2019年06月15日号
次回7月1日更新予定

artscapeレビュー

2019年04月01日号のレビュー/プレビュー

我妻直弥『最終回』

会期:2018/11/17~2018/11/18

立教大学新座キャンパス ロフト1[埼玉県]

我妻直弥『最終回』は立教大学現代心理学部映像身体学科松田正隆ゼミの卒業制作作品として上演された。作品の発表時点でまだ学生であった我妻はしかし、2017年にはフェスティバル/トーキョーの若手ピックアップ企画「実験と対話の劇場」に演劇計画・ふらっとの劇作担当として参加、2018年には『すごい機械』で第18回AAF戯曲賞最終審査にノミネートされるなど、すでに一部では注目を集めつつある。

松田正隆/マレビトの会の周辺で活動する(していた)他の若い作り手と同様、我妻もまた、演出の基本的な技法をマレビトの会『上演する』シリーズ(『長崎を上演する』『福島を上演する』)のそれと共有している。ほとんど何もない空間と大雑把なマイム、そして感情の起伏に乏しい発話。それらは現実の空間の中に不意に虚構が立ち上がる、あるいは物語世界からふと劇場へと引き戻される、その瞬間を生み出すための手法であり、松田はそのような演劇を「出来事の演劇」と名指す。

『最終回』は「出来事の演劇」の時間への適用の試みとしてある。作中ではある連ドラ(昼ドラ?)の最終回放映日の朝から昼、最終回が放映されるまさにそのときまでの約4時間が描かれるのだが、これはそのままこの作品の上演時間とも重なっている。つまり、『最終回』の上演において4時間という時間の枠組みは物語の内外で一致しているのだ。だが、物語の内と外の4時間は決して同質ではない。我妻はいくつかの仕掛けによって劇場空間に流れる複数の時間を観客に知覚させ、それらの間を行き来させる。



[撮影:松本誠舟]

ひとつめの仕掛けは物語の内と外における時間帯の不一致だ。昼にかけての4時間を描く本作の開演時間は15時に設定されている。しかも、公演会場の客席正面の壁は取り払われ、大きな開口部となったそこは外の空間にそのまま通じている。19時の終演に向けて日は暮れていき、やがて夜が訪れる。現実の夜と、虚構の昼。

二つめの仕掛けは上演の形式にある。『最終回』は6編の短編からなり、おおよそ1編ごとに休憩が挟まれる。観客はその度に現実の時間に引き戻される。『最終回』の観劇体験は虚構の時間と現実の時間の混合物としてしかあり得ない。

現実の時間が入り込んでくるのは休憩時間だけではない。開口部から見える外部の空間は、演劇を見る観客に背景としての現実の時間をつねに意識させることになる。それは夜に向かう天体の運行であり、立教大学新座キャンパスという具体的な空間に流れる時間でもある。「背景」をときおり通り過ぎていく学生らしき人々の姿は、観客に虚構への没頭を許さない。しかも、 3編目の「とある地獄」では、作品とは無関係な通行人と思われた人々の行為がそのまま「上演」へと移行していく。「現実」が「虚構」へと陥入する。それとも逆だろうか。いずれにせよ、そこには極めて豊か、かつ、奇妙な現実と虚構との関わりの可能性が提示されていた。



[撮影:松本誠舟]

2018/11/17(土)(山﨑健太)

増山士郎「Self Sufficient Life」

会期:2019/02/15~2019/03/10

京都場[京都府]

