artscapeレビュー
さよなら三角、またきて四角
2019年04月01日号
会期:2019/02/16~2019/03/17
ARTZONE[京都府]
ARTZONEは京都造形芸術大学が運営するスペースとして2004年に開館し、2009年以降は、同大学アートプロデュース学科が中心となり、学生が授業の一環としてスペースの運営や企画を担ってきた。残念ながら3月末に閉館となり、約14年間の歴史が幕を閉じる。
クロージング展となる本展では、捨てられたおもちゃを素材に造形物やインスタレーションをつくる藤浩志の作品を1階に展示。観客が自由に参加できるワークスペースも設けられ、カラフルで祝祭的、かつ仮設的な場が出現した。また2階では、過去の企画の資料(フライヤー、企画書、配布物、アンケート集計、ミーティング議事録など)を閲覧できるアーカイブ・スペースが設けられた。かつて他人が所有していたモノや記憶をどう共有し、引き継ぎ、別のかたちに再生させることができるかを、美術作品/資料において問う試みだ。また、壁には、ARTZONEの新旧2つのロゴを、ペンキの層を削って刻印。過去の数々の展覧会を支えてきた「壁」の記憶の断層が、生々しい触覚的なものとして現われる。
長年、同スペースに足を運んできた筆者にとって、忘れがたい展示はいくつもある。特に今年度は、「ゴットを、信じる方法。」展と山田弘幸個展「写真になった男」の2本が、いずれもアートプロデュース学科4回生の企画による実験的な試みとして印象に残る。前者は、エキソニモのメディア・アート作品《ゴットは、存在する。》(2009-)を、約10年間のメディア環境やネット操作の身体感覚の変化を踏まえて、「ゴットを信じる会」という匿名的集団が二次創作的につくり直すという試み。後者は、「写真のなかに入りたい」という言葉を残して失踪した写真家、山田弘幸の近作を、彼の願望を共犯的に成就させるようなかたちで再展示する試みだ。いずれも、没後の回顧展ではなく、「作家は存命であるにもかかわらず、作家不在を前提条件として成立する個展」である点が共通する。そこでは「キュレーター」の存在が前景化するとともに、「作家」の役割にどこまで抵触・介入するか、すなわちキュレーションにおける作家性の代行、権力性や倫理性、共犯関係への問いが浮上していた。美術館では実現が難しい、リスキーかつ実験性の高い企画であり、ARTZONEという場所だからこそ可能だったと言える。
両展の成果を踏まえ、最後に、ARTZONEの担っていた教育的役割と今後の課題について述べたい。学生が主体的に企画を実現するまでに要するサイクルを考えると、「1~2回生時に現場での設営、広報、編集などさまざまな経験値を積む→3回生時に企画を出し、来年度の予算組み→4回生で展覧会を実施」という段階が必要だろう。人材育成には長期的な視野や時間が必要だが、恒常的なスペースがあるからこそ可能になる。「ギャラリー・スペースとしての閉廊後も、引き続きプロジェクトとしてのARTZONEは特定の場所にとらわれず、アートと社会をつなぐ実践を行なっていく」とウェブサイトや本展フライヤーには書かれている。非恒常的で不定期なスペースや活動形態で、どこまで教育的質を支えられるかが、今後の課題だと言えるだろう。
関連レビュー
ゴットを、信じる方法。|高嶋慈:artscapeレビュー(2018年06月15日号)
山田弘幸個展「写真になった男」|高嶋慈:artscapeレビュー(2018年08月01日号)
2019/03/17(日)(高嶋慈)