artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
カタログ&ブックス│2012年8月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
3.11/After 記憶と再生へのプロセス

監修:五十嵐太郎
発行日:2012年8月15日
発行:LIXIL出版
価格:2,625円(税込)
サイズ:A5判、319頁
2012年3月仙台と、フランス・パリで開催された建築展「3.11──東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」の展覧会採録と、東北大学せんだいスクール・オブ・デザイン特別講義「復興へのリデザイン」でのレクチャーを基にまとめられた。巻頭対談として隈研吾と五十嵐太郎「After 3.11 を生きるということ。」、巻末「[ブックレビュー]震災を読む25冊」など。
インタラクションデザイン/RCAデザイン教育の現在 神戸芸術工科大学レクチャーシリーズII……5

編集:神戸芸術工科大学デザイン教育研究センター
発行日:2012年3月27日
発行:新宿書房
価格:2,100円(税込)
サイズ:A5変判、168頁
イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で行われている最先端の「インタラクション・デザイン」の研究と教育メソッドを紹介する。RCAのアンソニー・ダン教授へのインタビューやRCAのデザイン・インタラクション学科で学んだスプツニ子! の大学特別講義を収める。他に学生などによるプロジェクト作品を紹介。[新宿書房サイトより]
パリの運命

著者:ル・コルビュジエ
翻訳者:林要次、松本晴子
発行日:2012年7月30日
発行:彰国社
価格:1,260円(税込)
サイズ:四六変判、92頁
ル・コルビュジエがパリの運命を託したのは、人と生が輝く都市であり、すまいだった。ル・コルビュジエの《輝く都市》の入門書にして、その核心『パリの運命』。[彰国社サイトより]
NAOSHIMA NOTE 2012.6 建築でみるベネッセアートサイト直島

編集:ベネッセアートサイト直島
発行日:2012年6月5日
発行:ベネッセアートサイト直島
サイズ:B5判/16頁
1992年のベネッセハウス以来のそれぞれの建築家の思想を反映しつつ、場の特性を深く読み込んだ空間をもち得た、周囲の環境、自然、そしてアート作品と一体になっている建築が建設されてきた。ベネッセアートサイト直島のアートや自然と同様に、建築の重要性を常に考え、島の風土や歴史を尊重し、瀬戸内海の光や空気、海や木々に溶け込んだ建築を建築家と共に目指してきた直島、豊島、犬島の建築を通して、これまでのベネッセアートサイト直島を振り返る。「ベネッセアートサイト直島20年建築史」、五十嵐太郎による「建築と美術と風景が融合し、世界のどこにもない場所をつくる」掲載。
インタラクションデザイン KDU, RCA, MAU, IAMASジョイントワークショップ2012報告

編集:神戸芸術工科大学デザイン教育研究センター
発行日:2012年6月20日
サイズ:A5判/167頁
神戸芸術工科大学にて2011年度共同研究「情報化社会における大学のデザイン導入教育に関する研究」の研究教育プログラムの一環として、ロンドンRCAからデザイナーのフィオナ・レイビイ氏を招聘、武蔵野美術大学情報科学芸術大学院大学、神戸芸術工科大学の三大学ジョイントによるデザインワークショップの記録。1日のうちのコアタイムはすべて英語でコミュニケーションを行なうなかでの、学生らのアイデアあふれるプロジェクト提案、プレゼンテーションでの活発な討議が行なわれた。
ねもは003

発行日:2012年8月8日
価格:1,300円(税込)
サイズ:A5判、144頁
東北大学大学院有志が制作する建築雑誌。今号の特集は「建築のメタリアル」と題し、現代の情報と物質の関係を明らかにすることで、ジャンルの対立を越えたこれからの建築の「現実」の有り様をかたどる。早稲田大学芸術学校校長である鈴木了二氏や、慶應義塾大学環境情報学部准教授である田中浩也氏のインタビューを掲載。
http://nemoha.blog.fc2.com/
2012/08/15(水)(artscape編集部)
秦雅則「人間にはつかえない言葉」

