artscapeレビュー
パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー
TOHO MUSICAL LAB.『CALL』
会期:2020/07/11~2020/07/12
シアタークリエ[東京都]
東宝が新たに立ち上げたTOHO MUSICAL LAB.は「30分程度の短編オリジナル・ミュージカル」「今回が初演であること」「内容・テーマは自由」「スタッフ・俳優・ミュージシャンは感染症対策に細心の注意を払い制作すること」を条件にクリエイターに新作を依頼し上演する企画。第一弾となる今回は三浦直之(ロロ)の作詞・脚本・演出による『CALL』と根本宗子(劇団月刊「根本宗子」)の脚本・演出による『Happily Ever After』が二本立てで配信された。
いずれも完成度の高い作品だったが、特に『CALL』は「劇場で演劇を見ることの楽しみを思い出していただけるような そして初めて演劇をご覧いただくお客様にも楽しんでいただけるような前向きな“実験”」であるというこの企画の1本目にふさわしい作品となった。
人のいないところで「聴衆のいない音楽会」を開く旅をしてきたガールズバンド「テルマ&ルイーズ」。彼女たちがあるとき迷い込んだのはかつて劇場と呼ばれた廃墟だった。たまたま発見した演劇の衣装に夢中になる長女・シーナ(森本華)と次女・オドリバ(妃海風)。一方、三女・ミナモ(田村芽実)が舞台で歌っていると、誰もいないはずの客席から拍手の音が聞こえてくる。それはかつてその劇場で働いていたドローンのヒダリメ(木村達成)だった。当惑するミナモは「誰?」「どうして拍手しているの?」「観客って何?」と続けざまに問いを投げかける。その世界では劇場や演劇という文化はしばらく前に失われてしまい、彼女はそういうものに触れたことがないらしい。
ヒダリメは劇場の記憶を語り出す。数々の名舞台。それを見る観客たち。いつも同じ席に座っていたフジワラさんとミズハシさん。しかしいつしかふたりの距離は徐々に近づいていき、ついには間にたったひとつの席を挟むのみ。だがヒダリメがふたりのその後を見届けることはない。観客は劇場の外の世界を生きているからだ。劇場専属ドローンであるヒダリメにとって劇場は世界のすべてだが、それ以外の人々にとっては劇場は世界の一部でしかない。観客は必ず外の世界に戻っていく。だがそれでも、観客は何かと出会うために劇場に足を運ぶだろう。
出会いの場としての劇場への愛にあふれたこの作品には同時に、たとえ観客がいなかったとしても失われない表現することの悦びも描かれている。なんせ「テルマ&ルイーズ」はわざわざ人のいないところを探して音楽会を開いているのだ。「誰かに届けたくて歌ってるわけじゃない」という言葉には歌うことの悦びが刻まれている。「景色に聞いてほしいって思って歌ってるよ」というオドリバの「景色にあたしの歌が映えるんじゃなくて、あたしの歌に、景色が映えるの」という言葉はふざけても聞こえるが、自ら表現することで世界がより輝いて見えることは確かにあるのだ。
発した声がたまたまどこかの誰かに届いてしまったとき、客席にいたヒダリメがミナモに誘われ舞台に上がったように、その声を聞いた誰かもまた自らの声を発してみたくなるかもしれない。演劇は、歌は、小説は、マンガは、あらゆる芸術と人間の営みはそのようにして反響しあっている。だから、いずれにせよ演劇は続いていくのだという力強い希望。
タイトルの『CALL』は一義的には観客から俳優たちへと向けられるカーテンコールを意味するが、それは同時に劇場=表現者から観客への呼び声でもある。会場となったシアタークリエは新型コロナウイルス感染拡大防止のため休館期間を経て、このTOHO MUSICAL LAB.で数カ月ぶりの再開を果たした。それは未だ無観客での上演だったが、配信された映像を観た観客はかつて通った劇場への、あるいは未だ足を運んだことのない劇場への思いをかき立てられただろう。
