artscapeレビュー

高松次郎/鷹野隆大「“写真の写真”と写真」

2009年03月15日号

会期:2009/02/15~2009/03/15

太宰府天満宮宝物殿 企画展示室[福岡県]

初夏のような暑さかと思えば、真冬に逆戻り。そんな不安定な天気が続く日々を縫って、梅が真っ盛りの福岡県太宰府市の太宰府天満宮に新幹線と電車を乗り継いで出かけてきた。高松次郎(1936~98)が、1972年に制作し、73年のサンパウロ・ビエンナーレに出品した「写真の写真」シリーズ、さらに高松の「紐のたわみ」や「ビニールのたわみ」といった作品を、天満宮内で撮影した鷹野隆大の新作が同時に展示されるという、魅力的な企画のオープニングに誘われたからだ。
高松の「写真の写真」は去年同名の写真集(大和プレス、発売=赤々舎)としても刊行され、その時から「写真とは何か」というコンセプトを彼なりに突き詰めた意欲作として注目していた。だが今回、やや黄ばんだり、端が丸まったりしたプリントの状態で展示されていた「現物」を見ることができて、高松の思考と実践の凄みを、よりクリアーに理解することができた。置かれた場所、光の状態、ピンナップのされ方など、さまざまな条件が加算されることで、「写真」はその佇まいを大きく変えていく。物質としての印画紙には、「写真とは何か」という問いかけから安易に導きだされる思い込みを、揺さぶったり、無化したりする強烈な力が備わっているということだろう。高松以後も、似たような設定の作品を作った写真家・アーティストは何人かいるが、その手際の鮮やかさと徹底ぶりは際立って見えてくる。
鷹野の「写真」も面白かった。高松の作品の「コンセプチュアル」な要素が、彼の撮影行為によって微妙に膨らんだり、削られたりして、新たな生命力を発する“場”としてよみがえってくる。代表作である「影」シリーズを再現した作品で、影を演じているのは高松夫人と鷹野本人だという。時空を超えたアーティスト同士の対話が、ヴィヴィッドな形で実現している様子が伝わってきて、とてもいい波動の展示だった。2006年から開始された「太宰府天満宮アートプログラム」の企画は、今回で5回目になる。歴史のある場所の磁場が、参加アーティストたちに、よりよい刺激を与え続けていってほしいものだ。

2009/02/15(日)(飯沢耕太郎)

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