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福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ

2019年04月01日号

会期:2019/03/01~2019/05/26

東京国立近代美術館[東京都]

福沢一郎というと、戦前シュルレアリスムを採り入れた奇妙な絵を描き、開戦直前に瀧口修造とともに検挙され、釈放後一転して戦争画に手を染め、敗戦後は大作の群像を描いた画家、くらいの知識しかなかった。この回顧展は、まさにそんなありきたりのイメージを払拭するために企画されたもの。
個人的な体験をいうと、ぼくは子供のころ家にあった画集に載っていた福沢の《よき料理人》がさっぱり理解できず、しゃくに障ったことを覚えている。実はそのとき、意味がわからないだけでなく、生意気にも見た目に色が地味で、絵もあまりうまくないなと感じたものだ。今回《よき料理人》を含むパリ滞在時の初期作品を見て、やっぱりあまりうまくないという印象は変わらなかった。特に人物が無表情で、苦手としていたんだろうな。これは彫刻をやっていたせいかもしれないし、シュルレアリスムの手法ゆえかもしれない。
しかし帰国後の作品を見るとそんなことは気にならなくなる。長いこと日本を離れていたせいか、浮世絵風の女性を描いた2点は奇天烈だし、《牛》や《人》は絵として力強いだけでなく批評精神が秘められているし、《風景》や2点の《花》は靉光を彷彿させる独特の空気感がある。そして軍に委嘱された作戦記録画の《船舶兵基地出発》。これは本気で描いたのか? この絵は戦争映画の宣伝用写真に基づいて描かれていることが判明したが、それは誰でもやっていたこと。それより戦争画だけに、誰にも気づかれないように巧妙に批判的な細工を施したかもしれないし、逆に大真面目に描いたのかもしれない。いずれにせよこの戦争画が彼の長い生涯のちょうど半分、つまり人生の折り返し点で描かれていることは示唆的だ。

敗戦後は《世相群像》をはじめ、代表作ともいえる《敗戦群像》など群像の大作を何点か手がける。50年代には中南米旅行で得たプリミティブな色彩と形態、60年代のアメリカ旅行では抽象表現主義に感化されたが、いずれも完全に染まることなく、再び社会的な風刺を利かせた群像の大作に戻っていく。《トイレット・ペーパー地獄》《ノアの方舟》《倭国大いに乱れる》《倭国内乱》、そして最晩年の《悪のボルテージが上昇するか21世紀》などだ。まるで美術界のリーダーとしての義務であるかのように、社会に警鐘を鳴らす大作を描き続けたようにも見える。その意味ではこれらも、戦後の戦争画といえるのではないか。

2019/03/11(月)(村田真)

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