artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

ジョセフ・クーデルカ展 Retrospective

会期:2013/11/06~2014/01/13

東京国立近代美術館[東京都]

1938年、チェコスロヴァキア出身のジョセフ・クーデルカの日本では最初の本格的な回顧展である。初期作品から「ジプシーズ」(1962~70)、「エグザイルズ」(1970~94)、「カオス」(1986~2012)などの代表作、さらに新作の「Lime(石灰岩)」(2012)まで、300点以上の作品が並ぶ展示は圧巻だった。現代の写真家のなかで、実力、ヴィジョンともに抜きん出た存在であることを見せつける展示だったと思う。
特に興味深かったのは、初期の実験的な作品(1958~64)と、プラハの劇場のために撮影した舞台写真(1962~70)のパートだった。クーデルカは本格的に写真を撮影するようになってからすぐに、ハイコントラスト画像、グラフィック的な効果を活かした単純化や抽象化、いわゆる「アレ・ブレ・ボケ」などの、反写真的な手法を積極的に使った作品を制作していた。これらは後年のドキュメンタリー的な写真とはかなり肌合いが違っている。クーデルカがスタイルを変えたというよりも、「エグザイルズ」や「カオス」の緊密でダイナミックな画面構成の能力が、これらの実験の積み重ねから形をとっていったことがよくわかった。
もうひとつ、これはちょうど上階のコレクション展に森山大道や土田ヒロミの1960~70年代の写真が並んでいたことで気づいたのだが、クーデルカと日本の写真家たちの作品世界には共通性があるように思える。自らの身体性を介した被写体へのアプローチ、常に揺れ動く視点の取り方、祭りや民間儀礼など劇場的な空間に対する強い関心など、かなり似通っているのではないだろうか。クーデルカがジプシーたちを撮影していたのと同じ頃に内藤正敏、須田一政、土田ヒロミ、北井一夫、山田脩二らも、日本各地を移動しながら土俗的な「ムラ」の習俗にカメラを向けていた。まだ明確にその差異と共通性を論じるまでには至っていないが、今後の課題になりそうだ。

2013/11/06(水)(飯沢耕太郎)

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アナト・パルナス「夜気:Stillness of Night」

会期:2013/11/05~2013/11/18

新宿ニコンサロン[東京都]

アナト・パルナス(Anat Parnass)は、1974年、イスラエル・テルアビブ出身の写真家。1995年、20歳の時に初めて東京を訪れ、驚きと懐かしさとを同時に感じたことが忘れられず、大学で日本学を学び、2006年に再来日する。文部科学省の国費留学生制度で日本大学芸術学部写真学科に入学し、2013年に同大学大学院博士課程を修了した。博士論文のテーマは「日本における現代女性写真の研究」である。
今回展示されたのは、彼女が2006年以来撮り続けている、東京とその周辺の夜の景色を撮影した写真群(34点)である。闇の中で息づいている植物たち、灯りに照らし出されて浮かび上がる建築物、どこからともなく湧き出してくる輪郭が定かではない人物たち、夜空に大きく広がる花火──被写体はとりたてて特異なものではないが、それらのすべてが「夜気」に包み込まれることで、どこかアニミスティックな化け物じみた存在に変容し始めているように感じる。このようなミステリアスな影絵芝居を思わせる眺めは、むろん東京に短期滞在している旅行者には撮影不可能だが、逆に日本に生まれ育った者にとってもエキゾチックな光景として見えてくるのが面白い。東京在住の「外人」という、宙吊り状態の彼女の立場をうまく活用して撮り続けていくと、このシリーズのさらなる展開が期待できそうな気がする。
なお展覧会にあわせて、作品20点をおさめた同名の小冊子も刊行された。

2013/11/05(火)(飯沢耕太郎)

JITTER「#01 CCAA」

会期:2013/11/02~2013/11/11

CCAA アートプラザ ランプ坂ギャラリー(ギャラリーランプ1)[東京都]