アイルランド、ペルー、モンゴルの3ヵ国にて、現地の人々の協力と家畜から毛の提供を受け、伝統的な技術を用いて動物繊維加工品をつくる増山士郎のプロジェクトを集大成的に見せる個展。資本主義の発達したアイルランドで失われつつある伝統的な羊毛産業に着目した《毛を刈った羊のために、その羊の羊毛でセーターを編む》(2012)、ペルーの高山地帯で放牧を営む家族の協力のもと制作された続編《毛を刈ったアルパカのために、そのアルパカの毛でマフラーを織る》(2014)、そしてモンゴルの遊牧民の協力のもと制作した完結編《毛を刈ったフタコブラクダのために、そのラクダの毛で鞍をつくる》(2015)の3作品が展示された。毛を刈り、梳き、糸車で紡ぎ、紡いだ糸を手編みや織機で布に仕立てるまでを現地の人々に教わる様子を記録した映像と、すべて手作業でつくられたセーターやマフラー、鞍、そしてそれらを身に着けた動物たちの写真でそれぞれ構成されている。セーターやマフラーは野趣あふれる佇まいながら、化学染料で染められていない優しく繊細な色合いが魅力的だ。


[撮影:曽我高明]


増山の3つのプロジェクトは、飄々としたユーモアをはらみつつ、資本主義社会や産業化と「コミュニティ・アート」、双方への批評的なアプローチを含む点に意義がある。牧畜や遊牧を営む「遠い」土地に赴き、家畜の毛を刈り、貨幣で代価を支払う代わりに、セーターやマフラーを編んでプレゼントする。伝統的なスローな技術を用い、生産と加工を同じ場で連続的に行なう振る舞いは、近代産業化や大量生産に対する批判的応答である。

また、生産物を相手に「贈与」する振る舞いは、「アーティストがコミュニティに入り、現地の素材や技術を用いて、現地の人々とともに作品をつくる」昨今の流行に対し、「アートによる一方的な搾取ではないか」という批判がなされることへの応答でもある。さらに増山の「贈与」の相手が、現地の人々ですらなく「(毛の提供者すなわち二重の「搾取」の対象である)動物」である点に、ユーモアに秘められたラディカルさがある。


[撮影:曽我高明]

2019/03/02(土)(高嶋慈)

カメラが写した80年前の中国──京都大学人文科学研究所所蔵 華北交通写真

会期:2019/02/13~2019/04/14

京都大学総合博物館[京都府]

「華北交通」とは、日中戦争勃発直後の1937年8月に南満州鉄道株式会社(満鉄)の北支事務局として天津で発足し、日本軍による華北の軍事占領と鉄道接収後、39年4月に設立された交通・運輸会社である。傀儡政権として樹立された中華民国臨時政府の特殊会社で、満鉄と同じく日本の国策会社であり、北京、天津、青島などの大都市を含む華北占領地と内モンゴルの一部を営業範囲としていた。旅客や資源の輸送のほか、経済調査、学校や病院経営、警護組織の訓練なども担っていた。また満鉄と同様、弘報(広報)活動にも力を入れ、内地に向けて「平和」「融和」をアピールし、日本人技術者や労働者を中国北部に誘致するため、日本語のグラフ雑誌『北支』『華北』の編集や弘報写真の配信を行ない、線路開発、沿線の資源や産業、遺跡や仏閣、風土や生活風景、年中行事、学校教育などを撮影し、膨大にストックしていた。日本の敗戦後、華北交通は解散するが、35,000点あまりの写真が京都大学人文科学研究所に保管されており、近年、調査や研究が進められ、2019年2月にはデジタル・アーカイブも公開された。本展は、2016年の東京展に続き、2回目の展示となる。

