artscapeレビュー
小吹隆文のレビュー/プレビュー
楢木野淑子展
会期:2016/01/11~2016/01/23
アートサロン山木[大阪府]
トーテムポールのような円柱状の陶オブジェが印象的な楢木野淑子の作品。オブジェの表面には様々なモチーフが浮き彫りされ、色鮮やかな色彩も相まって、生命礼賛的なメッセージが感じられる。彼女はこれまでグループ展以外で器を発表したことがなかったが、今回初めて器だけの個展を行なった。ただし、器といっても一筋縄ではいかない。形態こそオーソドックスだが、全体に細密かつ色鮮やかな装飾がほどこされているのだ。特に目立つのは、図像の輪郭線を浮き立たせるイッチンという技法や、浮き彫りを多用していること。また、ペルシャ風の図像を多用し、パール系のキラキラした透明釉を上がけしているのも大きな特徴である。見る人によって好き嫌いがはっきりと分かれそうだが、オリジナリティという点では申し分ない。おそらく鑑賞用の器だと思うが、あえてこれらに料理や菓子を盛ってみるのも面白そうだ。
2016/01/14(木)(小吹隆文)
牡丹靖佳「gone before flower」
会期:2016/01/10~2016/02/06
アートコートギャラリー[大阪府]
鉛筆による線画と輪郭線を持たない色面がせめぎ合い、複雑で不確かで中心を欠いたまま揺らいでいるような世界を描き出す牡丹靖佳の絵画。過去の個展では物語世界を設定し、その約束事に沿って作品を展開させていたと記憶しているが、本展の新作には物語がなく、1点1点が独立した存在として展示されていた。それでも最初の部屋と通路を超えた先にある最後の展示室では、角材をラフに組んで山に見立てた構造物と、瀧をモチーフにした縦長の大作2点、色面の塗り方がテキスタイルのパターンのような横長の大作などが並ぶインスタレーションめいた空間が出現。観客を静かなカタルシスへと導くのであった。作家の新たな一面と変わらぬ一面が同時に現れた個展であった。
2016/01/14(木)(小吹隆文)
シリア・失われた故郷 鈴木雄介 写真展
会期:2016/01/09~2016/01/24
ARTZONE[京都府]
ニューヨークを拠点に活動する報道写真家・鈴木雄介の個展。彼が2013年にシリアで取材した戦闘地帯とそこで暮らす人々の写真及び動画、そして2015年にレスボス島で取材したシリア難民の写真を展示した。恥ずかしながら筆者はシリアの状況について無知であり、本展でその現実を知り大きな衝撃を受けた。紛争がいったんこじれ出すともはや誰にも止められず、ひたすら負のスパイラルを転げ落ちていく。その様子は本当に痛々しくも恐ろしい。日本が同様の状況に陥らないことを心底から願う。シリアと難民に対して我々はどう対応すべきなのか。筆者を含む多くの日本人は返答できるレベルに達していない。まずは状況を把握すること。そのためにも本展の全国巡回が望まれる。なお、作者の鈴木とキュレーターの山田隼也は扇動的な態度を取らず、「まずは知ってほしい」の姿勢で臨んでいた。その冷静さは称賛されるべきだ。また本展では、動画の説得力が写真より明らかに上回っていた。やはりこれからは動画の時代なのか。筆者も勉強をせねばと自戒した。
2016/01/12(火)(小吹隆文)
山本爲三郎没後50年 三國荘展
会期:2015/12/22~2016/03/13
アサヒビール大山崎山荘美術館[京都府]
アサヒビールの初代社長・山本爲三郎(1893~1966)の没後50年を記念して、彼が生前に民藝運動をあつく支援した証である「三國荘」を再考する展覧会が開催されている。三國荘は元々、民藝運動の創始者である柳宗悦が1928年の御大礼記念国産振興東京博覧会に出品したパビリオン「民藝館」であり、博覧会終了後に山本が買い取り、大阪・三国の自宅に移築して「三國荘」と命名した。本展では、山本コレクションの陶磁器・調度品など三國荘ゆかりの品々を展示しているほか、三國荘の応接室と主人室を実寸大で再現しており、当時の様子をリアルに体感できる貴重な機会となっている。山本は民藝以外にも様々な美術工芸品をコレクションしており、それらのうち少なからずが関西の美術館・博物館に寄贈されている。我々はその恩恵を受けている立場であり、彼の業績に深く感謝を捧げるべきであろう。
2016/01/07(木)(小吹隆文)
超細密! 明治のやきもの 幻の京薩摩
会期:2016/01/02~2016/01/31
美術館「えき」KYOTO[京都府]
明治時代に海外で人気を博し、外貨獲得の輸出品として大量生産された薩摩焼。本家は鹿児島だが、大阪、京都、神戸、横浜でも生産され、大阪薩摩、京薩摩などと呼ばれた。本展はそれらのうち京薩摩に注目し、清水三年坂美術館の所蔵品で振り返るものだ。薩摩焼の特徴は人間離れした超細密な絵付けと金彩の多用だが、本展の作品も超絶技巧のオンパレードであり、あまりにも細かい装飾ゆえに途中で目が疲れ、何度も根負けしそうになった。しかしこれらの見事な工芸品を見て思うのは、昔から変わらぬ日本人の性質である。薩摩焼では極限的な技術を徹底的に追求し、器本来の実用性を超えて装飾が肥大化していく。それは現在の国内メーカーの一部に見られるガラパゴス化にも通じるのではないか。京薩摩のゴージャスな美しさに魅了される一方で、そんな思いが脳裏を横切るのであった。
2016/01/07(木)(小吹隆文)