artscapeレビュー
映像に関するレビュー/プレビュー
Li-Ren Chang(張立人)展「古典小電影」
会期:2013/12/16~2013/12/27
YOD Gallery[大阪府]
台湾の映像作家が日本初個展を開催。出品作品《古典小電影》シリーズは、名作絵画やポスターの女性たちが服を脱いで裸になるもので、名称は台湾の戒厳令時代に上映されていたポルノ映画に由来する。作品の真意は、戒厳令時代に人民と政府が口裏を合わせたかのように規範的な日常を送り、社会の矛盾に目をつむっていたことへの言及であり、少女が服を脱ぐ過程で作品と観客の内面に発生する矛盾を明らかにすることだ。有名な絵画の主人公たちが表情を変えずに服を脱いでいくことには驚かされたが、欲情するほどのエロさではない。むしろ、不自然な動作とシチュエーションが醸し出す滑稽さこそが、このシリーズのキモではないかと感じた。
2013/12/16(月)(小吹隆文)
フォスター卿の建築術
アップリンクから『フォスター卿の建築術』のDVDが出るのに併せて、テキストを依頼された。その時初めて見たのだが、とても面白い。子どものときに初めて描いたドローイングが飛行機で、自分が建築家として働きながら空を飛ぶ感覚を味わっていたという。映画の『風立ちぬ』を思い出すエピソードである。ベルリンのラヒスタークに関して、興味深い話があった。当初、フォスターは議事堂を覆う巨大な大屋根を提案していたが、コストがかかり過ぎるということで没になり、ドームの復元が要求されたらしい。が、たんに過去の再生では納得がいかないから、現在の環境共生型のガラスのドームになったという。
2013/12/15(日)(五十嵐太郎)
ゼロ・グラビティ
会期:2013/12/13
映画『ゼロ・グラビティ』は、ほとんどひとりのシーンだけで、どうやって90分を持たせるかと思ったら、危険につぐ危険のジェットコースター・ムービーになっており、重力がある地球に帰還する最後まで、緊張感を維持していた。最近、CGを使う映画はお決まりの超人戦闘シーンによる都市の破壊ばかりで食傷気味だったが、こんなシンプルな設定で無重力の空間を描く表現の可能性があるのだと、新鮮に感じた。これは「揺れる大地」どころか、立つべき大地すら存在しない静寂な闇の無限空間である。宇宙=死の世界(娘の喪失)での絶望から、結果はともかく最高の旅という肯定を経て、生命の世界への帰還。よろめきながら大地に足を踏みしめるまでの90分。
重力がないことを徹底的に描きながら、逆説的に重力の意味を思い起こさせる『ゼロ・グラビティ』を鑑賞した後は、今までの/これからの宇宙を舞台とするほとんどのSFの見え方が変わってしまう。また全映画と言ってよいが、地球上の映画はSFであるないにかかわらず、すべて重力が自ずと表現されていたのだ。つまり、コンピュータが映画内のあらゆる動きを計算しようとすれば、あるいは映画だけの情報をもつ地球外の知的生命体がいたとして、必ずや重力の法則を見出す。以前、アーティストの彦坂尚嘉と人間は最初にどうやって直角を発見したかを議論したとき、僕の考えのひとつは重力が垂直→直角の概念を普遍的に見出させるというものだった。
2013/12/15(日)(五十嵐太郎)
高橋耕平 個展 HARADA-san
会期:2013/12/06~2013/12/27
Gallery PARC[京都府]
反復や複製から発生する小さなズレや比較をテーマにした映像作品で知られる高橋耕平が、一風変わった新作を発表した。それは、「はらださん」という京都の美術関係者の間では有名なアート・ウォッチャー(コレクターではない)の日常と個人史を追った、約1時間のドキュメンタリー形式の映像作品である。会場には、1枚の白い板が立ち、片面に映像が投影され、反対側には「はらださん」の個人史が年表として提示される。しかし、彼が語る言葉にせよ、年表にせよ、それが真実だと裏付けるものは一切ない。だとしたら、人間は何を見て、何を知っているというのか。そんな根本的疑問とともに、ドキュメンタリーという形式が鑑賞者の認識をステレオタイプ化させる可能性についても考えさせられる作品だった。
2013/12/13(金)(小吹隆文)
かぐや姫の物語
会期:2013/11/23
高畑勲『かぐや姫の物語』を見る。CGではなく、手描きを追求したものだが、アメリカ/ディズニーとは違う方法論で、生き生きと絵に命を吹き込むことができることに、アニメの希望を感じた。建築史の教科書に出てくる寝殿造が生きられた空間になっていた。誰もが知っている昔話を現代的な文脈で甦らせる手腕も恐れ入ったが、天真爛漫だが特別な女性というキャラ設定はジブリのテンプレートかもしれない。
2013/12/03(火)(五十嵐太郎)