展示構成は、写真を保存・整理するために作成された「旧分類表」に基づき、「華北交通(会社)」「資源」「産業」「生活・文化」「各路線」のテーマ別のほか、京大人文科学研究所の前身である東方文化研究所が行なった雲岡石窟調査の写真も含む(調査費の半額を華北交通が援助した)。また、旧分類とは別に設定された「鉄道・列車」「民族」「教育」「日本人社会」「娯楽」「検閲印付写真」のテーマによる紹介は、華北交通写真のプロパガンダとしての性格に迫るものであり、興味深い。鉄道へのゲリラ攻撃を防ぐために、インフラの警備組織を沿線住民に担わせようとした「愛路」工作。一方、検閲で不許可とされた写真には、列車事故現場が生々しく写る。ロシアからの移住者、モンゴル人の各部族、ユダヤ教徒や回教徒(イスラム教徒)など、沿線範囲に住む民族の多様性。イスラム教徒の子どもにアラビア文字を教える教育場面や、「愛路婦女隊」のたすき掛けをした農村の女性に日本語や料理、看護を教える授業風景。「新民体操」と呼ばれたラジオ体操にはげむ子どもたち。グラフ雑誌『北支』の表紙には、優雅な民族衣装に身を包んだ若い女性、無邪気に笑う子ども、雄大な遺跡や仏閣の写真が並ぶ。これらは「帝国によって守られるべき」かつエキゾチシズムの対象であり、山岳に残る史跡を背に煙を上げて進む機関車を写した写真は、「前近代的時間」/「進歩・技術・近代」の対比を視覚的に切り取ってみせる。いずれも典型的な植民地プロパガンダの表象だ。


会場風景


会場風景

ほぼ同時期に、「満洲」で展開された写真表現を検証する展覧会として、2017年に名古屋市美術館で開催された「異郷のモダニズム─満洲写真全史─」展がある。同展で紹介された、満鉄が発行したグラフ雑誌『満洲グラフ』の写真は、モダニズム写真の実験性とプロパガンダとしての質が危うい拮抗を保って展開されていたことが分かる。本展もまた、写真とプロパガンダの関係のみならず、中国現代史、植民地教育史、民俗学、仏教美術研究など幅広い射程の研究に資する内容をもつ。

ただ惜しむらくは、展示の大半が引き伸ばした複製パネルで構成されており、現物のプリントはガラスケース内にわずかしか展示されていなかったことだ。元のプリントの鮮明さに引き込まれる体験に加え、70年以上の時間を経た紙焼き写真の質感、台紙の紙質や反り具合、キャプション情報や撮影メモの手書き文字、スタンプの刻印や打ち消し線などの情報のレイヤーといった、アーカイブのもつ「感覚的体験」「触覚的な質」が削がれた「資料展」然だったことが惜しまれる。


会場風景

また、展示構成のなかで、ウェブ上で全写真データが公開されている「華北交通アーカイブ」に触れられていても良かったのではないか。「華北交通アーカイブ」では、膨大な写真を撮影年や駅名別に検索できるほか、「機械タグ」のワードリストも載っている。ただ、画像自動認識による即物的なタグ付けで、アーカイブの潜在的な豊かさを開くことにどこまで貢献できるだろうかという疑問が残る。中立性の担保よりも、むしろ個別的な眼差しの痕跡を積み上げて可視化していくような試みが、ウェブ上のデジタル・アーカイブという場でできないだろうか。例えば、ユーザーがそれぞれの関心に従って「検索タグ」を多言語で追加できたり、その検索結果であるイメージの集合体を公開履歴として蓄積できるような機能。とりわけ、民族衣装をまとった中国人・モンゴル人女性や「愛路婦女隊」、「大日本国防婦人会」のたすき掛けをした和装の日本人女性など、ジェンダーやエスニシティの表象は、撮影者である「日本人男性」すなわち帝国の眼差しの反映であり、それらを多言語かつ複数の眼差しで読み解き、積み重ねていくことで、支配者の眼差しをズラし、相対化していくことにつながる。その時アーカイブは、複眼的かつ生産的な批評の営みの場となる。

華北交通アーカイブ:http://codh.rois.ac.jp/north-china-railway/

関連レビュー

異郷のモダニズム─満洲写真全史─|高嶋慈:artscapeレビュー(2017年07月15日号)

2019/03/02(土)(高嶋慈)

薄井一議「Showa96」

会期:2019/03/08~2019/03/30

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

ZEN FOTO GALLERYで開催されてきた薄井一議の「Showa」シリーズは、「Showa88/昭和88年」(2011)、「Showa92」(2015)に続いて今回が3回目になる。ちょうど平成の最後の時期の開催というのも感慨深いものがあるし、シリーズとしても今回で完結ということのようだ。

