2019年07月15日号
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artscapeレビュー

サンプル「伝記」

2009年02月01日号

会期:2009/01/15~2009/01/25

こまばアゴラ劇場[東京]

サンプルの芝居の根底にあるのはニヒリズムである。話の筋はこう。
浅倉シェルター社長の死後、伝記を出版しようとする浅倉の親族とその編纂を任された会社資料部のスタッフたち、社長の元愛人と息子、出版事業に出資を申し出る女、社長の家の使用人など、社長と伝記をめぐるそれぞれの思惑のズレが対話によって肥大化し、収拾がつかなくなってゆく。よくある「中心の不在」をめぐる物語(?)といってしまえばそれは確かにそうで、父への愛憎(コンプレックス)を基点に、きわめて明瞭な構造が舞台を構成する。この構造は、ちょっとしたハプニング(車椅子の元愛人が失禁したり、金持ちの女が意味不明の挑発を男性スタッフにふっかけたり、突然歌い出したり……)によってわずかに歪む。この歪みが、観客の笑いを引き出し、舞台を推進させる。とはいえ、その歪みに社会の歪みや人の心の歪みを反映させるなんて気持ちは、主宰・松井周にははなからない。人生とは?伝記とは?などと問うのは意味がない。ここで伝記とは、歪ませて遊ぶおもちゃの骨組みをつくる原材料以外ではないのだから。といって歪みの角度が笑いを狙うこともない。構造を歪ませる行為がただの純粋な遊び(であるが故に、この遊びは遊びでさえないのかも)であることをはっきりと告白するために、スタッフたちが突然口紅を塗りあうなど振る舞いの無意味さは次第に激しさを増し、その甚だしさがピークを迎えたあたりで終演した。
この形式主義の高度さが日本の若手演劇のクオリティを証しているのは間違いない。とはいえ、隠しがたいのは、形式が内部で機能すればそれだけ、ぼくの疎外感がエスカレートしたこと。浅倉と同じく観客もここでは死者に近い存在であり、不在としてのみ位置づけられている気がした。
サンプル「伝記」:http://www.komaba-agora.com/line_up/2009_01/sample.html

2009/01/16(金)(木村覚)

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