公式サイト:https://www.tohostage.com/tohomusicallab/index.html
2020/07/11(土)(山﨑健太)
ウンゲツィーファ『ハウスダストピア』
会期:2020/07/01〜
『ハウスダストピア』はウンゲツィーファのウェブショップで購入することができる「郵送演劇」。郵送されてくる「チケット」には九つのQRコードが記載されており、観客はそれをスマートフォンで読み込むことでウェブ上の音声にアクセスし演劇を「鑑賞」する仕組みだ。QRコードには「ベッド(布団)」「洗面所」「キッチン」など、それぞれの音声を再生すべき場所が指定されており、観客は自宅のなかを移動しながら、それぞれに「その場所」を舞台とした音声を聞くことになる。
「その場所」といってももちろん、観客たる私の家で実際に何かが起きるわけではない。私はあくまで音声を聞いているだけなのだが、その「何もしてなさ」がむしろこの作品に奇妙な生々しさを与えている。たとえば1とナンバリングされ「ベッド(布団)」での再生が指定されている音声。添えられたイラスト(たからだゆうき)に布団の中でスマホの画面を眺める人物が描かれていることもあり、なんとなく寝転がって音声を再生してみる。聞こえてくるのは寝息らしき呼吸音。しばらくするとスマホのアラームとバイブ音が鳴り、起床した寝息の主は足音から推察するにベッド(布団)から離れていったようだ。一方の私はまだ自分の布団に寝転がったままだ。
『ハウスダストピア』の音声はYouTubeの限定公開動画のかたちで配信されており、「チケット」にはわざわざ「静止画ですので画面を見る必要はありません」と注意書きがある。しかし音声は最大でも5分程度なので、画面を見なくてもよいと言われても、何かほかのことをやりながら視聴するには少々短い。スマホでYouTubeを視聴する場合、有料会員に登録していないとバックグラウンド再生ができないため、私のスマホではながら視聴もできない。ぼんやりと音声を聞くことしかできない、それ以外何もしていない私のすぐそばで、何かが起きているような音がする。
続く2の場所は洗面所。歯磨きを終えると男が語り出す。「この部屋は僕の部屋だ。何故なら僕が住んでいるからだ。でも、そのことは、僕の前に住んでいた人も、さらにその前に住んでいた人も思っていただろう。そして僕の後に住む人も思うのだろう」。私の部屋に漂う幽霊のような声と、部屋に蓄積された記憶。しかしそれは存在しない記憶だ。私のいるこの部屋に、私より前に住んでいた人はいない。
耳を澄ませると聞こえてくるというおじさんの声に関するエピソード(都市伝説?)。身に覚えのない届け物。ここにある/ここにはない、もうひとつの家。やがて声の主は荷物をまとめ、その/この家から引っ越していく。「さよなら」。私はその声を自宅の玄関で聞き、そして取り残される。幽霊のように。
『ハウスダストピア』の最後のパートには「あなたが読むべき台詞が記されて」いる。このことは購入ページの説明書きで前もって告げられている。「あなた」は手紙を待つように自らが読むべき台詞が届けられるのを待ち、そしてそれを読むことになるだろう。手紙=戯曲の言葉が読み上げられることで、そこに書かれた言葉があなたの声で立ち上がる。
『ハウスダストピア』にはHomestay at Home vol.1とシリーズ名が付されている。ウンゲツィーファはこれまでの劇場での公演でも、異なる複数の時空間を劇場という「いまここ」へと巧みに重ね合わせることで、「私たち」が生きる世界のバラバラさと、それでもそれらがひとつの世界であることを描いてきた。自宅でのホームステイと名付けられたこのシリーズは、観客各々の家に、それとは異なる時空間を送り込む試みと言えるだろう。
