artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
水谷吉法「COLORS/ TOKYO PARROTS」
会期:2015/02/03~2015/03/10
IMA gallery[東京都]
IMA galleryで開催された「LUMIX MEETS JAPANESE PHOTOGRAPHERS#2」展(2015年1月21日~29日)にも出品していた水谷吉法が、同会場で初個展を開催した。本欄でも何度か書いているように、水谷のように街をデジタルカメラで切りとって、パソコンの画面を思わせる鮮やかな色面のパターンとして再構築する若い写真家たちの仕事が、この所だいぶ目につくようになってきている。単なる流行というだけではなく、そこには、最初からデジタルカメラを使って撮影しはじめたこの世代(水谷は1987年生まれ)のリアリティが色濃くあらわれているということだろう。
だがこのままだと、都市空間と写真のあり方とをオートマチックに、何の抵抗感もなしに結びつけ、画像化してまき散らすだけに終わりそうな気がする。記憶、感情、身体性、他者性、地域性──どんなファクターでもいいので、写真化のプロセスに何らかのノイズを挟み込んで、のっぺりとした眺めに風穴をあける必要がありそうだ。それとともに、特に「COLORS」のシリーズにいえることだが、複数の写真を組み合わせて提示する時に、思いつきだけに頼るだけではなく、ロジカルな思考力を発揮してより強固な「構造化」をめざしてほしいものだ。
その意味では、今回展示されたもう一つの作品「TOKYO PARROTS」の方に面白さを感じた。輸入された鮮やかな黄緑色のインコが、東京都内で野生化して大量発生している状況を捉えたシリーズだが、均質化しつつある都市環境における異物に着目する視点が明確にあらわれている。この方向をさらに突き詰めていけば、彼らの世代から、頭一つ抜け出していくことができるのではないだろうか。
2015/02/17(火)(飯沢耕太郎)
須田一政「釜ヶ崎」
会期:2015/02/06~2015/02/28
ZEN FOTO GALLERY[東京都]
須田一政は、2014年8月に大阪・釜ヶ崎(西成地区)を撮りおろした。今回のZEN FOTO GALLERYの展示では、その6×7及び35ミリ判による新作に加えて、2000年に撮影したというハーフサイズ・カメラによる縦位置の画面を2コマ分プリントした作品(全16点)が並んでいた。
須田と釜ヶ崎というのは、ありそうでなかなかない絶妙な組み合わせなのではないかと思う。この日雇い労働者の街は、写真家たちを引きつける魅力的な被写体の宝庫であり、1950~60年代の井上青龍以来、数々の「名作」を生んできた。『日本カメラ』(2015年2月号)の「口絵ノート」に「私のような社会派にはほど遠い写真家が今更撮るのはどうかなと考えつつ」と書いてあるのを見てもわかるように、須田はむろんそれらを充分承知の上で、いつもより肩の力を抜いて、飄々と街と人のたたずまいにカメラを向けている。その結果として、この街を覆っているざらついた荒々しい触感が、やや軽みと丸みを帯び、エロス的としかいいようのない艶かしい雰囲気が漂ってきているように見えるのが興味深い。須田の眼差しの先で、乾ききった真夏の釜ヶ崎の光景が、しっとりとした、みずみずしい情感をたたえてよみがえってきているのだ。どうやら街との相性は抜群のようなので、また機会があれば、ぜひ撮り続けていってほしいものだ。
なお、オープニングには間に合わなかったのだが、会期に合わせて2冊組の写真集『走馬灯のように ─ 釜ヶ崎2000-2014』(ZEN FOTO GALLERY)が刊行された。
2015/02/17(火)(飯沢耕太郎)
広川泰士「BABEL Ordinary Landscapes」
会期:2015/02/13~2015/03/24
キヤノンギャラリーS[東京都]
広川泰士には『STILL CRAZY - Nuclear power plants as seen in Japanese landscapes.』(光琳社出版、1994年)という作品集がある。日本各地の海岸線に沿って建造された53基の原子力発電所を、大判カメラで撮影した写真を集成したものだ。いうまでもなく2011年3月11日の東日本大震災によって、福島第一原子力発電所が大事故を起こしたことで、原発が「狂気」の産物であるという広川が抱いていた予感は現実のものとなった。
東京・品川のキヤノンギャラリーSで展示された彼の新作「BABEL」もまた、日本各地の風景に対して彼が育て上げていった違和感、不安感を形にしたものといえる。1998年から15年以上にわたって、8×10インチの大判カメラで撮り続けるうちに、大地を引き裂き、捏ね上げ、旧約聖書のバベルの塔を思わせる醜悪な建造物を作り上げていく人間の営みは、さらにエスカレートしていったように見える。それにともなって、自然のしっぺ返しといえるような地震や津波も起こり、その後には黙示録的といいたくなるような無惨な光景が広がることになる。『STILL CRAZY』でもそうだったのだが、広川はそれらの眺めを声高に、情感を込めて描き出すのではなく、むしろ素っ気なく、投げ出すように提示している。だがそのことによって、写真を見る者はより苦く、重い塊を呑み込むような思いに沈み込むのではないだろうか。掛け値なしに、ここにあるのが、いまの日本の「普通の風景」(Normal Landscapes)なのだ。
