artscapeレビュー

インポッシブル・アーキテクチャー ─建築家たちの夢

2020年02月15日号

会期:2020/01/07~2020/03/15

国立国際美術館[大阪府]

いわゆる「建築展」が抱えるジレンマや限界は、美術作品と異なり、「実物」の建築そのものを会場に持ってきて展示できないため、必然的に「図面」「模型」「写真や映像」すなわち建築物に付随する周縁部や資料で補うしかない、という点にある。これに対して本展は、20世紀以降の国内外における「未完のアンビルト建築」に焦点を当てることで、「建築展につきもののジレンマや限界」を逆手にとり、解消する試みでもある。

ロシア・アヴァンギャルドのマレーヴィチやタトリン《第3インターナショナル記念塔》(1919-20)で幕を開け、その遺伝子を遠く受け継ぐザハ・ハディド(彼女の卒業制作は《マレーヴィチ・テクトニク》[1976-77])へ至る本展において、プランが未完に終わった理由はさまざまだ。革新性ゆえコンペで落選したプラン(ドイツ初の高層建築を目指してガラスの摩天楼を提案したミース・ファン・デル・ローエ)。コンペ自体への批評性を盛り込んだ挑発的な野心案(「日本趣味を基調とする東洋式」という条件を拒絶し、バウハウスやル・コルビュジエから学んだインターナショナル・スタイルを提案した前川國男の《東京帝室博物館建築設計図案懸賞応募案》[1931]や、4本の巨大な柱から8層のフロアを吊り下げた仏塔のような巨大建造物を提案した村田豊の《ポンピドゥー・センター競技設計案》[1971]。両者はベクトルこそ相反するが、「建築表象による文化的ヘゲモニーの闘争」という側面を合わせもつ)。

さらには、未来的な都市計画としての壮大な構想(連結可能なユニットによる増減可能な構造体として海上都市を描く黒川紀章の《東京計画1961―Helix計画》や菊竹清訓の《海上都市1963》などのメタボリズム。居住空間のユニットをインフラと交通を担うケーブルで連結するヨナ・フリードマンの《可動建築/空中都市》[1956-])。純粋な思考実験に近いもの(牧歌的な風景に航空母艦や巨大なボルトを組み合わせた合成写真を、新たな都市のヴィジョンとして1950年代末~60年代に提示したハンス・ホライン、60年代以降に雑誌上にドローイングやダイヤグラムを発表したアーキグラムやスーパースタジオ)。解体/構築の力学や線の運動を可視化したドローイング(コンスタン[コンスタン・ニーヴェンホイス]による《ニュー・バビロン》の素描[1956-74]、ダニエル・リベスキンドの《マイクロメガス:終末空間の建築》[1979])。



会場風景


また、1933-36年に日本に滞在するも、日本での建築設計例がほとんどないブルーノ・タウトが、現・近鉄(近畿日本鉄道株式会社)から依頼を受け、生駒山頂の遊園施設にホテルと住宅団地を追加する小都市計画を構想していたことを今回初めて知った。タウトが描いた「遠望図」を見ると、ヨーロッパの城塞都市のような景観が山頂から広がっており、もし実現していたら、筆者の住む大阪市内から見える生駒山の風景が今とは異なっていただろうと想像され、興味深い。

未完=潜在的な可能性と捉えれば、そこには現状に対する批評性が胚胎する。例えば、上述のフリードマンは《可動建築》と《空中都市》の構想を今日的な視点から見直し、大幅に修正した《バイオスフィア:ザ・グローバル・インフラストラクチャー》(2017)を発表している。ソーラー・パネルなどの技術的進化によってエネルギーや水の個人による管理が可能になることで、インフラを担う中空の架構が不要になり、ネットによるコミュニケーションや在宅勤務が充実すれば、都市に住む必要性もなくなる。こうした思考において、クラウド化やノマド性を拡張していくことで、「土地の所有」の概念や「国境」「国家」のラディカルな解体へと繋がっていく。


本展のほぼラストを締めくくるのは、ザハ・ハディド・アーキテクツ+設計JVの《新国立競技場》(2013-15)である。妥当かつ必然的な配置だが、ザハの紹介がこのプランのみであり、「新国立競技場案をめぐるスキャンダル」に収束してしまう点は残念に感じた。実現されなかったほかのプランの展示もあれば、よりザハの思考やその革新性が伝わったのではないだろうか。また、同様に、行政機構との政治的・経済的事情で決定後に白紙撤回となった近年の例として、SANAAによる滋賀県立近代美術館の改修・新棟建設計画にも言及があれば、「美術館と建築」というパースペクティブが浮上し、「美術館で建築展を開催する意義」がより際立っただろう。



会場風景


アンビルト建築はまた、「建築の不在とともに何が不可視化されているのか」という、建築と政治(性)をめぐる問いをネガのように浮かび上がらせる。例えば、1942年の「大東亜建設記念営造計画」のコンペで一等を獲得した、丹下健三の《大東亜建設忠霊神域計画》は、富士山麓に建設した神殿と皇居を「大東亜道路・鉄道」で結ぶことで、強い象徴的存在へと視線が向かうモニュメンタルな空間構成を壮大な都市計画レベルでつくり上げるものだが、この未完のプランの縮小版が「原爆ドーム」へと視線を集約させる広島平和記念公園の設計であることは、すでに指摘されている。あるいは、宮本佳明の《福島第一原発神社》(2012)は、1万年以上にわたって高レベル放射性廃棄物を安全に保管するために、原子炉建屋に象徴的なシンボルとして和風屋根を載せ、「原子炉を鎮める」神社として祀るという構想である。こうした例を含めて考えることで、本展の射程は、ユートピア的なヴィジョンや観念的な思考実験を超えて、よりアクチュアルに深まるのではないだろうか。

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2020/01/07(火)(高嶋慈)

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