artscapeレビュー

金サジ「白の虹 アルの炎」

2020年02月15日号

会期:2020/01/08~2020/01/19

THEATRE E9 KYOTO[京都府]

写真家の金サジは、朝鮮半島と日本の狭間で生きる自らの生について、自身の記憶や夢、民話や神話の象徴的なイメージを織り交ぜた汎東洋的な「架空の創世記」として構築し、衣装や小道具、ライティングを緻密にセットアップして撮影した「物語」シリーズを継続的に発表している。そこでは、西洋古典絵画の肖像画や宗教画を思わせる図像性のなかに、アジアの諸地域の伝承や神話、生/死、人間/獣、人間/神の境界が溶け合って混ざり合う。強い照明を浴びて漆黒の闇を背景に立つ被写体は、スポットライトを浴びる舞台俳優を思わせもする。そうした舞台との親和性もうかがわせる彼女の個展が、2019年に京都に新しくオープンした民間劇場「THEATRE E9 KYOTO」で開催された。劇場が位置する東九条は在日コリアンが多く住む地域であり、劇場のローカリティという点でもこの場所での開催は意味をもつ。加えて本展は、「劇場の構造やブラックボックス」を最大限に活かした展示構成が秀逸だった。

観客は、通常の劇場正面の入口ではなく、裏手のスタッフ用の入口から中に入り、普段は「舞台」である空間でプロローグを体験する。恐ろしいほどに青く澄んだ空と眩い光に照らされ、白い水蒸気が立ちのぼる水面の映像がループで流れている。舞台の幕は半分ほど開けられ、異界への門のようなそこを通ると、段状の客席に設置された写真作品と観客は一斉に対峙することになる。いや、その「門」は、産道だったのかもしれない。頭上には、子宮の内部かマグマの蠢く噴火口を思わせるイメージが、赤く暗い光を放ちながら掲げられている。血と肉と熱が沸き立つ、まだ形の定まらない、世界を生み出す始原の器。舞台から客席へと空間が反転するように、産道を逆に辿って胎内へ。そこは、女たち、母たち、巫女たちの物語が展開される劇場だ。



[撮影:麥生田兵吾 ]

入口の門あるいは産道の左右の壁には、ヤン・ファン・エイクの《アルノルフィーニ夫妻像》を連想させる室内の夫婦像《結婚》と、授乳する聖母子像を思わせる《母子》が配される。だが、母の大きくはだけた胸元の下の腹部は、獣のような黒い毛で覆われ、聖性と獣性が入り混じる。そして段状の客席には、さまざまな登場人物たちが、劇場の照明を浴びて墓標のように佇む。観客は、死出の山を一段ずつ登るように、一つひとつのイメージと対峙していく。地中に埋められた、ミイラのように白布で包まれた胎児は、老女のような白髪混じりの髪を生やしており、赤ん坊/老女、埋葬された死骸/生命の萌芽という相反する要素の同居のなかに、植物の種や陰陽のかたちも思わせる。天使と戦うヤコブのように、髪を振り乱して掴み合う双子の姉妹。乱れた髪や表情に暴力を受けた跡をうかがわせる、若い巫女。深い森の中で巨大な男根にまたがって交わる巫女と、木の葉の塊から手足を突き出した精霊的存在。フライヤーのメインイメージである「桃に絡みつく双頭の白蛇」には、幾重もの象徴性がズレながら重なり合う。「蛇と果実」、すなわち原罪を犯したイヴと、その罰として課された「産みの苦しみ」。だが果実は「リンゴ」ではなく、中国で不老不死や豊穣の象徴とされる「桃」に置き換えられ、「蛇」もまた、悪魔の化身から神格化された存在へとシフトする。その蛇が「双頭」であることは、朝鮮半島と日本という二つのアイデンティティの示唆を含む。



[撮影:麥生田兵吾 ]

金は、本展によせた会場テクストにおいて、「ルーツ」「系譜」が伝統社会では男系継承とされてきたことに対する批判と、大文字の歴史に記録されなかった女性たちの記憶について、そして女性たちは柔軟にしたたかに生き抜くために身体に記憶を刻み込んで受け継いでいったのではないかと述べている。彼女の写真作品は、そのように自らの身体の奥に宿る記憶を、闇のなかからひとつずつ手探りで手繰り寄せ、美しくも禍々しい光に変えるのだ。

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