『ハウスダストピア』は作・演出の本橋龍の戯曲集(『青年(ヤング)童話脚本集①②』)とともにウンゲツィーファのウェブショップで販売中。7月15日(水)からはウンゲツィーファの新作として吉祥寺シアターを舞台とした無観客の演劇公演/連ドラ演劇『一角の角(すみ)』が上演/配信予定だ。
公式サイト:https://ungeziefer.site/
ウェブショップ:https://unge.thebase.in/
関連記事
映画美学校アクターズ・コース『シティキラー』| 山﨑健太:artscapeレビュー(2020年04月15日号)
ウンゲツィーファ『転職生』| 山﨑健太:artscapeレビュー(2018年04月01日号)
2020/07/07(火)(山﨑健太)
ロロ×いわきアリオス共同企画 オンライン演劇部『オンステージ』
会期:2020/06/27~2020/06/28
ロロ×いわきアリオス共同企画 オンライン演劇部「家で劇場を考える」は福島県いわき市にある文化交流施設「いわきアリオス」が「新型コロナウイルス感染症の影響で世界的に苦しい状況が続くなか、(略)“創造的な日常”を応援するべく、芸術文化を通したコンテンツを無料配信する『#おうちでアリオス』」の一企画。『オンステージ』はそこでつくり上げられた作品のタイトルだ。2017年7月から毎年開講されているいわきアリオス演劇部でも講師を務めるロロ・三浦直之を脚本・演出に、セノグラファーで舞台美術家の杉山至をワークショップ講師に迎え、アリオス演劇部のOB・OG(白土和奏、原田菜楠、齋藤永遠、門馬亜姫、秋葉ゆか、森﨑陽)にロロの俳優陣(望月綾乃、森本華、島田桃子)を加えた出演者9名によるオンライン演劇が上演・配信された。
「Zoomをつかって作品をつくってみてもなかなか演劇になってくれない。作品をつくるだけだとそれはやっぱり映像作品で、これを演劇にするためにはきっと観客についてもっと考えなくちゃいけない。演劇はみるだけじゃなくて過ごすものだ」と言う三浦が書いたのは「オンライン演劇を鑑賞する『ホームシアター』開演までの10分間の物語」。八つに分割されたZoomの画面の中央にはミニチュアの舞台らしきものが映っている。残りの七つのウインドウにはそれぞれイヤフォンで音楽(?)を聞きながら思い思いに過ごす人々。ミニチュア舞台の枠に現われた人物の「いらっしゃいませ。みなさま、会場BGMを流しながら、お席にておまちください」という言葉に対し「開演ってあとどれくらいですか」と質問が投げかけられ、もうすぐ演劇が始まるところだということがわかる。どうやら周囲の七つのウインドウに映る人々は観客で、「それぞれのやり方で、各々の気持ち高めていって」いるところらしい。遅れてさらにひとつウインドウが現われ、九つのウインドウが開演のときを待つ。
演劇を観るという体験には、作品を観るまでの、そして観たあとの一連の出来事も組み込まれている。チケットを確保し、劇場の場所を調べ、電車に乗り、劇場に着き、席に座って当日パンフレットを読み、開演を待つ。上演が終われば劇場の近くのラーメン屋に寄り、作品を反芻しながら帰途につく。オンライン演劇をはじめとする、新型コロナウイルスの影響下にある「演劇」あるいはその代替物が、作品の完成度とは別のところで物足りないものになってしまうのは、自宅での鑑賞では、劇場に足を運ぶという体験が、それによって生じるはずの環境の変化が失われているからだ。
だからこそ、三浦は演劇の上演前の時間にフォーカスをあて、開演を待つ観客の姿を描き出す。「お客様には、開演まで、それぞれが用意した音楽を聴きながら過ごしてもらっている」という設定も、それこそ「気持ち高め」るための、自宅にいながらにして劇場気分をつくり出すための工夫だろう。
