/05/27~2014/09/15
国立国際美術館[大阪府]
ノスタルジー(郷愁)とファンタジー(幻想)をキーワードに、横尾忠則、北辻良央、柄澤齊、棚田康司、淀川テクニック、須藤由希子、山本桂輔、小西紀行、小橋陽介、橋爪彩の仕事を紹介。展示形式は、作家ごとに空間を区切る個展の集合体だった。考えてみれば、本展のキーワードはあらゆる美術家が大なり小なり持つ要素であり、キュレーター次第でいかようにもアレンジできる便利な言葉と言える。展示方法も作家同士の世界が交わることがなく、展覧会全体よりも個々の展示に関心が向いたのは仕方ないだろう。実際、作家たちは力の入った展示を見せてくれた。特に、山本桂輔、小橋陽介(画像)、淀川テクニックはパワー全開で圧倒的された。彼らとは対照的に、あえて点数を絞り、密度の濃い空間をつくり上げた棚田康司も印象に残った。
2014/05/26(月)(小吹隆文)
写真分離派展「日本」
会期:2014/05/23~2014/06/13
京都造形芸術大学 ギャルリ・オーブ[京都府]
写真家の鈴木理策、鷹野隆大、松江泰治と、批評家の清水穣、倉石信乃により、2010年末に結成された「写真分離派」。過去に東京と名古屋で活動を行なった彼らが、3度目の(そして最後の)展覧会を京都で行なった。今回のキーワードは「日本」。1964年の東京オリンピックを機に大きく変貌した東京の街並みをとらえた写真家・春日昌昭をゲストに招くことで、2度目のオリンピック開催を控え今後大きく変貌を遂げることが予想される日本と、デジタルカメラ以後の写真史をパラレルに扱う、読み解き甲斐のある展示空間が創出された。残念だったのは、事前の告知が十分とは言えず、本展の存在が周知されていなかったこと。筆者も偶然にその存在を知り、慌てて出かけた。
2014/05/27(火)(小吹隆文)