今回の展示では、キヤノンの大判デジタルプリンターの威力を見せつけられた。最大2.60×3.25メートルという大きさのカラープリントを、継ぎ目なしで出力することで、風景のディテールが異様な物質感をともなって立ち上がってくる。10年前には考えられない展示が、ごく当たり前に実現できるようになってきている。
2015/02/16(月)(飯沢耕太郎)
小平雅尋「他なるもの」
会期:2015/02/07~2015/03/07
プラザ・ギャラリー/タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]
東京・仙川のプラザギャラリーと六本木のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムで、小平雅尋の「他なるもの」展が開催された。このシリーズは2013年の表参道画廊での個展で既に発表されているが、新作を加え、プリントの大きさを変えて2箇所の会場でほぼ同時期に開催されることで、以前とは違った眺めが見えてきているように感じた。
写されているのは、エスカレーターのような身近な事物から、やや距離を置いて撮影された風景までかなり幅が広い、昆虫や人の体の一部をクローズアップで撮影した作品もある。だが驚くべきことは、それらのすべてがある共通の質感を備え、互いに強い絆で結びついているように見えることだ。同展のカタログを兼ねた小冊子に倉石信乃が書いたエッセイを引用すれば、すべてが写真家から「等距離」にあるように見えてくるのだ。
「無限大の彼方に光る星辰も、眼前にいるあなたのいま開いたばかりの掌も、「私」には同じ隔たりだ。だから「私」はどこへでも行くことができる。たとえこの場を動かないときにも」
たしかに、倉石がいうように、小平の写真を見ていると森羅万象の一角からイメージを「等距離」で切り出してくる小平の選択が、きわめて厳密で揺るぎないものであることがわかる。しかも特筆すべきなのは、その手つきが決して小難しく窮屈なものではなく、ふっと頬が緩むような柔らかなユーモアをたたえているように見えてくることだ。理屈ではなく五感を解放して味わうべき、チャーミングな写真群といえるのではないだろうか。
会期: 2015年2月7日(土) ~ 3月1日(日)
会場: プラザ・ギャラリー
会期: 2015年2月7日(土)~ 3月7日(土)
会場: タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム
2015/02/15(日)(飯沢耕太郎)
佐久間里美「○△□」
会期:2015/01/24~2015/03/08
POETIC SCAPE[東京都]
東京・六本木のIMA galleryで開催された「LUMIX MEETS JAPANESE PHOTOGRAPHERS#2」展(2015年1月21日~29日)に参加するなど、このところ精力的に作品を発表している佐久間里美の個展が、東京・目黒のPOETIC SCAPEで開催された。ただし、出品作の「○△□」は既発表の作品であり(15点中8点は新作)、その意味での新鮮さはない。デジタルカメラで「エレクトリカルな人工光」の乱舞を撮影して、新たなコンセプトを展開した「LUMIX MEETS JAPANESE PHOTOGRAPHERS#2」展の出品作「Snoezelen Landscape」と比較すると、むしろ表現意識が後退しているように見えてしまう。ただ、都市風景を色面の連なりとして再構築していく「○△□」が、若い世代の表現意識を典型的に指し示す作品であることは間違いない。今後も彼女の代表作として評価を高めていくのではないだろうか。
ところで、ちょうど海外に出ていたので見過ごしてしまった「LUMIX MEETS JAPANESE PHOTOGRAPHERS#2」展だが、佐久間の他に加納俊輔、水谷吉法、山崎雄策、Kosuke、山本渉が出品していた。たしかに、力のある写真作家をフィーチャーしているのだが、カタログを見る限り、どうしても小綺麗に小さくまとまってしまっている印象を拭いきれない。表面性へのこだわりや軽快な画像構築への志向は、たしかにこの世代の特徴といえるのだが、これだけ「切っても血が出ない」貧血気味の作品が並ぶと、これでいいのかと思ってしまう。なお、この展覧会はもともと「TOKYO 2020」というタイトルで企画されていたのだが、東京オリンピックに関連してJOCが商標登録しており、使えなくなってしまったのだという。何とも後味が悪い顛末だが、それ以上に2020年の「日本写真」がこの程度のものとはとても思えない。
2015/02/14(土)(飯沢耕太郎)