artscapeレビュー
2011年07月01日号のレビュー/プレビュー
山江真友美 展 ─求めよ手の記憶─
会期:2011/05/31~2011/06/05
アートライフみつはし[京都府]
山江の作品は花がモチーフだが、現実の花を描いたものではなく、テーマも花そのものではない。“少女のエロス”を花に託して描いているのだ。薄く、柔らかく、しっとりとして、触れた途端に散ってしまいそうな繊細な花々。薄っすら入った差し色の赤が効果的で、乳白色の花びらが一層引き立って見える。匂い立つような画面を前に、しばし時の経つのを忘れた。
2011/05/31(火)(小吹隆文)
戦争と日本近代美術
会期:2011/05/14~2011/06/19
板橋区立美術館[東京都]
太平洋戦争前後の近代美術を同館所蔵作品から振り返る企画展。柳瀬正夢や山下菊二、新海覚雄、太田三郎などによる絵画を中心に、戦時中の画材の配給票などの資料もあわせて展示が構成された。戦争というと、おのずと「戦争画」を連想しがちだが、戦意高揚のために交戦の場面を直接的に描いた戦争画は一切含まれず、原爆投下をモチーフにした古沢岩美の《憑曲》や、池田龍雄の《僕らを傷つけたもの 1945年の記憶》などが辛うじて戦争のイメージを呼び起こしていた。もちろん日本近代美術と戦争というテーマについて真摯に検討するのであれば、戦争画を公開したほうがよいに決まっているが、本展における戦争画の不在はあるいは現代社会における戦争と図らずも通底しているようにも考えられた。原爆と同じ原子力の「平和利用」によって現代社会の繁栄が築かれてきたように、かつて外側に対象化することのできた敵は、いまや内側に反転してこびりついてしまったからだ。しかも戦争による世界の崩壊は、ある種のスペクタクルを伴いながら一気に殲滅する核戦争の類いに限られたわけではなく、晩発性の放射性物質のように知らず知らずのうちにゆっくりと破滅に向かって進行するのかもしれない。従来の戦争画が描写しているのは20世紀までの戦争だから、現在の戦争はまったく新しいイメージでとらえなおさなければならない。本展における戦争画の不在は、新たな戦争画の必要を告げていた。
2011/06/01(水)(福住廉)
五百羅漢──増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信
会期:2011/04/29~2011/07/03
江戸東京博物館[東京都]
幕末の絵師、狩野一信が10年にわたって描いた「五百羅漢図」。この展覧会は増上寺が秘蔵するその全100幅を一挙に公開したもの。172×85cmという画面と、その画面の下部に前景を、上部に後景を描くという構図がそれぞれ定型化されているため、ともすると単調な鑑賞になりがちだが、抑揚をつけた展示構成と何より描かれた羅漢たちの面妖な容姿のおかげで、いちいちおもしろい。羅漢の特徴は、坊主頭を取り巻く光輪と、何か曰くありげないやらしい目つき。世俗を達観した仏僧というより、生活の俗塵にまみれながらも悟りを開いた修行僧として描かれていたわけだ。じっさい百幅のうちの前半は羅漢たちの暮らしや修行の模様を描いているが、そこには浮世離れしたというより等身大の暮らしがあるだけだし、雲に乗って浮遊する羅漢たちを見てみると、庶民や動物を救済する聖なる一面と、下々を見下ろす卑しい一面を同時に感じ取れる。それは仏の清濁併せ呑む度量の大きさを示すというより、人間の生々しい実像を提示することによって見る者への訴求力を高めようとする戦術の現われのように思われた。平たく言えば、一信は十分に「ウケ」を狙っていたのではないか。いくら歴史上の人物だとはいえ、絵描きとしての素直な欲望が垣間見えるところがおもしろい。
2011/06/02(木)(福住廉)
梁煕 展
会期:2011/05/30~2011/06/11
Gallery Q[東京都]
ソウル出身のYANG HEEによる個展。キャンバスにアクリルで描いた少女像の上にオーガンジーという薄いメッシュを覆い被せた絵画作品を発表した。シンプルな描線と淡い色彩で描かれた少女たちはいずれも無邪気な素振りを見せているが、その上に重ねられた白いヴェイルのような皮膜にはあらかじめ細かい網の目や花柄などが織り込まれているため、「あちら側」にいる彼女たちと「こちら側」にいる私たちのあいだの断絶を感じざるをえない。この薄い皮膜は平面を装飾する形式的な工夫ではなく、彼女たちの無垢な純粋性ないしは処女性を強調するための装置なのだろう。誘引力があるにもかかわらず手の届かない不可能性。このもどかしさがエロティシズムを駆り立てる一方で、不純な進路を進みつつある現代絵画を生粋の原点にリセットしようとする試みにも思えるところが、興味深い。
2011/06/02(木)(福住廉)
プレビュー:田中さんはラジオ体操をしない
会期:2011/07/02
新宿K’s cinema[東京都]
会社から強制された始業前のラジオ体操を拒否して解雇されて以来、会社の正門前で抗議活動を続けている田中哲朗さんに密着したドキュメンタリー映画。監督はマリー・デロフスキー。「抗議」というと、悲壮感が漂う深刻な表現形式を連想しがちだが、田中さんのそれはギターを演奏しながら歌を唄ったり、その正門前の電柱に自ら主宰する音楽教室の広告を掲示するなど、ユーモアのなかに若干の皮肉を込めた闘い方が小気味よい。親子の問題や株主総会における闘争など疑問に思う点がなくはなかったが、田中さんが闘っている集団的な同調主義が企業社会のみならず日本社会の全体にはびこる鵺(ぬえ)であることを思えば、これを考察の対象としてはっきりと映像化した意義は大きい。7月2日より新宿K’s cinemaほかで公開。
2011/06/03(金)(福住廉)