artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

森山大道写真展「遠野2014」

会期:2014/12/18~2015/02/09

キヤノンギャラリーS[東京都]

2015年のギャラリー回りは、東京・品川のキヤノンギャラリーSの「100回記念写真展」として開催された、森山大道の「遠野2014」からスタートすることにした。
森山は1974年に岩手県遠野とその周辺を撮影し、写真集『遠野物語』(朝日ソノラマ、1976年)を刊行している。隣り合う2カットを並置してプリントするという特異な手法によって制作された写真群は、現実と幻想世界とが入れ子状に混在する、異様にテンションの高い磁場を形成していた。だが、その40年後に遠野を再訪して撮影した写真によって構成された今回の展示には、当時の切迫した感情の震えを見ることはできない。カラー写真6点(使用カメラはキヤノンEOS 6D)、モノクローム47点(同PowerShot G7 X)の展示作品を見て感じるのは、森山が遠野の風景やそこで出会った人物たちを、しっかりと受けとめ、投げ返す手つきの揺るぎのなさだった。牛や馬、神社や祭礼、河童の人形など、『遠野物語』を彷彿とさせるイメージもある。だが、どちらかといえば「遠野2014」は、地に足をつけた日常性に傾いているといえそうだ。遠野郷はちょうど稲の刈り入れが始まったばかりで、「町場に人影は薄かったが、野も山も河もたおやかで、しかししたたかな時間と風景の広がりの中に在った」と森山はコメントしている。たしかにくっきりと奥行きのある「したたかな時間と風景の広がり」が、やや横長に引き伸ばされたモノクロームプリントに封じ込められており、会場の外壁部分に展示されたカラープリントも含めて、森山が既にデジタルカメラとプリンターの表現力を、自在に使いこなすことができる段階に達していることがよくわかった。
遠野の「現在(いま)」と40年前の過去とが交錯するような展示も充分考えられるし、森山がさらに遠野を撮り継いでいけば、さらに厚みのあるイメージの集積ができ上がってくるだろう。そんな可能性を夢見させてくれる、充実した内容の写真展だった。なお、展覧会にあわせてAkio Nagasawa Publishingから同名の写真集が刊行されている。

2015/01/07(水)(飯沢耕太郎)

川島小鳥『明星』

発行所:ナナロク社

発行日:2014年12月24日

『未来ちゃん』(ナナロク社、2011)で大ヒットを飛ばした川島小鳥の3年ぶりの本格的な写真集は、まずそのデザインワークの新鮮さで目を引きつける(デザインは佐々木暁)。川島本人のアイディアだったようだが、ページを開くと横長のパートと縦長のパートが交互にあらわれる造りになっているのだ。縦位置の写真と横位置の写真をどう組み合わせてレイアウトするかというのは、実は常に写真家やデザイナーの頭を悩ませるとてもむずかしい問題だ。つまり縦が長い用紙の本だと横位置の写真が小さくなり、横が長いと今度は縦位置の写真が小さくなってしまうのだ。その難問を、今回は端を斜めに切った厚紙の表紙に縦長、横長のレイアウトのページを挟み込むことで見事に解決した。おそらく世界初の試みではないだろうか。
この縦横自在のレイアウトは実に効果的で、ページを開くたびに、それぞれ違う眺めを楽しむことができる。しかも、単にトリッキーな視覚的効果だけではなく、それが写真集の内容にもぴったり合っている。台湾で撮影されたという、みずみずしい生命力を発散する少年や少女たち、奇蹟のように降り注ぐ光、雨、カラフルな極彩色に彩られた世界の輝きが、ページを開くたびに、弾むように目に飛び込んでくるのだ。『未来ちゃん』の力強い、ストレートな眼差しをそのまま受け継ぎつつ、より幅広い被写体を、柔らかに捕獲していく能力を、1980年生まれの川島はしっかりと身につけつつある。さらにエネルギーを全開にして走り続けていってほしいものだ。

2015/01/07(水)(飯沢耕太郎)

Public Eye:175 Years of Sharing Photography

ニューヨーク市立図書館[アメリカ合衆国ニューヨーク市]

ニューヨーク市立図書館(1911)へ。豊富な資料を用いて、街や建築の記録写真を含むパブリック・アイ展、ターナーらのサブライム展を開催している。上階は旅行者が休める場所を提供するが、みなケータイをいじっているか、寝ている。設計は、マッキム・ミード&ホワイト。アメリカン・ボザールの代表だが、本家ヨーロッパの建築に比べると、デザインがちょっと弱いかもしれない。