会期:2012/08/08~2012/09/02
artdish[東京都]
秦雅則の新作はやや意外なことに風景写真だった。彼はこれまで自分や身近な人たちのポートレート(ヌードを含む)や、雑誌のグラビアページなどの性的なイメージの再構成を中心に作品を発表してきた。ところが、今回の「人間にはつかえない言葉」では、被写体が彼の周囲の親密な空間から離脱して外部化している。これまでの作品世界を壊しかねない領域へと、思い切って踏み出しつつあると言えるのではないだろうか。
もっとも、「瞬間の定着を信仰せず、流動をそのまま写真にすることを選択」するという態度はそのまま引き継がれており、11×11インチのスクエアサイズに引き伸ばされた12点の風景写真(他に22×22インチの作品が3点ある)に写っている被写体には、固定した物質性はあまり感じられない。画像の一部に黒々と腐食したような空白が顔を覗かせているのが、その印象をより強めているとも言えるだろう。もうひとつ気になるのは、3本の蝋燭、屹立する棒杭、ピラミッド形のシルエット、不吉なたたずまいの水鳥など、どことなく宗教的な儀式性を感じさせる物が被写体に選ばれているということだ。これはむろん意識的に選択されているわけで、写真を「現在から未来への挽歌」として捉えていこうという秦の意志が、はっきりと表明されていると言えそうだ。
この「人間にはつかえない言葉」というタイトルは、「使えない」と「仕えない」のダブルミーニングになっており、「鏡と心中」というより大きなくくりの連作の一部となるのだという。こういったネーミングを見ても、秦は言葉を詩的言語として使いこなす才能にも恵まれている。それは展覧会と同時期に刊行された写真集『鏡と心中』(artdish g)におさめられた「記憶と記録」という夢日記風の文章を読んでもよくわかる。写真とテキストとの関係のあり方も、今後さらに研ぎ澄ましていくべきではないだろうか。
2012/08/14(火)(飯沢耕太郎)
辰野登恵子/柴田敏雄「与えられた形象」

会期:2012/08/08~2012/10/22
国立新美術館企画展示室2E[東京都]
取り合わせの妙というべき展覧会だ。辰野登恵子は油彩による抽象画、柴田敏雄は緻密かつスケール感のある風景写真で、それぞれすでに高い評価を受けているアーティストだが、この二人の作品を一緒に展示するということは、普通は思いつかないだろう。ところが、あまり知られていなかったことだが、辰野と柴田は東京藝術大学絵画科油画専攻の同級生(1968年入学)だったのだ。在学中には、同じく同級生の鎌田伸一を加えてコスモス・ファクトリーというグループを結成し、シルクスクリーン作品を中心に発表していた。卒業後はまったく違う道を歩むのだが、辰野と柴田のアーティストとしての活動は同じ母胎から出発したと言えるだろう。
実際に彼らの作品を見ると、意外なほどに共通性があることに気がつく。画面を大づかみな色面のパターンとして把握し、構築していくやり方は、メディウムの違いを超えてかなり似通っている。特に2006年以降、柴田がそれまでのモノクロームからカラーにフィルムを変えてからの作品は、基本的な世界の見方に同一性があるのではないかと思ってしまうほどだ。今回の展示を見てあらためて強く感じたのは、辰野が展覧会のカタログにおさめた対談(「偶然と必然、選択と創作~コスモス・ファクトリーから国立新美術館まで~」)で指摘しているように、柴田が「絵描きの目でカメラを扱っている」ということだった。柴田がもともと優れたデッサン力を持つ「絵描き」だったことは、難関の東京藝術大学絵画科に現役で入学したということからもわかる。たしかに彼の写真を見ていると、目の前の事物を二次元の平面に置き換えていくプロセスが、「絵描きの目」で、力強く、絶対的な確信を持って成し遂げられていることがわかる。辰野が言うように、柴田の写真作品を「絵がやり損なったというか、立ち往生しているポイントに光をあて、写真で絵になっている」という側面から見直す必要があるのではないだろうか。
2012/08/12(日)(飯沢耕太郎)
新宮さやか展

会期:2012/08/11~2012/08/26
ギャラリー器館[京都府]
繊細きわまりない造作と、それらの驚くべき密集性、そして植物を思わせる有機的形態で知られる新宮さやかの陶オブジェ。本展でもその方向性に変化はなかったが、とても興味深かったのは彼女が器をつくったことだ。きっかけは画廊主からのリクエストだったが、オブジェとの関係性をどう扱うかは悩ましい課題だったに違いない。しかし、新宮はその壁を見事に乗り越えた。オブジェの特質を生かしながらも器として成立する、ユニークな形態・形式の創造に成功したのだから。器という新たな武器を手にしたことで、彼女の活動領域は今後大きく広がるだろう。
2012/08/12(日)(小吹隆文)
井上廣子 展〈Mori:森〉

会期:2012/08/07~2012/08/19
ギャラリーヒルゲート[京都府]
社会性の強いテーマや人間存在の本質を問うような作品を、写真やインスタレーションなどで表現してきた井上廣子。彼女が新作のモチーフに選んだのは、日本の東北とドイツの森だった。これらの場所は、いずれも天災や戦争にまつわるエピソードを持っているが、作品にそれを直接匂わせるような手掛かりは仕込まれていない。井上は昨年、東日本大震災のニュースに接した際、これまで自分は自然をテーマにしたことがなかったと気付き、本作の構想に入ったそうだ。その意味で、今回の作品は一種のエスキースと見なすこともできる。今後コンセプトや技法などが煮詰められ、数年後にはかっちりまとまったシリーズ作品が生み出されるのではなかろうか。その端緒を見られたという意味で、本展は貴重な機会だった。
2012/08/12(日)(小吹隆文)


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