artscapeレビュー
藤井達吉の全貌──野に咲く工芸 宙(そら)を見る絵画
2014年07月01日号
会期:2014/06/10~2014/07/27
松濤美術館[東京都]
工芸家・藤井達吉。「といってもほとんどの人がご存じないと思いますが」という言葉がその解説には必ず付くというが、じっさい筆者もその名前を知らなかった。1881(明治14)年生まれの藤井が創作活動を行なったのは明治末年から大正期にかけて。輸出振興を目的とした工芸の時代が終わりつつあるころに、素材や技巧を極めるのではなく、身の回りの生活を豊かにする新しい自由な工芸を創造した人物である。吾楽会、フュウザン会、装飾美術家協会、日本美術家協会、无型などの前衛的なグループに参加。その活動は藤井とも交流のあった富本憲吉、津田楓風、バーナード・リーチ、高村豊周らの活動、そして民藝運動やアーツ・アンド・クラフツ運動の思想とも重なる。作品は文字通り「自由」だ。七宝、刺繍、染織、金工、木工、陶芸、漆工などの工芸全般から、日本画、油彩画、木版画などの絵画まで、手がけた技法は驚くほど多彩。「工芸家」という肩書きは仮のものに過ぎない。展示された作品を見ると、形よりも装飾、図案に関心を抱いていたことがうかがわれる。おそらくそのことが、多様な技法を横断した作品づくりの理由のひとつであろう。装飾には多く自然の植物がモチーフとして用いられている。伝統的な既存の文様が用いられていない点は、富本の「模様から模様をつくらず」という言葉と響き合い、また絵画も含め身の回りのあらゆる工芸を自身で手がけていた点は、ウィリアム・モリスの仕事を想起させる。技術を追求するのではなく、つねにアマチュアリズムを標榜した藤井の活動は、雑誌『主婦之友』に手工芸制作の連載を持ったことに現われている
昭和に入ると藤井は公募展やグループ展などとの関係を絶った。1964(昭和39)年に83歳で亡くなるまで創作活動や後進の指導を継続していたにも関わらず、自ら表舞台から去ってしまった。彼のものづくりには常に支援者があり、作品は彼らの手元で大事に使われていたために、一般の目に触れることもほとんどなくなってしまった。それゆえこれまで美術史や工芸史において評価されることがなかったという。1990年代になり、とくに大正期に藤井を支えていた支援者たちのもとにあった作品の存在が明らかになり、工芸史の展覧会に出品されたり、回顧展が開催され、その活動と作品とが明らかにされてきた。2005年には本展と同じ松濤美術館で、支援者のひとりであった芝川照吉(彼は岸田劉生の支援者でもあった)に焦点をあてた展覧会が開催され、芝川が支援した他の画家・工芸家の作品とともに多数の藤井作品が紹介されている 。2008年には藤井達吉の出身地、愛知県碧南市に「碧南市藤井達吉現代美術館」が開館。今回の展覧会は、近年行なわれてきた藤井達吉研究の集大成といえよう。[新川徳彦]
2014/06/19(木)(SYNK)