artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

石川竜一 okinawan portraits

会期:2015/01/27~2015/02/21

The Third Gallery Aya[大阪府]

昨年11月に赤々舎から2冊の写真集、『okinawan portraits 2010-2012』と『絶景のポリフォニー』を出版した石川竜一。本展では、『okinawan~』から80点近くが展示された。沖縄の島々をバイクで駆け巡り、出会った人々約3000人を撮影した中から選ばれた本作。そこに写っている面々があまりにも個性的であることに驚かされる。また、ヤンキーや右翼も写っており、「沖縄にもいるのか」と驚くと同時に、自分の中にステレオタイプな沖縄像があることにも気付かされた。このシリーズは以前にキヤノンの「写真新世紀」で見たことがあるが、久々の再開で感慨もひとしおだ。なお、『絶景の~』の作品は、同時期に大阪ニコンサロンでの個展で発表された。

2015/01/31(土)(小吹隆文)

奈良原一高 王国

会期:2014/11/18~2015/03/01

東京国立近代美術館 ギャラリー4[東京都]

メインのセレクションは、2014年の横浜トリエンナーレとかぶるが、常設の強みで他のエリアも活用しながら、デビュー作の「人間の土地」(軍艦島や、桜島の噴火で埋もれた集落を撮影したもの)、マンハッタンの十字路シリーズ、彼と親交のあった作家などもあわせて紹介し、立体的に鑑賞できるのが嬉しい。常設では、藤田嗣治の戦争画を展示中だった。ある意味で彼のピークと思う。

2015/01/31(土)(五十嵐太郎)

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渡辺兼人写真展「半島/孤島/水無月の雫」

会期:2015/01/16~2015/02/14

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

ツァイト・フォト・サロンは2014年9月に東京・日本橋から京橋に移転してリニューアル・オープンしたのだが、その第1回目と2回目の展示は、それぞれ写真作家と美術作家のグループ展だった。個展のスタートが誰なのかということに興味があったのだが、展示を見て、それが渡辺兼人だったことに納得した。渡辺は1982年以来、ツァイト・フォト・サロンで8回にわたって個展を開催しているという。ただし、最後の個展である2004年2月~3月の「陰は溶解する蜜蝋の」から11年ほど間を置いているので、ひさびさの展示ということになる。その間に写真を巡る状況は大きく変化したが、そんな中で彼の作品の見え方も違ってきているように思えた。
渡辺は基本的に、純粋に「写真そのもの」を志向する作家といえるだろう。その「写真至上主義」というべき作風が、デジタル全盛の現時点で逆に燻し銀の輝きを発しているように見えるのだ。今回の出品作は「半島」(16点、1997年)、「孤島」(6点、1999年)、「水無月の雫」(9点、1995年)の3シリーズ。それぞれ、樹木や草(「半島」)、建物(「孤島」)、海と空(「水無月の雫」)を写しているのだが、渡辺が被写体に強い関心を持っているわけではなさそうだ。むしろ、6 x 6、6 x 7、6 x 9のフォーマットの画面(印画紙は四切あるいは大全紙)に、モノクロームのフォルム、明暗、質感を、どのようにコントロールしておさめていくのかに全精力が傾けられている。そして、それは視覚的な画像情報としてほぼ完璧なレベルにまで達しており、多少なりとも写真作品を見続けてきた者なら、誰もが感嘆の声を上げてしまうだろう。
渡辺は長く東京綜合写真学校で講師を勤めているのだが、同校の学生には彼の影響を強く受けて「写真至上主義」の作品作りに向かう者もかなりいる。だがそれは諸刃の剣で、生半可な技術力ではその高みに追いつくのがむずかしいだけでなく、マンネリズムの袋小路に陥ってしまいがちだ。実は渡辺自身は、そのような隘路に入り込むのを、巧みに回避する術を心得ているのではないかと思う。たとえば、とても的確な、だが時には過度に文学的に思えるタイトルの付け方も、その一つだろう。彼が今後、作風を変えていくとはとても思えないが、新作をぜひ見てみたい。極上の眼の歓びを味わわせてくれるはずだ。

2015/01/24(土)(飯沢耕太郎)

蜷川実花:Self-image

会期:2015/01/24~2015/05/10

原美術館[東京都]

期待を裏切らない出来栄えといえるだろう。東京・品川の原美術館での蜷川実花展は、会期の長さを見てもわかるように力の入った展覧会だった。
会場は大きく1階と2階に分かれている。1階エントランスのギャラリー1は、3面スクリーンによる映像・音響インスタレーション(音楽/渋谷慶一郎)で、金魚の群れ、群衆、眼、唇などのイメージが、壁一面に浮遊する。ギャラリー2には写真集『noir』(2010年)の収録作品とその発展形の写真が、壁紙のように大伸ばしされた画像の上に架けられていた。ここまでは、従来の「見慣れた」作品世界を、見世物小屋的に開陳した造りになっている。
だが、2階は雰囲気ががらりと変わって、「PLANT A TREE」(2011年、撮影は2010年)、「Self-image」(2013年)のシリーズから抜粋した作品が並んでいる。この2作品は、今のところ蜷川のベストというべきシリーズであり、新たな作品世界を、数を押さえて抑制した展示で見せていこうという強い意欲が感じられた。特に最後のギャラリー5に展示されたモノクロームのセルフポートレートは、まさに「生身に近い、何も武装していない」蜷川自身をさらけ出すという暴挙を、あえて試みた注目作と言える。2階の廊下の床を白黒の市松模様に貼り替えるなど、会場全体の構成を含めて、蜷川の持ち前の演出力が際立った展覧会といえるのではないだろうか。
だが、「期待を裏切らない」というのは予想の範囲内でもある。超満員のオープニングを見ればわかるように、日本の写真界を牽引する立場に立った彼女に対しては、注目度も格段に上がっている。「次」が常に求められていることを心に留めていてほしいものだ。

2015/01/22(木)(飯沢耕太郎)

山本昌男「浄」

会期:2015/01/14~2015/02/07

Mizuma Art Gallery[東京都]

2009年以来というから、山本昌男の個展もひさしぶりだ。山本は日本よりもむしろアメリカやヨーロッパで評価の高い写真作家で、モノクロームの小さなプリント(時には微妙な調色が施される)を、壁面にまき散らすようにインスタレーションする作品で知られている。写真に写っているのは、身辺のこれまた小さな出来事が多いが、それらの付けあわせ方に独特の繊細で軽やかな美意識が働いており、「俳句的な表現」と評されることも多い。
今回のMizuma Art Galleryでの展示では、その山本の作品世界がかなり大きく変わりつつあることに驚かされた。「浄」シリーズの被写体は「作家の目に留まった路傍の石や木の根」であり、それらが黒バックで、クローズアップ気味にしっかりと撮影されている。複数の写真が響きあうように配置されていたこれまでの作品と比べると、一点一点の自立性が高く、しかも裏打ちされたパネルやフレームに入れる形で、それぞれ独立して展示されている。山本の被写体を見つめる眼差しも、緊張感と強度を孕んだものになってきていた。奥の部屋は、写真に鉄の鎖、鏡などを配したインスタレーションの展示だが、それらもシンプルで重々しい印象を与える。
彼が今後どんな風にこのシリーズを展開していくのかは、まだわからないが、新たな領域に踏み出していこうとする強い意欲を感じた。むろん以前の作風との融合・合体も考えられると思うので、もう少し、どうなっていくのかを見守っていきたい。

2015/01/20(火)(飯沢耕太郎)