artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

女川、牡鹿半島ほか

[宮城県]

女川の坂茂による仮設住宅、牡鹿半島のアトリエ・ワンによるコアハウス(将来の増築をみすえた木造最小限住宅のモデル)、再開した石ノ森萬画館、大西麻貴による東松島のみんなの家(童話的な外観とスケールの操作が興味深い)、MITが関わったババドール五丁目、宮戸のSANAAによるみんなの家(幾何学的な操作によるデザインが美しい)などを訪れた。南三陸町、陸前高田、石巻など、震災遺構の見物も含めて人でにぎわう被災地がある一方、野蒜のように、ほとんど忘れ去られている被災地がある。

写真:左上=坂茂《女川町コンテナ仮設住宅》、左中上=アトリエ・ワン《コアハウス》、左中下=MIT JAPAN《バーバドール五丁目》、左下=大西麻貴《東松島こどものみんなの家》、右上=女川の被災建物、右中上=《石ノ森萬画館》、右中下=SANAA《みんなの家》、右下=野蒜

2013/04/29(月)(五十嵐太郎)

常設展「東日本大震災の記録と津波の災害史」

リアス・アーク美術館[宮城県]

気仙沼のリアスアーク美術館では、震災の「記憶」を伝える新しい展示がスタートしていた。震災直後から学芸員が撮影した200枚近くの写真、街で収集した被災物、それらの長いキャプション(全部はとても読み切れないほど膨大)を来場者が熱心に見ている。博物館的でありながら、ただの「記録」とはしない。未来への「記憶」につなぐ想像力も膨らませたミュージアムの枠組を越えた手法による展示である。また、被災物に添えられたあえて方言で記したテキストも印象的だった。

2013/04/28(日)(五十嵐太郎)

《星めぐりひろば》《KAMAISHIの箱》《みんなの家・かだって》ほか

[岩手県、宮城県]

鵜住居では、宝来館の宮本佳明による星めぐりひろば、釜石では難波和彦の2つのKAMAISHIの箱、伊東豊雄によるみんなの家・かだってを見る。限られた要素でつくられた、シンプルで清々しい建築だ。平田公園では、東京大学が関わった路地デッキやアーケード屋根が付いたコミュニティ型の仮設住宅と、山本理顕によるみんなの家のコンビネーションが相乗効果をもたらしている。その後、大船渡、陸前高田(ビエンナーレの金獅子賞に輝いた伊東、藤本壮介、平田晃久、乾久美子によるみんなの家、セルフビルドでつくられた徳田光弘らによる積み木の家)、そして気仙沼の日本建築大賞となった陶器浩一による竹の会所・復興の方舟、南三陸の宮城大学による番屋などをめぐる。建築家がそれぞれの持ち味を生かしながら、人々が集う新しい場をつくっている。

写真:左上から、宮本佳明《宝来館「星めぐりひろば」》、難波和彦《KAMAISHIの箱》、伊東豊雄《みんなの家 かだって》、平田公園の仮設住宅、山本理顕《みんなの家》、右上から、帰心の会《陸前高田の「みんなの家」》、徳田光弘《小さな積み木の家》、陶器浩一+高橋工業《竹の会所 ─復興の方舟─》、宮城大学竹内研究室《志津川本浜番屋》

2013/04/28(日)(五十嵐太郎)

《久慈市文化会館アンバーホール》《田野畑中学校・寄宿舎》ほか

[岩手県]

4日間かけて、八戸から南下し、福島までを縦断。透明な円錐形のヴォリュームによってアブストラクト・シンボリズムを表現した黒川紀章の久慈市文化会館アンバーホールや野田を経由し、東日本大震災の津波を防いだことで有名になった普代村の巨大防潮堤を訪れた。田老地区のスーパー堤防に比べて、長さは全然ないが、確かにすさまじい高さである。上に登って見渡すと、空っぽになったダムの中の村というべき風景だ。田野畑村では、穂積研究室や古谷誠章らによる質の高い建築群を見る。中学校の寄宿舎は傑作だ。一方、建て替えになった中学校は、残念ながら道の駅スタイルに変わっている。続いて、田老、宮古、山田町、大槌を久しぶりに訪れる。あれだけあった瓦礫は消えた。が、前に瓦礫の街を見ていなければ、果たしてそのことを想像できただろうか。

写真:左上=黒川紀章《アンバーホール 久慈市文化会館》、右上=普代村、左下=早稲田大学穂積研究室+古谷誠章《田野畑民俗資料館》、右下=穂積信夫《田野畑中学校・寄宿舎》

2013/04/27(土)(五十嵐太郎)

「From Postwar to Postmodern, Art in Japan 1945-1989」出版記念イベント

会期:2013/04/26

国際交流基金JFICホール[さくら][東京都]

筆者も戦後日本住宅論のエッセイを寄稿した戦後日本美術史のアンソロジーである「From Postwar to Postmodern, Art in Japan 1945-1989」の出版記念イベントが開催され、1960年代のセッションにおいて、磯崎新とともに参加した。ここではネオダダ、学生運動、メタボリズムなど、都市に出ていくラディカリズムの時代がテーマになる。その後は李禹煥の興味深い回想、今年のヴェネチア・ビエンナーレ日本館の構想に関するトークなどが続く。筆者はコミッショナーを決める委員会のメンバーでもあり、決める側だったが、田中功起の展示がさらに楽しみになった。それにしても、こうしたアンソロジーが日本よりも先に海外で刊行されてしまうのは、どうしてなのだろう。

2013/04/26(金)(五十嵐太郎)