artscapeレビュー

2018年10月01日号のレビュー/プレビュー

中里和人「Night in Earth」

会期:2018/09/03~2018/09/15

巷房ギャラリー[東京都]

中里和人が東京・銀座のギャラリー巷房の3つのスペース(3階、地下、階段下)全部を使って意欲的な展覧会を開催した。火山列島、日本の海岸線を、夜に月の光で撮影する「Night in Earth」のシリーズは、2016年の同ギャラリーでの個展「惑星 Night in Earth」に続いて2度目だが、今回は撮影範囲が紀伊半島から四国、九州、日本海へと広がり、よりスケールアップした展示になっていた。

会場に掲げられていたコメントによれば、中里は夜の海と岩場を撮影しているうちに「空と陸と海とわたしとが一体化し、自然の中に包摂されてしまう開放感」を味わったのだという。さらにそこには、「地球のはじまりを想起させる惑星としての原風景」が出現していたと続ける。たしかに月の光に照らし出された海岸線の光景には、そんな魔術的な力が備わっているのではないかと納得できるものがあった。階段下のスペースでは、写真と同時に撮影された映像(動画)作品が上映されていたが、これも面白い試みだと思う。むしろ、静止画像と動画を渾然一体とした、体験型のインスタレーションも考えられるのではないだろうか。

なお、展示に合わせて蒼穹舎から同名の写真集も刊行された。この「Night in Earth」のシリーズも一応の区切りを迎えたということだが、まだ終わらせるのはもったいない気がする。撮影場所や視点の取り方を広げていけば、さらなる展開も考えられそうだ。

2018/09/07(飯沢耕太郎)

濱田祐史「RGB」

会期:2018/09/07~2018/10/27

PGI[東京都]

濱田祐史が2014年にPGIで発表した「C/M/Y」は、写真を色の三原色であるCMYに分解し、画像を再構築する試みだった。今回の「RGB」はその続編というべきシリーズで、光の三原色(RGB)をテーマとして制作された。以前は、被写体を実体として写し込んでいたのだが、本作ではより抽象度が強まり、「白をバックに影を被写体として、R(赤)G(緑)B(青)のフィルターを使用し、多重露光で」撮影している。結果として、1920~30年代の実験的なフォトグラム作品のカラー版といった趣の作品になった。使用したフィルムがどのように三原色を再現しているのかを確認するため、それぞれの作品のタイトルは各フィルムの名前になっている。

濱田の「フィルムに露光された光の色自体を見てみたくなった」という作品制作の動機はよく理解できる。コンセプトを形にしていく手続きも細部まできちんと目配りされ、ロジカルに組み上げられている。また、マット系の印画紙の選択や額装の仕方などにも、濱田らしい繊細なこだわりがうかがえた。だが、このような作品は、純粋性を追い求めていけばいくほど、色面のパターン処理以上のものではなくなってしまう。痩せ細ったミニマリズムに陥る危険性を、うまく回避しながら仕事を進めていってほしいものだ。そう考えると、2017年にPGIで発表した「Broken Chord」のような、より具象性が強いシリーズとの合体という方向性もありそうだ。

2018/09/12(飯沢耕太郎)

山元彩香「We are Made of Grass, Soil, and Trees」

会期:2018/08/25~2018/09/29

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムでの山元彩香の個展は4年ぶりだという。その展示を見て、彼女の写真のたたずまいが微妙に変わってきているように感じた。

異国の地で出会った少女たちをモデルにしたポートレートという、基本的な写真のあり方は同じである。だが今回、ラトビア、ロシア、ウクライナ、ブルガリア、ルーマニアなどで行なわれた撮影では、被写体を突き放すのではなく、より細やかにコミュニケーションをとっているように感じる。以前は、互いに言葉がわからないので意思疎通が図れないという状況を逆手にとって、あえて自分とモデルたちとの意識のズレを可視化するような作品が多かったのだが、今回の撮影は「対面する相手の名前の意味や見た夢など、その人の本質に迫るヒントを求めて質問を投げかけながら」行なわれたのだという。結果として、以前よりポートレートとしての精度と深みが増してきているのではないだろうか。

また、展示作品のなかには、純粋なポートレートではなく、女性が写っている白黒写真を画面に配した静物写真も1点だけ含まれていた。この試みも、今後の彼女の写真の新たな方向性を示唆している。ポートレートと静物、風景などを組み合わせることで、より多層的な世界を取り込むことができるのではないだろうか。今回の展示をひとつの区切りとして、さらなるな可能性を模索していってほしい。なお、写真展の開催に合わせて、T&M Projectsから同名の写真集が刊行されている。

2018/09/12(飯沢耕太郎)

大竹省二「ある写真家のアンソロジー」

会期:2018/08/29~2018/09/22

Kiyoyuki Kuwabara AG[東京都]

大竹省二(1920~2015)は1945年に中国から帰国後、連合軍総司令部(GHQ)報道部の嘱託となり、写真家としての活動を再開する。女性写真や世界の音楽家たちを撮影したポートレートで、たちまち頭角を現して人気写真家となった。1953年には、秋山庄太郎、林忠彦らと二科会写真部を創設し、2003年からは同写真部理事長を務めた。

大竹のロマンティックで上品な写真作品は、つねに写真雑誌の口絵ページを飾り続けていたが、その制作活動のバックグラウンドとして、写真撮影やプリントの技術に対する真摯な取り組みがあったことは見落とされがちだ。特にカメラのレンズへの関心の深さは驚くべきもので、各種のレンズの特性を知って使い分けることで、クオリティの高い作品につなげている。それがよくわかるのは、『アサヒカメラ』(1995年1月号~2008年3月号)に掲載されたコラム「レンズ観相学」である。「タンバール90ミリF2.2」から「キヤノンEF35~70ミリF3.5~4.5」まで、158回続いたこの連載で、大竹は作例写真を掲載するとともに各レンズに対する愛情のこもったコメントを書き記している。

