artscapeレビュー

大橋可也&ダンサーズ『テンペスト』

2015年12月01日号

会期:2015/11/06~2015/11/08

東京・両国 シアターX(カイ)[東京都]

大谷能生が舞台上で朗読する言葉(表題通りシェイクスピアの戯曲もあり、安倍晋三の発言もあり)たちとダンサーたちの踊りが共振する。言葉は断片的で、だから物語も展開も明確には存在しない。わずかにわかるのは、描かれているのが「嵐」によって文明がゼロ状態になった世界ということ。東日本大震災を反映しているのは間違いない。ダンサーたちは風に飛ばされるように、突然何者かに意識を奪われて自分の意思が行方不明になってしまったかのような動きを繰り返す。見ながらずっと考えていたのは、舞台に社会を映し出そうとする大橋の試みに的確に反応するのは誰だろうということだ。世間の多くは、舞台に現実を見ようとはしない。言い換えれば、世間の人々は現実に向き合っていないのではなく、向き合いすぎていて(それがいかに独りよがりの世界解釈だとしても)、現実に直面することよりも逃避することを望んでいる。自分を社会という鏡に写したくないのだ。では、誰はそれを望んだか。大橋可也&ダンサーズは以前、非正規雇用が深刻な社会問題として話題になったころ、「ロスジェネ」の苦悩に応答するような舞台を意識的につくっていた。いまでも大橋作品の観客にはその層がいるはずだ。ロスジェネの怒りは社会から自分が見放されていることにあった。だから彼らは社会という鏡が自分を映すことを求めた。「ロスジェネ」世代もそこで確認された問題も消えたわけではない。とはいえ、一方で、SEALDsのような社会をつくろうとする動きが出てきている。彼らの台頭によって、社会が自分を映してくれるかどうかよりも、社会自体を変えようとする意識が高まっているなか、さて、舞台は「反映」の役割を担うべきかどうか、いまそれが問われるのではないか。発見か発明か。もちろん二者択一ではないのだが、発明の要素、すなわち「変容」へ向けた想像力のほうを、筆者などは舞台に探してしまう。

2015/11/07(土)(木村覚)

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