artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

東北芸術工科大学卒業・修了展[東京展]

会期:2010/03/26~2010/04/03

東京都美術館[東京都]

東北芸術工科大学の卒業・修了展。本校での卒業・修了展の中から選抜された学生による作品が発表された。先に国立新美術館で催された東京五美大展と比べると、全体的に平均値が高く、ひとつひとつの作品の輪郭が際立っており、楽しめた。なかでも抜群だったのが、工芸の菊池麦彦。漆黒の机の上に木箱と漆を塗り重ねた色とりどりのルアーを並べ、あわせてそのルアーを使って本物の魚を釣り上げた映像も発表した。作品の見せ方もうまいし、何よりも漆のルアーで魚が釣れるという意外性がじつにおもしろい。美的に鑑賞されるだけではなく実用的な価値をも満たすのが工芸の本領だとすれば、美しくもあり使えるルアーは工芸の王道であり、古い技を刷新し続けていくことが伝統だとすれば、菊池のルアーはまちがいなく工芸の伝統である。

2010/03/27(土)(福住廉)

てんとう虫プロジェクト「未来への素振り」展

会期:2010/03/05~2010/03/28

京都芸術センター[京都府]

京都芸術センターのボランティア・スタッフが中心となって企画を運営する「てんとう虫プロジェクト」。今回は出品作家の小山田徹と伊達伸明を迎え、何度もミーティングを重ねながら企画を練り上げたという。ギャラリー南には小山田が中心となってミニアートセンターを設置して連日ゲストを招いたトークショウを開催し、ギャラリー北では伊達がコーディネイトしながら「記憶」をテーマとしたインスタレーションを制作した。とくに印象深かったのが、後者。暗室の中をペンライトのわずかな明かりを頼りに進んでいくと、壁のいたるところに「蛍」や「星空」、「落書き」、「友」といったテーマに即した言葉が描かれており、見る者の脳裏に焼きついた原風景がいやおうなく喚起されたが、さらに所々に仕掛けられた針金細工の影が夢幻的な光景を効果的に演出していた。とりわけ大掛かりではないものの、必要最低限の装置によって「記憶」というテーマを最大限に引き出すことに成功していたと思う。

2010/03/26(金)(福住廉)

シュウゾウ・アヅチ・ガリバー EX-SIGN展

会期:2010/02/27~2010/04/11

滋賀県立近代美術館[滋賀県]

「ガリバー」こと、安土修三の大規模な回顧展。高校在学中に発表されたハプニング《草地》のイメージ・ドローイングからフーテンの名士としてマスコミをにぎわせた60年代末に製作された個人映画、自分の死後の肉体を80分割にして80人にそれぞれの部位を保管させる契約を結ぶ《Body Contract》、自分の体重と同じ重さのステンレススチールの球体《重量(人間ボール)》、そして「立つ」「座る」「寝る」というそれぞれの姿勢にあわせて密閉された箱のなかで240時間を過ごす《De-Story》など、ガリバーのこれまでの制作活動を一挙に振り返る構成になっている。一見して明らかなのは、現在のアートの傾向を先取りした先駆性はもちろん、みずからの肉体への並々ならぬ関心である。そこに一貫しているのは、おそらく「わたし」の根拠としての肉体を凝視するナルシスティックな視線というより、むしろ自分の肉体を物体として徹底的に客観視することによって逆説的に「わたし」を浮き彫りにする方法的な手続きである。本来、土に返るはずの肉体を焼却や腐敗から免れる反自然的な物体として保存させる《Body Contract》は、そのことによって「ガリバー」という「わたし」を自然の摂理から切り離すかたちで浮上させるが、その「わたし」はまるで時空を超越して価値を発揮する芸術作品のようだ。芸術作品を作り出すアーティストとしての「ガリバー」にとどまらず、「ガリバー」そのものを芸術作品としてしまう、きわめて野心的かつコンセプチュアルな作品である。

2010/03/26(金)(福住廉)

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第36回人人展

会期:2010/03/14~2010/03/24

東京都美術館[東京都]

1974年に中村正義や山下菊二、星野眞吾らを中心に結成された人人会。本展は同会が主催する36回目の展覧会。団体展にありがちな因襲的な気質や窮屈な束縛感とは裏腹に、なんでもありの作品が立ち並び、見ていてじつにおもしろい。妖怪のような奇妙な生物を描いた大野俊治やF1のような流線型のフォルムで自動三輪車を作り出したLUNE、人間の横隔膜を精緻に描き出した亀井三千代、軽妙洒脱な墨絵を描いた古茂田杏子など、それぞればらばらな作品ながらも、密度が濃い。なかでも伝説のハプナーにして「ビタミン・アート」の提唱者で知られる小山哲生は、マリリン・モンローの顔をモチーフにした絵を十数枚発表したが、その顔面を微妙にデフォルメしながら最終的に骸骨まで描ききる展開の過程がおもしろい。セックス・シンボルとしてのマリリンが内側に抱える闇をえぐり出すような小山の手つきと視線が恐ろしくも感じられる絵だ。

2010/03/22(火)(福住廉)

六本木クロッシング 2010展:芸術は可能か?

会期:2010/03/20~2010/07/04

森美術館[東京都]

3回目を迎えた「六本木クロッシング」。今回は木ノ下智恵子、窪田研二、近藤健一によって選び出された20組のアーティストが参加した。ゼロ年代の現代アートを率先して牽引したスーパーフラットからマイクロポップへといたるサブカル平面路線が周到に排除されていたように、どうやらそれらとは別の系譜を打ち出すことが狙われているようだった。そのための歴史的な起源として動員されたのが、ダムタイプ。展示のトリに《S/N》が上映されていたように、80年代におけるダムタイプを起点として、森村泰昌、高嶺格、ログスギャラリー、宇治野宗輝、照屋勇賢、Chim↑Pomなどにいたるラインを歴史化しようとする意図が明らかである。その野心的な試みは理解できなくはないし、スーパーフラットとマイクロポップを相対化するうえで必要不可欠な作業であることはまちがいないが、その一方で全体的に展示の志向性が過去へと遡行していくことに終始しており、現在の生々しいリアリティや未来のヴィジョンが薄弱になっていたようにも思われた。やんちゃなストリート系を前フリとしてシリアスで思慮深い現代アートを持ってくる展示構成や、そのなかで見せられた作品も新作より旧作が大半を占めていたことが、そうした後ろ向きの印象によりいっそう拍車をかけていたのかもしれない(「また、これ?」と何度呟いたことか!)。そうしたなか、あくまでも前向きの姿勢を貫いていたのが、八幡亜樹と加藤翼。前者は山奥にハンドメイドで建てた「ミチコ教会」を舞台としたドキュメンタリーとも創作ドラマともつかない寓話的な映像作品を、後者は大人数で巨大な木製の構造物を引き倒しては引き起こすプロジェクトの映像作品を、それぞれ映像インスタレーションとして発表した。八幡の映像作品が虚構と実在のあいだをひそやかに切り開いているとすれば、加藤による集団的な力作業もまた起こしているのか倒しているのか曖昧なようにも見える。とらえどころのない空気感と、それを全身で実感しようとあがく運動性。アプローチこそ異なるにせよ、双方はともにキュレイトリアルな文脈からあふれ出るほどの魅力を放っている。

2010/03/19(金)(福住廉)

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