artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
荒木経惟「センチメンタルな空」

会期:2012/08/24~2012/10/07
RAT HOLE GALLERY[東京都]
荒木経惟の写真展はまずその量で圧倒するものが多いが、今回もその例に洩れない。といっても、展示そのものはいたってシンプルで、会場の壁にスライドが淡々と上映されているだけだ。写っているのは、荒木が1982~2011年に暮らしていた東京・豪徳寺のマンションのバルコニーから眺めた空である。彼が30年近く見続けていた風景が、取り壊しのために失われてしまったわけで、先頃河出書房新社から出版された写真集『愛のバルコニー』の姉妹編と言えるだろう。驚くべきことはその上映点数で、約3,000枚、上映時間は3~4時間になるのだという。
オープニングのややざわついた会場で、それらを全部見ることはできなかったのだが、さわりだけでもその凄みは充分に伝わってきた。といっても、決して威圧的な作品ではなく、むしろ見ているうちに心が鎮まり、安らいでくるのを感じる。空、空、空のオンパレード。だが千変万化するその表情は見飽きるということがない。いつもの「アラキネマ」と違って、今回の上映には一切音楽や効果音がついていないのだが、そのこともよかったのではないかと思う。空の青い色が少しずつ体の奥の方に沈殿し、気持ちの全体が静かに染め上げられていくような気がした。
荒木が空を撮り始めたきっかけは、1990年の最愛の妻、陽子さんの死去だった。彼女への万感の思いを込めて、自宅のバルコニーから見える空に向けてシャッターを切り続けたのだ。死から生へ、そして再び死へと、ごく自然に思いが巡っていく。そのうちいつのまにかうとうととして、ふっと目を覚ますとスクリーンにはまだ空が写っている。その夢と現実の境目のような眺めがとてもよかった。
2012/08/24(金)(飯沢耕太郎)
鷹野隆大「立ち上がれキクオ」

会期:2012/08/24~2012/09/28
ツァイト・フォト・サロン[東京都]
ツァイト・フォト・サロンで発表された鷹野隆大の新作も、いかにも彼らしいアプローチの作品だった。撮影は2002~03年で、「キクオ」と称する中年の男性を撮影したシークエンス(連続場面)の2作品(115×115�Bが5点、48×48�Bが4点)が並んでいる。実は「キクオ」は、鷹野が1990年代末にミニコミ紙で「中年以上の男性ヌードモデル募集」という広告を出したときに、すぐに応募してきたのだそうだ(応募者は結局「キクオ」ひとりだけだった)。鷹野の「ヨコたわるラフ」シリーズ(2000)のなかにも、彼をモデルにした写真が入っている。
「キクオ」をすっかり気に入ってしまった鷹野は、その後も折りに触れて撮影を続けた。今回の出品作もそのなかのもので、太った「キクオ」が床や椅子から立ち上がろうとしている様子に、連続的にシャッターを切っている。特に心がけていたのは、モデルがフレームからはみ出してもカメラをほぼ動かさず、アングルを固定していたことだという。そのことで、顔や身体の一部が断ち切られているのだが、それが逆に面白い効果をあげている。全体に彼の体の「肉の塊」のような量感=物質性が強調されているわけだが、そのことに蔑視的な雰囲気があまり感じられないのが、鷹野の写真術の巧さと言える。むしろ、「キクオ」本人の微笑ましいような可愛らしさがほんのりと漂っていて、見ていて肯定的な気分になる。人間に常につきまとう、奇妙としか言いようのない存在のあり方を、思いがけない角度から照らし出すのが鷹野の作品の特徴だが、それが今回もよく発揮されているということだろう。
2012/08/24(金)(飯沢耕太郎)
西村大樹 展「月日」

