artscapeレビュー

中村誠の資生堂──美人を創る

2014年07月01日号

会期:2014/06/03~2014/06/29

資生堂ギャラリー[東京都]

昨年6月に亡くなったグラフィックデザイナー・アートディレクターの中村誠の回顧展。1949年に資生堂に入社した中村は、1950年代から80年代にかけてアートディレクターとして資生堂の、ひいては化粧品広告全体のイメージを牽引する多数のグラフィックを手がけた。展覧会は、中村誠がディレクションしたポスターを中心に、詳細な指示が入った校正紙、ダーマトグラフなどの仕事道具、生前の本人へのインタビュー映像によって、その仕事を振り返る構成。なんといっても横須賀功光が山口小夜子をモデルに撮影したポスターが印象的だ。もとになった写真自体が完成度の高いものであるが、レイアウトや色校正に書き込まれた指示からわかるのは、写真やコピーがひとつのポスターとして完成するまでに及ぼされたディレクターの力である。写真の大胆なトリミングはもちろんのこと、中村は校正紙に色鉛筆で色調を追加し、カッターで削ってハイライトを入れた。校正は幾度も繰り返され、多いときには11校にまで至ったこともあるという。こうした厳しい要求に応える印刷会社の製版・印刷担当者を敬意をもって「プリンティング・ディレクター」と呼んだのは彼が最初だという。
 中村誠は、資生堂広告の女性像をイラストレーションから写真へと転換させたといわれる。表現手法としてはたしかにそのとおりである。中村自身はイラストでは先輩にあたる山名文夫の領域に達することはできないと自覚し、またデザイナーでなければ写真家になりたかったと語っているほど写真表現が好きだったようである。しかし、写真が、コピーが、一枚のポスターとして完成するまでのプロセスをみると、彼がつくりあげた表現はそんな単純なものではなく、印刷技術をも駆使して描き上げた一枚の絵といってよい。また中村誠の功績は変化以上に継承にある。展覧会関連トークで資生堂出身のグラフィックデザイナー・松永真は、中村誠がそのディレクションによって資生堂の「記号」をつくりあげたことを繰り返し強調していた。すなわち、山名文夫らはイラストレーションによって資生堂の企業アイデンティティを確立させた。中村は異なる表現手法によってそのアイデンティティを継承していったのである。人が変わっても、商品が新しくなっても、企業のアイデンティティ、文化は受け継がれていく。資生堂はこのような文化の継承をミーム(文化的遺伝子)ということばで語ってきた。資生堂はそれぞれに個性溢れるデザイナーを多数抱え、またフリーランスになって活躍する者が数多くいるなか、中村は「一業、一社、一生、一広告」をモットーに、企業デザイナーとして資生堂のヴィジュアル・アイデンティティを継承し、それを発展させ続けた人物なのである。[新川徳彦]

2014/06/22(日)(SYNK)

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