artscapeレビュー
フジタ─色彩への旅
2021年06月01日号
会期:2021/04/17~2021/09/05
ポーラ美術館[神奈川県]
藤田嗣治といえば、1920年代のエコール・ド・パリ時代の「乳白色の肌」と、第2次大戦中の「戦争画」がよく知られている。白い女性ヌード像と血みどろの活劇画ではまるで正反対だが、その両極で頂点に立ったところが藤田のすごいとこ。でもその両極にも共通点はある。それはどちらも色彩に乏しく、ほとんどモノクロームに近いことだ。同展はそんな藤田の「色彩」に焦点を当てた珍しい企画。
出品は初期から晩年まで200点以上に及ぶが、ポーラのコレクションを中心にしているため、20年代の乳白色のヌードは比較的少なく、戦争画はまったくない。むしろそれゆえ「色彩」というテーマが浮かび上がったというべきか。作品が集中しているのは、パリから離れて中南米を旅していた1930年代と、戦後パリに定住してからの1950年代で、10年代、20年代、40年代、60年代はそれぞれ10点前後の出品なのに、30年代は30点以上、50年代は150点(うち約100点が「小さな職人たち」シリーズ)にも上っている。
30年代に色彩が豊かになったのは、乳白色がマンネリ気味になってきたこと、心機一転しようと(税金逃れもあったらしい)中南米を旅するなかで、明るい気候風土に触れたことだといわれている。いかにもな理由だが、いくら売れてるとはいえ10年も同じスタイルでやっていくと、志ある画家なら自己変革していきたいと願うはず。そのとき有効だったのが見知らぬ土地への旅だったに違いない。同展が「色彩」と、もうひとつ「旅」をキーワードにしているのはそのためだ。ブラジルで描いた《町芸人》や《カーナバルの後》などのにぎやかな風俗画は、乳白色と同じ画家とは思えないほどどぎつい色彩にあふれている。
その後、日本に戻って戦争画にのめり込んでいくことになるが、軍靴の響きが近づくにつれ、再び色彩は失われていくのがわかる。そして敗戦、戦争責任追及、日本脱出とツライ出来事が続くさなか、花園で踊る三美神を描いた《優美神》はいかにも場違いでグロテスクでさえあるが、西洋の古典美と色彩への渇望をそのまま絵にしたカリカチュアにも見えてくる。
再びパリに移住してからは、乳白色も戦争画もなかったかのようにカラフルな子供の絵に没頭する。しかし「小さな職人たち」シリーズをはじめとする子供の絵は、おしなべて無表情でちっともかわいくないし、色彩もたくさん用いているわりに明るい印象はない。
日本人を捨ててフランス国籍を取得し、カトリックに入信。これが藤田の人生最大の、そして最後の旅だったに違いない。最晩年に宗教画に没頭し、自ら建立した礼拝堂の壁画を完成させたのは、辻褄の合わなかった画家人生に無理やりオチをつけようとしたからなのか。
2021/04/16(金)(村田真)