JITTERは佐藤志保、畠山雄豪、人見将、山元顕史の4人によって結成された写真家グループ。2011年の東川町国際写真フェスティバルの行事の一環として開催されたリコーポートフォリオオーディション(2012年から赤レンガ公開ポートフォリオオーディションと改称)で最優秀賞を受賞したのが北海道札幌市在住の山本で、僅差で優秀象に選ばれたのが佐藤、畠山、人見だった。彼らはその縁で、グループ展を定期的に開催するようになり、2012年には『JITTER』という名前でZineを刊行した。それが今回東京・四谷のCCAAで開催された展示に結びついていったのである。
回を重ねるごとに、彼らの仕事の質は高まりつつある。今回は山本が札幌の「雪捨て場」を真夏に撮影した作品(4点)を、佐藤が「思い出の場所に花を咲かせる」というコンセプトで「オアシス」と題する新作(2点)を、人見がレース布を題材としたフォトグラム作品(5点)を出品した。最も力が入っていたのが畠山の「浸透─プロローグ」で、交差点に立ち「目線の高さより各方向の街の表層が入るように撮影」した写真を、1枚ずつめくれるポートフォリオの形で展示していた。2004年から続けている作業で、すでに5万3千カット以上に達しているという。
僕自身が審査員のひとりだったこともあり、こういう地道な活動がきちんと根づきつつあるのはとても嬉しい。畠山が作品のコメントに書いているように、「足下にある大地には絶え間なく変化する小宇宙が広がっている」のではないだろうか。その宇宙の胎動を、彼ら一人ひとりがしっかりと感じとっていることが伝わってきた。

2013/11/05(火)(飯沢耕太郎)

インベカヲリ★「やっぱ月帰るわ、私。」

会期:2013/10/29~2013/11/04

新宿ニコンサロン[東京都]

インベカヲリ★が、前回新宿ニコンサロンで個展を開催したのは2007年だった。その展示はよく覚えている。弾の飛び交う現代社会の戦場の最前線で、体を張って撮影を続ける女性写真家がまた登場してきたという印象を強く抱かせる、鮮烈なデビューだった。
それから6年あまり、インベは撮影を続け、今回の個展と赤々舎からの同名の写真集の出版にこぎつけた。モデルはすべて女性たち、彼女たちのうちに潜む衝動を全身全霊で受けとめ、共同作業のようなやり方でそのパフォーマンスを記録していくやり方に変わりはない。ただ作品化のプロセスが、より批評的でロジカルに突き詰められてきている。彼女たちの「怒り」の表出が、単純な感情表現に留まることなく、確実に政治的なメッセージとして提示されているのだ。「暮らしに安心」「社会を明るくしよう月間」「支え合う日本」といった空々しい標語、「グラドル自殺」といった新聞記事、セーラー服や下着といった男性によって消費されていく性的な表象──それらが捨て身のエロス的なパフォーマンスと合体して次々に開陳されていく様は、圧巻としか言いようがない。インベは写真集の後記にあたる文章で、なぜ女性を撮影するのかという問いかけに自ら答えてこう書いている。
「男性の場合は、被写体となることに明確な理由をもち、完成された姿を見せたがる。逆に女性はもっと柔軟で、自分を客観視したい、違う角度から見たい、何か自己主張したいときなどにカメラの前に立つ感性をもっている」
これは本当だと思う。いまや、女性の方が自己を冷静に客観視してカメラの前に立つ勇気を持ちあわせているわけで、インベのような表現のあり方は、これから先にもさらに勢いを増してくるのではないだろうか。
なお同展は2014年3月13日~19日に大阪ニコンサロンに巡回する。また、2013年11月20日~12月1日には、同名の展覧会(展示作品は別ヴァージョン)が東京・都立大学のTHERME GALLERYで開催された。

2013/11/02(土)(飯沢耕太郎)

注目作家紹介プログラム チャンネル4 薄白色の余韻 小林且典 展

会期:2013/11/02~2013/12/01

兵庫県立美術館 ギャラリー棟1階 アトリエ1[兵庫県]

蝋型鋳造による瓶や壺などの小彫刻と、それらを配置した静謐な写真作品で知られる小林且典。筆者が彼の作品と出合ったのは約7年前のこと。その後何度か個展に出かけたが、近年は不運にも機会を逸していた。それだけに、本展には大きな期待を抱いていたのだ。出品作品は、ブロンズ、木彫、写真、インスタレーションだった。特徴は、ブロンズより木彫が多いことと、水干顔料で白以外の彩色を施した作品があったことだ。これは、小林が2010年にフィンランドで滞在制作をした経験から生まれたものであろう。また、床に展示された木彫のインスタレーション、部屋の隅の水回り(会場は制作アトリエなので、ホワイトキューブではない)を利用したブロンズと木彫のインスタレーションも斬新だった。幸運にもレクチャーで本人と再会でき、イタリア留学時代の貴重な写真や、自作のレンズを見せてもらったのも収穫だった。

2013/11/02(土)(小吹隆文)