artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

関さなえソロダンスvol.6 縞々─私はタマネギを食べられない

会期:2010/04/09~2010/04/11

GALLERY MAKI[東京都]

ダンサー関さなえの公演。前回のストイックでコンセプチュアルなダンスとは対照的に、今回は幼少の頃の身体の動きに回帰したかのような踊りを見せた。水であふれた長靴に足を突っ込み、上半身を固めたまま、足の指を水中でぐちゅぐちゅさせる遊びなど、誰もが一度は経験したことのある感覚が強く呼び起こされる。ただし、こうした原点回帰はたんに幼児の身体所作に立ち戻っているわけではなく、ダンサーとしての身体の奥底にまで滲みついてしまった西洋近代の身体技法を乗り越えるための方法なのだろう。随所に立ち現われるモダン・バレエの動きは、幼児の身体所作を意図しながらも、おのずと発現してしまう西洋近代的な身体技法のクセのように見えた。そのクセを否定的な契機として押さえ込むのではなく、肯定的な契機として生かしながら、新たな身体技法を切り開くことを、関は目指しているのではないか。

2010/04/09(金)(福住廉)

有賀慎吾 The Yellow Show

会期:2010/03/31~2010/04/11

Art Center Ongoing[東京都]

新進気鋭のアーティストとして注目を集めている有賀慎吾の新作展。有賀の代名詞ともいえる黒と黄色のデンジャラス・カラーはそのままに、これまでとは打って変わって観客参加型の作品を発表した。細長いパイプを自由に組み合わせることができる造形物を組み換えるように観客に促したり、怪しいお面をつけてビデオに写るように勧めたり、観客の感想を自由にノートに書きつけられるように設定したり、近年の観客参加型作品の傾向を強く意識した作品だ。だが、そこには観客参加型のアートの傾向に相乗りしようとする浅はかな戦略性というより、むしろ観客の参加をむやみに称揚しがちな昨今のアートそのものへの批評性がひそんでいる。いや、正確にいえば、それは批評性というより、底知れぬ悪意であり、それこそ現在の現代アートにもっとも欠落している精神である。有賀がすぐれているのは、作品の根本はそのままに、さまざまなアプローチによって、その重大な欠陥を補うことができるからだ。

2010/04/04(日)(福住廉)

永原トミヒロ展

会期:2010/03/29~2010/04/10

コバヤシ画廊[東京都]

人影のない街並みを青白く描いた平面作品。三叉路や電柱などモチーフは日常的なものだけれど、場所が特定できないばかりか、朝もやなのか夕暮れなのか、時間も定かではない、不思議な絵だ。おのずと死の光景を連想させるが、たとえば正木隆と似て非なるのは、正木隆の絵には重力から解き放たれたかのような浮遊感があるのにたいし、永原の絵にはむしろ地面がしっかりと描かれ、その重力の圏内で水平的に見た死の光景だからこそ、とてつもないリアリティを感じるのかもしれない。

2010/04/01(木)(福住廉)

ウラサキミキオ展

会期:2010/03/29~2010/04/03

ギャラリイK[東京都]

画家・ウラサキミキオの新作展。自室のある一点から見渡した光景を描き分けた前回の個展と比べると、その視線の範囲がかなり外側に押し広げられたようで、じっさい画面上には青々とした樹木の緑が目立っている。ウラサキの絵の特徴は写実的な光景の上に、それらとは直接関係しない方法で、白い影のような物体を貼りつけるデカルコマニーにあるが、その白い影もよりいっそう奔放に貼りつけられていたようだ。画面を成立させようとする求心力とそれらを破綻させかねない遠心力がせめぎあいながら辛うじて治まる、危うい均衡がウラサキの絵画の魅力である。

2010/04/01(木)(福住廉)

第13回岡本太郎現代芸術賞

会期:2010/02/06~2010/04/04

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]

13回目を迎えた岡本太郎現代賞。昨年と比べると、全体的に突き抜けた作品が多く、一つひとつの作品をじっくり楽しめた。アルミホイルで騎馬軍団を作り出して太郎賞を受賞した三家俊彦をはじめ、黒光りする銃器を紙と鉛筆で制作した長谷川学、日常用品の表面に塗料を幾重にも塗り重ねたうえでそれらを削り取って色彩のテクスチュアを見せる辻牧子など、愚直な手わざをひたすら追究した作品が目立つ。特定の美術理論が衰退したおかげなのか、作り手の創造性がじつに素直に発揮されている印象だ。そうした自由奔放さが、プロとアマはもちろん、国籍や年齢制限も問わない、この賞の間口の広さに由来していることはまちがいない。ただその一方で、審査員の趣向や好みを狙い撃ちにしたような作品が数多く見受けられたのも事実である。応募者のなかで「傾向と対策」が画策されているとすれば、それは審査員の評価基準が時代の先端からやや遅れ、硬直化しているということにほかならない。これを放置しておけば、せっかく良質の公募展としての評価を確立してきたのに、旧態依然としたセンスで現代の最前線を標榜する公募展に成り下がらないともかぎらない。いっそ審査員を丸ごと入れ替えて刷新を図るべきではないか。

2010/03/28(日)(福住廉)

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