もちろん、劇場に足を運ぶことは気分だけの問題ではない。環境の変化は出会いの可能性を呼ぶものだ。出会うのは人とは限らない。それはコンビニに並ぶ新商品かもしれないし、いままで通ったことのない路地、そこに見える風景かもしれない。現実のオンライン演劇では、おそらくは運営上のリスク管理の観点から、観客同士の「出会い=接触」は避けられる傾向にある。だが、三浦はあえてオンライン演劇の「客席」を描き、そこで生まれるささやかな交流を描いた。それは「出会い」を描き続けたきた三浦の願いの表われのようにも思えたのだった。
『オンステージ』は脚本と映像のアーカイブが公開されている。9名の出演者のうち台詞のある役は3名のみ。共通の脚本で配役をシャッフルした3チームのバリエーションも見どころだ。
『オンステージ』アーカイブ配信:https://alios-style.jp/cd/app/?C=blog&H=default&D=01989
『オンステージ』台本:https://iwaki-alios.jp/cd/sites/files/2006online_engeki_daihon_3.pdf
『オンステージ』当日パンフレット:https://alios-style.jp/cd/app/?C=blog&H=default&D=01984
2020/06/28(日)(山﨑健太)
ロロ「窓辺」 第3話『ポートレート』
会期:2020/06/26~2020/06/28
ロロによる連作短編通話劇「窓辺」の第3話は『ポートレート』。「今後も継続予定」だが「一旦一区切り」となるという第3話は、物語を完結させるのではなく、描かれる世界の余白とそれが存在する手触りとを感じさせる作品となった。
「ビデオ電話しながら肖像画を描かせてくれる人がいたらDMください」というツイートを見て興味本位で応募した松田青太郎(板橋駿谷)。青太郎は画家の遠山栗美(望月綾乃)とビデオ通話を介して実際にモデルを務めることになり——。
ビデオ通話をしながら栗美のスケッチブックに描かれる青太郎の肖像画は最後まで観客に示されることはなく、最終的には消しゴムで消されてしまう。タイトルにもなっているポートレート=肖像画というのは、自分には見ることのできない、他人から見た自分の像を可視化するものだ。見ること、見られること、見えていないこと。見ることをめぐるモチーフはこの短い作品のなかに繰り返し現われている。
例えば、描く側=見る側の栗美はビデオ通話の画面で自分のウインドウを非表示にしてみせ、通話が切れたのだと思った青太郎を焦らせる。しばらくそのままの状態で絵を描き続ける栗美に対し青太郎は「見てる人が見えないってなんか恥ずかしいですね」と言う。「誰にも見られてない気もするし、みんなに見られてる気もするし」というその言葉はそのまま演劇における俳優と観客との関係を指すものとして受け取ることもできるだろう。もちろんそれは「窓辺」を見る観客にも当てはまることだ。
あるいは、1話でも登場していた『魔法使いミント』。最終話でミントは思いを寄せる相手に自分が魔法使いであることを明かし、その結果として姿の見えない、声だけの存在になってしまう。このエピソードは栗美に元彼とビデオ電話で別れ話をしたときのことを思い出させる。別れようと言った瞬間、元彼の画面がフリーズし、声だけが聞こえる状態になってしまったのだと語る栗美。固まった画面を見ながら話し続けるうち、栗美は肖像画を描くことを思いついたのだった。栗美にしか見えない元彼の姿と、栗美には見えない元彼の姿。「ビデオ電話って見つめ合えないからいいよね」という栗美の言葉にはそこにあるさみしさも透けて見える。
ところで、2話までに登場した4人には高校の同級生という共通点があり、2話のラストはそこからさらに物語が展開することを予感させるものだったが、3話の2人は意外なことにこれまでの4人とは基本的には無関係な人物として設定されている。だが、青太郎の話に登場する『魔法使いミント』が好きだという東京のレコード屋の店員は1話の風太(篠崎大悟)を思わせるし、3話の後半では栗美の隣に住んでいるのが同じく1話に登場していた秋乃(亀島一徳)らしいことも明らかになる。2話で紺(島田桃子)が秋乃に返してほしいと夕(森本華)に託した消しゴムは、偶然にも栗美の手を経由して秋乃に手渡される。赤の他人同士でたまたまつながった青太郎と栗美は、知らぬ間に風太と秋乃を、秋乃と夕、そして紺とをつなげつながっている。