2014/12/31(水)(五十嵐太郎)

福島菊次郎 全写真展

会期:2014/12/22~2014/12/27

パルテノン多摩 市民ギャラリー・特別展示室[東京都]

今年、94歳になる現役の写真家、福島菊次郎の個展。福島は2013年に公開されたドキュメンタリー映画『ニッポンの嘘 福島菊次郎90歳』で大きな注目を集めた写真家である。本展では、これまでに発表した約2,000点が一挙に展示された。広島の原爆から自衛隊、学生運動、公害、ウーマンリブなど、戦後日本の歴史が凝縮したような現場を写し出した白黒写真は、非常に見応えがあった。
なかでも注目したのは、雷赤烏族を撮影した写真。雷赤烏とは、1960年代末に、詩人の山尾三省を中心に結成された「部族」のひとつ。ヒッピーやビートニクの影響のもと、反都市社会や自然回帰を目指した、ある種のコミューンである。「部族」は国分寺や鹿児島のトカラ列島諏訪之瀬島などに拠点をつくったが、福島は八ヶ岳山麓の富士見高原に建設された雷赤烏の住処を訪ねた。
髭面で長髪、上半身は裸で、足元はわらじ。住居は円錐形の茅葺きだから、文字どおり原始人のような暮らしぶりだ。福島の取材メモによると、彼らは「木の実や貝殻のアクセサリーを身につけ、開墾を始め、畠を耕しているかと思うと、座禅や逆立ちを始め、陽が暮れると焚き火を囲み、空き缶を叩いて一晩中踊っている」。焚き火の前で踊り、井戸を掘る姿を写し出した福島の写真には、彼らに対する共感のまなざしが一貫しているように思われた。「大地とともに生きている人間たちは健やかである」。
むろん、このような活動を逝きし世のカウンターカルチャーとして退けることはたやすい。だが、都市文明の限界と矛盾が、雷赤烏の時代よりいっそうあらわになっている現在、彼らほど極端に先鋭化することはなくとも、彼らの活動と思想から学べることは多いのではないか。例えば、近年改めて評価が高まりつつある「THE PLAY」の主要メンバーである三喜徹雄は、かつて雷赤烏に参加していた。PLAYと雷赤烏のあいだに直接的な関係はないとはいえ、PLAYの作品に通底している野外志向には、雷赤烏との並行関係が認められないでもない。福島もまた、かつて瀬戸内海の無人島に住んでいたことがあるから、三者が交差する地点から現代的なアクチュアリティーを取り出すことができるかもしれない。

2014/12/27(土)(福住廉)

題府基之「Still Life」

会期:2014/11/30~2015/01/11

MISAKO & ROSEN[東京都]

題府基之は1985年、東京生まれ。現在は神奈川県を拠点に制作活動をしている。既に写真集『Lovesody』(Little Big man, 2012)、『Project Family』(Dashwood Books, 2013)を刊行し、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館でのグループ展に参加するなど、むしろ海外での注目度が高まりつつある写真家である。その彼の「Still Life」と題する新作展が、東京・大塚のギャラリーMISAKO & ROSENで開催された。
大きめにプリントされた11点の作品は、すべてテーブル上に散乱する食べ物類を、真上から見下ろすように撮影している。コンビニから買ってきたばかりという感じの弁当類、レトルト食品、極彩色のパッケージのお菓子類などは、ストロボ一発で白々と平面的に描写されており、いかにもそっけなく、身も蓋もない印象を与える。とはいえ、題府がその光景をネガティブに、文明批評的な突き放した距離感で撮影しているのかといえば、そうではないだろう。「片づけられない」状態のまま、ゴミの山と化していく部屋を、家族たちの姿とともに捉えた『Project Family』もそうだったのだが、題府の撮影の仕方は肯定的かつ受容的であり、写真化の手続きは過度な露悪趣味に走ることなく、とてもバランスがとれている。それは今回の「Still Life」でも同じで、画面構成をしっかり考えて、注意深く撮影している様子が伝わってくる。このまま順調に伸びていけば、同時代の空気感を世代感覚として体現した、いい写真家に成長していくのではないだろうか。

2014/12/24(水)(飯沢耕太郎)