会期:2012/08/24~2012/09/02
法然院[京都府]
現実の風景をもとに、一種の心象風景を描き出す西村大樹。彼は作品が単なる内面の表出に終わることをよしとせず、複雑な工程のエスキースを制作している。その工程とは、自分で風景を撮影し、プリントをサンドペーパーで削った後、酸化したアルミ板に貼り付け、最後にほんの少しドローイングを加えるというものだ。このエスキースをもとにタブローを制作することにより、作品は自己の内面と外界(自然)の接触から誘発されたものとなり、スケールの大きな普遍的表現になるのである。本展ではタブロー15点に加え、エスキース19点も展示された。エスキースの並置によりタブローの意図が明確になり、西村作品の理解が一層深まったことが本展の収穫である。
2012/08/24(金)(小吹隆文)
藤浩志の美術展 セントラルかえるステーション~なぜこんなにおもちゃが集まるのか?~

会期:2012/07/15~2012/09/09
3331 Arts Chiyoda[東京都]
藤浩志の個展。代表作《かえっこ》を中心に、これまでの表現活動を振り返る構成だが、それらを「変える」「替える」「還る」「買える」など、さまざまな「かえる」によって整理したことで、展示の構成に強力な一貫性を与えていた。藤の表現活動がつねに社会的な文脈と密接した現場で実践されてきたがために、昨今のアートプロジェクトの源流のひとつに藤がいることがよくわかる展示だった。だが、それ以上に強く思い至ったのは、藤の表現活動を構成する要素のひとつとして限界芸術が大きく作用しているのではないかということだ。ペットボトルや玩具を組み合わせて構成されたドラゴンや恐竜の造形物は、平田一式飾りのような民俗芸術と明らかに通底しているからだ。ありあわせの日用品を造形する無名の人びと。それは、《かえっこ》の集大成として見せられた、各地で集められた玩具を色別にして会場の床一面に拡げたインスタレーションにも認められた。玩具の集積の背後には、交換を楽しんだ子どもたちと、その玩具を制作したデザイナーの存在が確かに感じられたからだ(玩具デザイナーは専門的な芸術家とみなされがちだが、無名性を前提としている点では非専門的な芸術家としても考えられる)。今後は、藤浩志というひとりの作家にとどまらず、アートプロジェクトという表現形式を限界芸術の視点によって分解しながら旧来の民俗芸術と接続する研究なり批評が必要とされるのではないか。
2012/08/23(木)(福住廉)
うつゆみこ「ばらまど」

会期:2012/08/18~2012/09/30
G/P GALLERY[東京都]
カラフルかつ可愛らしい、だが時にグロテスクでエロティックなオブジェ+コラージュ作品で知られるうつゆみこの新作展は、期待にたがわぬ面白さだった。今回の個展には、代表作の「はこぶねのそと」シリーズの延長線上の作品に加えて、新作の「ばらまど」のシリーズも展示されていた。これまた、彼女の偏執狂的なこだわりが爆発した連作で、同心円上に並んださまざまな物体に、円形の切り紙が網状に掛けてある。使っている材料は野菜、果物、魚介類など、うつ好みの「食べ物」オンパレードだが、以前のシリーズと比較すると、より抽象度が増しているのに気がつく。
ただ細部に目を凝らすと、「グロとエロとカワイイ」が三位一体となった圧倒的な物質感は健在で、これはこれで彼女の本領が充分に発揮されたシリーズと言えるだろう。一見、コンピュータで画像合成したように見えるが、エビのひげの曲がり具合などをみると、やはり一個一個手で並べて形をつくっているようだ、超細かい編み目模様の切り紙も含めて、気が遠くなるようなエネルギーが費やされているわけで、そのあたりの手抜きのなさが彼女にしかできない世界の構築に結びついている。他にも自作のカラーコピーを、キッチュな布張りの額におさめた小さな作品が机の上に山のように並んでいて、見ているうちに目と頭がクラクラしてきた。この作家の無償のエネルギーの噴出は、いつの間にかとんでもないレベルにまで達しているのではないだろうか。
2012/08/23(木)(飯沢耕太郎)


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