artscapeレビュー
荒木経惟『死小説』
2014年01月15日号
発行日:2013年10月31日
文芸雑誌『新潮』2012年2月号から13年8月号隔月20ページずつ連載されていた荒木経惟の「死小説」が、A5判変型の写真集としてまとめられた。209枚の写真が何のテキストもなくただ並んでいるだけ。それを「小説」と言い張るところがいかにも荒木らしい。
内容的には、これまで荒木が編み続けてきた「日録」的な構成の写真集と同工異曲のものだ。日々の出来事を撮影した写真の合間に、「Kaori」や「人妻エロス」や「バルコニー」などのお馴染みのシリーズが挿入され、新聞やポスターなどの複写が添えられる。前立腺癌の手術など、荒木自身の体調があまりよくなかったことが影響しているのだろうか。カダフィ、三笠宮寛仁、大鵬、サッチャーの訃報記事のような、“死”のイメージが大きく迫り出してきているように思える。それに加えて、連載中は東日本大震災とその後の福島第一原発の大事故の余波が重苦しくのしかかる時期だったことも見逃すわけにはいかないだろう。
このような荒木の写真集を、何冊となく見続けてきたわけだが、それでもなおページを繰るたびに、あらためてその中に引き込まれ、驚きと感嘆を押えられなくなる。おそらく彼自身、あらかじめ物語をこのように進めていこうというような予測や思惑を持って、写真を撮影したり選んだりしているわけではないはずだ。にもかかわらず、ラストの亡き父親の遺影や『往生要集』の地獄絵図などのパートまで、あたかも神の手に導かれるように、よどみなくイメージの流れが続いていく。そこから見えてくるのは、まぎれもなく荒木が「死を生きる」ことを写真家の日常として選びとっているということだ。そのことの凄みを、何度でも味わい尽くすべきだろう。
2013/12/31(火)(飯沢耕太郎)