artscapeレビュー

小吹隆文のレビュー/プレビュー

Konohana's Eye ♯2 加賀城健 展「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」

会期:2013/09/06~2013/10/20

the three konohana[大阪府]

染色工芸の世界では失敗とされるボケやブレなどを積極的に取り込んだ作品を発表し、現代美術としての染色に新たな価値を付加してきた加賀城健。近年の個展では絵画を意識したタブロー形式の作品が多かったが、本展では、インスタレーション、壁画、屏風、反物をそのまま用いた長大な作品など、バリエーション豊かな表現が見られた。筆者自身、こうした枠にはまらない作品が加賀城との出会いだったので、今回の展開は望むところ。作品の伸びやかさから察するに、作家自身もタブロー形式に少々気詰まりを感じていたのではなかろうか。本展を機に、加賀城が新たな段階に入ったのだとしたら嬉しい。

2013/09/07(土)(小吹隆文)

山部泰司 展・溢れる風景画

会期:2013/09/03~2013/09/12

LADS GALLERY[大阪府]

主にベンガラ色で描かれた山部泰司の新作絵画。そこには深い森と、森を侵食する洪水や滝などが描かれていた。どこか黙示録的世界を思わせる情景だが、よく見ると森や樹木の大きさが部分ごとにまちまちで、遠近法も1点ではなく複数が脈絡なく展開している。つまり作品中に複数の情景がパッチワークされ、ひとつの大きな情景へと収斂しているのだ。ディテールを目で追うと矛盾の連続で、その都度脳内でイメージを修正しなければならない。でも、決して不快ではない。むしろ目の快楽が勝っているのだ。なんと不思議な絵画作品だろう。近年の山部は、古典絵画に描かれた樹木や森を引用した作品を発表し続けてきた。それがまさかこのような形で結実するとは。本展は、近年の山部の仕事を総括する重要な機会であった。当方にとっても、この間彼の作品を見続けてきたことが報われた気がして感慨深かった。

2013/09/06(金)(小吹隆文)

東北画は可能か?

会期:2013/08/31~2013/09/23

ARTZONE[京都府]

東北芸術工科大学の美術科日本画コース准教授の三瀬夏之介と、同洋画コース准教授の鴻崎正武により、2009年から始められたチュートリアル活動(教員と学生が共に取り組む課外活動)である「東北画は可能か?」。山形で、東北で、日本で、絵を描くことの意味を問い続けるこの活動は、決して明確な解答が得られるものではない。そもそも「日本画」「洋画」というジャンル分け自体が曖昧なのだから、さらに「東北画」を加えたところで屋上階を重ねるだけだ。しかし、彼らが言うとおり「問い続ける」ことには意味がある。アーティスト活動とは「問い続ける」ことの連続にほかならず、ジャンルはその後についてくる。すなわち「東北画」とは、彼らにとって突破口を見つけるためのキーワードにほかならない。今回は、同校OB、大学院生、学部生の作品と共同作品が展示された。作風や素材はさまざまだが、関西では見慣れないタイプの作品があったのもまた事実である。伝統文化の濃度が濃い関西で、彼らが放ったカウンターパンチの影響は決して小さくないだろう。

2013/09/03(火)(小吹隆文)

アートピクニック vol.3 マイホーム ユアホーム

会期:2013/08/31~2013/10/06

芦屋市立美術博物館[兵庫県]

わが家、住宅、家族、国、故郷など、さまざまな意味を内包する単語「ホーム」をテーマに、8組の作家を紹介した本展。さまざまな職業に扮したコスプレ家族写真で知られる浅田政志、取り壊される建物の記憶を建築部材によるウクレレで継承する伊達伸明など、どの作品もユニークかつ親しみやすいものであった。現代美術作家と美術教育を受けていない作家を同列に展示しているのも本展の特徴で、小幡正雄の段ボール絵画や高知県の沢田マンションの記録が美術家の作品と共演していた。そこには美術か否かよりもいまのわれわれにとって切実なことを優先する姿勢が感じられる。学究的な企画だけでなく、このような等身大の現代美術展も大切にしたい。

2013/08/31(土)(小吹隆文)

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石塚源太 つやのふるまい

会期:2013/08/27~2013/09/08

アートスペース虹[京都府]

複雑な曲面を持つオブジェ3点と、カッターナイフの刃で雪の結晶らしき模様をあしらった平面作品が2点。いずれも漆芸作品である。今回注目すべきは前者で、複数の円環が連続するフォルムが漆で覆われ、表面の艶(つや)がこれでもかとばかりに強調されていた。石塚は磨き込まれた表面の艶が漆芸の魅力の最たるものと考えており、艶が最も引き立つ形としてこれらの作品をつくり上げた。凸面はともかく凹面の研磨は困難であり、専用の道具を自作してこの難題を克服したそうだ。何ものにも似ず実用品でもないこれらの物体は、もっぱら美のためだけに存在している。その潔さもまた美しいと言うべきであろう。

2013/08/27(火)(小吹隆文)