artscapeレビュー
飛鳥アートヴィレッジ2019
2020年02月15日号
会期:2019/11/23~2019/12/15
飛鳥坐神社、奈良県立万葉文化館、南都明日香ふれあいセンター 犬養万葉記念館[奈良県]
公募で選出された作家が、奈良県明日香村でのアーティスト・イン・レジデンスを経て成果発表を行なう「飛鳥アートヴィレッジ」。6回目となる今回は、2ヵ月以上という例年より長い滞在制作の時間が充てられた。3名の作家の展示からは、明日香村の風景やモノと向き合いながらそれぞれの思考を深めていった、充実した過程を見ることができた。
佃七緒は、飛鳥坐神社の境内に、米の脱穀に使われていた古い農機具、竹や藁、古代米などを組み合わせ、架空の農耕の神事を思わせるインスタレーションをつくり上げた。古代米が奉納された祭壇のような装置に付いたハンドルを回すと、ガラガラという音とかすかな風が起こる。神社での参拝の行為を、「道具の交代とともに消えていく動作」に置き換え、場所や道具のもつ機能と人の行為の関係性に光を当てている。装置の背後には、竹や藁など自然の素材でできた不思議な造形物が、白布とともに吊られている。民具や供物を思わせる一方、ひらがなの形にも見え、四角い枠は原稿用紙のマス目を思わせ、解読できない古代の文字で書かれた呪文のようだ。佃によれば、農業に関する土地の言葉が入っており、飛鳥が万葉仮名の発祥の地であることから、「かな」をモチーフに使ったという。
野原万里絵は、ユーモラスで謎めいた有機的な黒い形象と、それを計測・分割するような赤い直線を組み合わせた平面作品を、明日香村の風景が見渡せる奈良県立万葉文化館のガラス壁に展示した。野原の関心を引いたのは、子孫繁栄、五穀豊穣、悪疫退散を願って飛鳥川に毎年掛け替えられる「男綱」づくりの作業だったという。一本の藁という「線」を寄り合わせて「面」を形づくり、立体物をつくっていく過程にデッサンとの共通性を見出したことが、制作の出発点となった。野原は、メインの大型作品とともに、そこに至るまでの複数のプロセス──デッサンによる形の抽出、アウトラインの正確なトレース、原寸大の「型」、さらに拡大した「型」──も併せて展示した。デッサンの対象となったのは、家屋のラインや田んぼに残る黒い焼け跡など、「具体的に何を表わすのかは不明だが、形として認識できるもの」、具体的な風景や事物から抽出されたゲシュタルトである。野原の関心は一貫して、「絵を描くための道具」として雲形定規のような「定規」やステンシルのような「型紙」をつくることにある。それは、野原にとって初めて触れる土地や事物に接近するための方法であるとともに、「形態の認識」「二次元化という圧縮作用」「定規や型=描画のための共有可能なツールの開発」をめぐる造形的な実験でもある。
一方、徳本萌子は、「ミシンで木の葉を縫う」行為を通して、明日香村の風景への介入を試みている。展示会場の中庭に立つ木の葉は、霜で銀色に光るように見えるが、じつは細い銀の糸で葉脈をなぞるように縫われている。「朽ちていく存在や自然のなかの一瞬の美を、縫う行為を通して留めたい」気持ちが込められた繊細な作品であり、アンディー・ゴールズワージーの作品を想起させる。また、寺跡の草原を舞台に、村の住民がミシンを持ち寄って参加し、巨大な「葉っぱの輪」をつくり上げた作品も発表された。地元の素材、幅広い層の住民との協同、ミシンの輪=「人の輪」の連想といった点だけを見ると「レジデンス成果作品」の教科書的模範解答に映るが、徳本の試みは、それだけにとどまらない。「手芸」すなわち女性性の領域と結びつけられやすい「手縫い」ではなく、「ミシン」がもつ工業性や機械的な匿名性。また、「家庭用ミシン」を「家の外」の公共的な空間へ持ち出す越境的な行為は、ジェンダーの文脈における批評性を合わせもつ。
このように、各作家が充実した発表を行なうことができた背景には、滞在制作期間の長さに加え、制作場所の好環境も大きく影響していたと思われる。廃校になった幼稚園(現在は村の公民館として活用)の建物が制作場所として提供され、広い空間で制作に集中することができた。その結果、制作場所の確保を必要とする造形タイプの作家がじっくり制作に取り組めたのではないか。例えば、徳本は、「葉っぱの輪」の作品は過去にも制作しているが、一般の参加者を募っての屋外での大がかりな制作は、今回初めて実現できたという。このように、作家にとってはステップアップにつながる機会となり、明日香村にとっては単に消費されない関係が積み重なれば、「質の高い展示が実現できる/見られる」ことが作家/観客双方にとって強い魅力になり、「飛鳥アートヴィレッジ」自体の意義や評価も高まっていくだろう。
2019/12/15(日)(高嶋慈)