artscapeレビュー
テート美術館展 光 ─ターナー、印象派から現代へ
2023年08月01日号
会期:2023/07/12~2023/10/02
国立新美術館[東京都]
蔡國強の「原初火球」をやってる美術館の2階で「光」の展覧会とは、引火でもしたのか? 同展はイギリスのテート美術館のコレクションから「光」をテーマに作品を集めたもの。「テート美術館」とはあまり聞き慣れないが、イギリス美術に特化したテート・ブリテン、近現代美術専門のテート・モダンに、リバプールとセントアイヴスの分館を合わせた組織で、かつてのテート・ギャラリーのことだろう。だからコレクションはイギリス美術と世界の近現代美術が中心となる。
薄暗い第1室に足を踏み入れると、正面にターナーの晩年の絵が目に入る。確かにターナーの晩年の作品は海も空も船も人も光に包まれ溶け込んでしまっている。なかでも正方形に近い3点は、画面の周縁にいくに従ってボケて視野が円形になっている。これは望遠鏡でのぞいたような、あるいはピンホールカメラで撮ったようなイメージではないか。ターナーはもはや肉眼そのものが光学機器と化していたとしか思えない。おそらく「光」というテーマは、イギリスが生んだ唯一の大画家ターナーを起点に考えられたものだろう。その隣に巨大なエイリアンの卵みたいなオブジェが鎮座しているが、これはアニッシュ・カプーアの作品。各展示室に1点ずつ現代美術作品が置かれているのだ。でもカプーアの作品はタイトルこそ《イシーの光》(2003)ではあるけれど、光ってもいなければ闇に徹するわけでもなく、なんか中途半端。
その向こうにはウィリアム・ブレイク、ジョン・マーティン、ジョセフ・ライト・オブ・ダービーらの作品が続く。マーティンの《ポンペイとヘルクラネウムの崩壊》(1822)、ライトの《噴火するヴェスヴィオ山とナポリ湾の島々を臨む眺め》(c.1776-80 )という同主題のカタストロフ絵画が並ぶさまは壮観というほかない。全7室あるなかで、最初のこの薄暗い部屋がいちばん光り輝いていた。
第2室は、コンスタブルにラファエル前派と印象派を加えた構成。ラファエル前派はラファエロ以前の中世の職人に戻れっていう時代錯誤の集団だから、あまり光の表現には縁がなさそうだが、唯一ジョン・エヴァレット・ミレイの《露に濡れたハリエニシダ》(1889-90)は、朝露に輝く草木を描いた珍しい風景画。いわれなければラファエル前派だと気づかない。モネが2点あるのは納得できるが、印象派のなかでは目立たないシスレーも2点あるのはなぜだろうと思ったが、両親がイギリス人だからに違いない。アメリカ生まれのホイッスラーもイギリスに住んでいたせいか、《ペールオレンジと緑の黄昏──バルパライソ》(1866)が出ている。これがおもしろいことに、場所と朝夕の違いを除けばモネの《印象・日の出》(1872)とほぼ同じ構図で、モネより数年早いのだ。ちなみにこの部屋の現代美術は、穴の開いた鏡面6枚で組み立てた草間彌生による立方体の作品。
第3室のハマスホイを抜けて、第4室はドローイングや写真など紙作品が大半を占める。興味深いのは、金属球に窓が反射する様子を描いたターナーの紙作品。ロイヤル・アカデミーでの講義のために作成した図解で、本人こそ映っていないもののエッシャーの自画像を思い出す。第5室は、カンディンスキーからバーネット・ニューマン、マーク・ロスコ、ブリジット・ライリー、ゲルハルト・リヒターまで抽象絵画で統一されている。でも濡れた路面を想起させるリヒターの「アブストラクト・ペインティング」以外は「光」を感じさせない。
最後の第6、7室はオラファー・エリアソン、ブルース・ナウマン、ジェームズ・タレルらによるライトアート(懐かしい響き!)が勢ぞろい。でも本物の光を出されてもなんだかなあ、光を使わずに「光」を表現する作品が見たかった。こうして見ると、後半は抽象とライトアートばかりで、具象絵画が見当たらない。とりわけ、ターナーに次ぐイギリスの大画家ホックニーの作品がないのはなぜだろう。カリフォルニアの明るい日差しを描いた絵はともかく、カメラ・ルシーダをはじめとする光学機器を使った絵画技法の研究成果や、モネの連作を思わせる光の移ろいを描いた近年の大作はテートにもあるはずだ。それとも東京都現代美術館の「ホックニー展」に取られちゃったのか。
公式サイト:https://tate2023.exhn.jp/
2023/07/11(火)(村田真)