展覧会に寄せたコメントで、薄井はこう書いている。

「“昭和”が付くからと言って、別だんノスタルジーを追い求めている訳では全くない。僕は、この言葉を“生き抜く力”の象徴と考える。昭和がまだ別の時空で続いていたらどんな世界か、そんなファンタジーを追い求め、平成の終わりに第三弾が完成した」

「Showa」を「“生き抜く力”の象徴」と見る捉え方は、とても面白い。たしかに30年余り続いた平成時代は、日本人の生のエネルギーが、根こそぎ奪われていった時期に思えるからだ。薄井はそんな「Showa」を呼び起こすために、さまざまな場所に足を運び、奇妙な人物たちとの出会いを写真におさめていく。時にはその場所から何か特異な気配を感じ取り、演劇的な要素を取り入れてストーリー仕立てで展開したりもする。今回展示された写真でいえば、東京・大森の旧金子國義邸が取り壊される前に、ヌードや芸妓の格好をした女性を配して撮影した写真がそうである。2016年に日本青年館が閉鎖される前日に、わざわざ宿泊して撮影したという写真も興味深い。開いた窓からは、工事が始まったばかりの国立競技場の建築現場が見える。

薄井が「Showa」シリーズで積み上げてきた写真群は、ZEN FOTO GALLERY刊行の3冊の写真集にまとまり、かなりの厚みを持ち始めている。ぜひ、それらを、大きな会場で一度に見ることができる機会をつくってほしい。それとともに、薄井がこのシリーズの次にどんな展開を考えているのかも楽しみだ。

2019/03/08(金)(飯沢耕太郎)

田沼武能「東京わが残像 1948-1964」

会期:2019/02/09~2019/04/14

世田谷美術館[東京都]

展覧会の会期中に90歳になるという田沼武能は、現役最長老の写真家のひとり。今回の世田谷美術館での回顧展には、彼が写真家として出発した1940年代から60年代にかけて東京を撮影した写真180点を出品している。ほかに、柳田國男から福田繁雄まで、世田谷在住の文化人24人を撮影したポートレートも特別展示されていた。

1949年から木村伊兵衛の助手を務めた田沼の基本的なスタイルは、師匠譲りの、被写体を取り巻く空気感を丸ごと写し込むスナップショットである。それらを見ながら、あらためて写真の細部を「読む」ことの面白さを感じた。例えば、展覧会のポスターやチラシにも使われた《路地裏の縁台将棋》(1958)には、将棋に夢中になっている男の子たちとそれを見守る女の子をはじめとして、じつに多くの人、モノが写り込んでいる。花火を楽しむ浴衣姿の子供たちもいるし、その奥には戸口に入ろうとする女性の姿も見える。洗濯物、流しと洗面器、桶、三輪車などのモノたちもそれぞれ自己主張している。さらに濡れた地面の湿り気の感触が、いかにも下町の路地裏らしい雰囲気を醸し出す。それらすべてが一体化して、1950年代の東京の「残像」がまざまざとよみがえってくるのだ。

このような「読む」ことのできるスナップショットは、当時のフォト・ジャーナリズムの要請によって成立したものであり、その後、より個人的、主観的な解釈が強まるにつれて、あまり撮影されなくなっていく。だが、60年の時の隔たりを通過すると、それらがじつに味わい深い「微妙な含みをもつ暮らしの匂い」(酒井忠康)を発しはじめていることがわかる。ひるがえって、2010年代の現在の東京もまた、田沼や木村伊兵衛のように撮っておくべきではないだろうか。写真は画像に写し込まれた匂いや手触りや空気感を介して、過去と現在と未来とをつなぐ役目を果たすことができるからだ。

2019/03/08(金)(飯沢耕太郎)

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