今回のKiyoyuki Kuwahara AGの個展では、「レンズ観相学」に「Mロッコール28ミリF2.8」の作例として掲載された「さすらい」をはじめとして、主に海外で女性モデルを撮影した写真、約20点が並んでいた。プリントは長女の大竹あゆみによるもので、大竹所蔵のレンズ13本も特別出品されている。1960年代から2000年代まで、かなり長い期間に撮影された写真群だが、的確な画面構成と光と影の微妙な移ろいを捉える能力の高さは、さすがとしか言いようがない。没後3年を経て、遺作の整理もだいぶ進んでいるようなので、そろそろ大規模な回顧展を実現してほしいものだ。

2018/09/14(飯沢耕太郎)

起点としての80年代

会期:2018/07/07~2018/10/21

金沢21世紀美術館[石川県]

1980年代の美術というと、もの派やミニマリズムの支配した70年代の暗くて重い空気を払拭し、軽くて明るいポストモダンな「アート」が踊り出たという印象がある。これを象徴するのが、最初の部屋に並べられた岡﨑乾二郎のいわゆる《あかさかみつけ》シリーズだ。1枚のボードを幾何学的に切ったり折ったりして面ごとに彩色したレリーフ状の作品。これを初めて村松画廊で見たとき「おもしろいのが出てきたな」と思ったものだが、30年以上を経て見ると、控えめなサイズといい、軽快なリズム感といい、微妙な色合いやムラのある彩色といい、あらためてよくできているなあと感心する。同時にシステマティックで抑制的な作業など、70年代の名残を留めていることも見逃してはならない。80年代の幕開けにふさわしい素敵なイントロダクションだ。


岡﨑乾二郎作品展示風景 [撮影:木奥惠三 画像提供:金沢21世紀美術館]

行け、名前を列挙すると、松井智恵、今村源、宮島達男、大竹伸朗、藤本由紀夫、森村泰昌、横尾忠則、杉山知子、諏訪直樹、辰野登恵子、中原浩大、吉澤美香、石原友明、川俣正、戸谷成雄、中村一美、日比野克彦、舟越桂と続く。計19人。これを見てまず気づくのは、関西を拠点としたアーティストが多いということ(7人)。これは、ぼくが東京人であること、金沢が関西に近いこともあるが、実際に当時「関西ニューウェイブ」と呼ばれたくらい大きな固まりとして登場したのは事実。なぜ固まって出てきたかというと、おそらく関西ではもの派の呪縛が少なかったからではないか。関西でそれ以前に大きな勢力を保持していたのは50-60年代の具体美術協会くらいで、若手作家が抵抗なく出てこられる下地があったように思う。もうひとつは、関西ニューウェイブを担う作家たちの多くが少年時代、「明るい未来」を謳い、前衛芸術家が多数参加した大阪万博(1970)に「洗脳」されたからではないかということだ。どちらも憶測にすぎないが、いずれにせよ当時は東京より関西のほうが若手が台頭しやすく、新奇(珍奇)な作品が出やすい土壌があったことは確かだろう。


石原友明作品展示風景


中原浩大作品展示風景 [以上2点 撮影:木奥惠三 画像提供:金沢21世紀美術館]

次に気づくのは、出品作家・作品が絞られていること。ジャンルとしては絵画、彫刻、インスタレーションで、写真、映像、パフォーマンスなどはほとんどない。これは限られた予算と展示スペースのなかでは賢明な選択だろう。選ばれた作家に関してもとりあえず妥当な線だと思うが、しかしなんで選ばれなかったのか首を傾げたくなるような作家もいる。たとえば関口敦仁、大村益三、前本彰子、山部泰司、椿昇、彦坂尚嘉らだ。彼らはポストもの派やニューウェイブといった80年代美術を牽引したり、こうした動向の典型的な作風を示していた作家たちだが(ちなみに彦坂は70年代作家に見なされがちだが、五七五七七に則った「ウッド・ペインティング」シリーズを全面展開するのは80年代のことで、またニューウェイブの誕生にも大きく貢献した)、選ばれなかったのはおそらく近年は露出度が少ないからだろう。逆にいえば、80年代にデビューして現在でも活躍していることが選ばれる条件だったのかもしれない。

ひととおり見て、物足りなさを感じた。そりゃ80年代の10年間を紹介するのに、わずか20人足らずの作品を大小合わせて7室に詰め込んで見せようというほうが無理というもの。しかし物足りなさはそれだけではなかった。いったん展示室を出て別の入口を入ったとき、ひょっとして続きがあるのかもしれないと期待したが、見事に裏切られ、そこは中国人作家チウ・ジージエの「書くことに生きる」と題された個展会場だった。がっかりしながら見ていくうちに、ジージエの作品が心のなかにズカズカと入り込んできた。ああこれだ、80年代美術に欠けていたのは。ジージエは書を中心に、絵画、写真、インスタレーションなど多彩な表現を駆使して中国の歴史や文化や社会に鋭い視線を投げ掛けている。日本の80年代美術に欠けていたのは、こうした自分たちの時代や社会に対する批評精神だろう。アメリカの核に守られた東西冷戦下、美術という枠内に安住しつつ暴れていたのが80年代の美術だったと、あらためて気づかされた次第。その卓袱台をひっくり返すには、冷戦の終わる90年代まで待たなければならない。

2018/09/14(村田真)

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