せっかく書いた青太郎の肖像画を、元彼の肖像画ともども消してしまった栗美は、その消しカスを元彼の破片と青太郎の破片と呼び、混ぜ合わせた挙句に窓の外に投げ捨ててしまう。「風に乗って青太郎のところに届くといいね」と栗美は言うが、栗美が青太郎の肖像画を描いているその状況自体、元彼との別れのビデオ通話がもたらしたものだった。元彼の破片はある意味ですでに青太郎に届いているのだ。人は出会い、ときに別れ、混ざり合いながら生きていく。ロロらしさ全開でありながら新たな展開を見せた「窓辺」の再始動を楽しみに待ちたい。
公式サイト:http://loloweb.jp/
ロロ『窓辺』:https://note.com/llo88oll/n/nb7179ad5e3a5
関連記事
ロロ「窓辺」 第1話『ちかくに2つのたのしい窓』| 山﨑健太:artscapeレビュー(2020年05月15日号)
ロロ「窓辺」 第2話『ホームシアター』| 山﨑健太:artscapeレビュー(2020年06月01日号)
2020/06/26(金)(山﨑健太)
「クラシックホテル展─開かれ進化する伝統とその先─」、高山明/Port B「模型都市東京」
会期:2020/02/08~2020/08/23
建築倉庫ミュージアム[東京都]
建築倉庫ミュージアムでは、2つの旅の展覧会が開催されている。ひとつは「クラシックホテル─開かれ進化する伝統とその先─」展であり、文字通り、日光金谷ホテルや富士屋ホテルなど、12の建築を詳しく紹介するものだ。展示スタイルもクラシックで、最初の壁に大きな年表を掲げ、模型、図面、写真、家具などを使い、赤を基調とした会場デザインも効いている。
そしてもうひとつは高山明/Port Bの「模型都市東京」展だ。これまで建築展を開催してきた建築倉庫ミュージアムとしても異例のラインナップだろう。事前の情報をあまり仕入れずに訪れたので、彼が具体的に「どんな展覧会をするのか?」という疑問を抱きながら会場に入ったが、すぐに「ああなるほど!」と納得した。建築模型は一切ない。むしろ、ブースを設けて、それぞれの個室で映像を見せる、いつもの手法が用いられている(ただし、今回はイヤホンでインタビューの音声を聴く)。すなわち、ここが倉庫であることを生かし、市橋正太郎、榎本一生、キュンチョメ、吉良光、ケン・ローら、12人の「利用者」の私物を各部屋に持ち込み、逆説的に「模型都市東京」を表現しているのだ。
高山によれば、演劇と模型は相性がよい。なぜなら、演劇は身振りの模倣から始まったものだからだ。だが、今や活きのいい模型は舞台の上ではなく、街の中にある。そうした目で東京を観察すると、オリジナルの建築は少なく、いわば模型に溢れているという。つまり、模型は会場ではなく、都市に偏在する。そこで都市の模型=建築やインフラをオリジナルに使いこなす、移動が多い、非定住的な人たちのアクティヴィティに注目し、前述の12人を「利用者」として召喚した。おそらく彼らの活動によって、貸し倉庫のような状態になった会場の展示物は刻々と変化するのだろう。
建築模型が展示されている場合、それを見た鑑賞者は、実際の街にたつオリジナルの建築を想像する。同様に、われわれは、今回の展示において、会場に並ぶ各部屋のさまざまなパターンの私物と所有者の語りから、彼らが都市の中でどのように活動しているかを思い描く。とすれば、会場に置かれているのは、「利用者」の生活の模型だろう。そもそも模型とは何か、を考えさせる企画である。
2020/06/24(水)(五十嵐太郎)