artscapeレビュー
2021年06月15日号のレビュー/プレビュー
静岡市の建築をまわる
[静岡県]
静岡市の《ふじのくに地球環境史ミュージアム》(2016)は、丹青社が手がけたリノベーションの方法論による展示が高く評価され、日本空間デザイン大賞2016を受賞していたこともあって、一度訪れたいと思っていた博物館である。山道を車で登って現地に到着すると、知ってはいたが、本当に普通の高校の校舎が目に入る。廃校になったとはいえ、駐車場横のグラウンドでは野球を練習する若者もいて、現役の学校のようだ。実際、1983年に完成した3階建の鉄筋コンクリート造だから、昔懐かしい木造校舎ではない。これは環境史をテーマに掲げた日本初の博物館である。だが、新築にはしないで、廃校を利用しており、廊下沿に並ぶ、かつての教室が展示室に生まれ変わった。もちろん、一部の部屋は窓をふさいだり、おそらく天井を外すなどして、展示のための空間に改造している。逆にあえて教室の雰囲気を残して、黒板を活用したり、作業を見せたりする講座室もあった。そして2階には、駿河湾や南アルプスを一望する図鑑カフェや、キッズルーム(ただし、コロナ禍のため閉鎖中)を備えている。
なんといってもユニークなのは、学校の机や椅子などを様々なやり方で組み合わせた展示のための什器だろう。例えば、上下逆さに机を積んで、それらを並べた展示室3「ふじのくにの海」や、脊椎動物の骨格をのせた机を教室風に配置した展示室8「生命のかたち」などである。基本的に空間デザインによって直感的にテーマが理解できるよう設計されているが、部屋ごとに異なるインスタレーションが展開され、それらを見るだけでも楽しい。また企画展示室2の「ミュージアムキャラバン」展は、各地に出張展示する小さいモバイル・ミュージアムのセットごと紹介しており、ここでも什器の工夫が認められる。
さて、ここからすぐに立ち寄れるのが、隈研吾による《日本平夢テラス》(2018)である。既存の電波塔を囲む八角形の空中回廊の鉄骨は、木によって覆われ、それに付随するメインの構築物も法隆寺の夢殿を意識し、八角形のプランだ。これも県産材をふんだんに用い、最上部は木造の小屋組となっている。木を使いながら、鉄骨の存在感を減らす手法は、《新国立競技場》(2019)と共通するだろう。
2021/04/30(金)(五十嵐太郎)
浜松市の建築をまわる
[静岡県]
久しぶりに浜松市の建築をまわった。ここを拠点に活動する403 architecture[dajiba]のリノベーションやインテリアを再訪した後、彼らの新作《鍵屋の中庇》(2018)を見学する。わずかに跳ね上がった中庇を付加し、その上部から光をとり入れると同時に、陳列棚では下から自然光を導くというシンプルな操作によって、築50年以上のビルの一室において、魅力的な空間が実現されていた。
また近くの駐車場の7階の空きスペースでは、+ticの設計によって、可動の2.3m角の立方体による《CUBESCAPE》が設置されている。東京と違い、ある意味で開発の圧がないこと、またぎゅうぎゅうに商業施設を詰め込む必要がないことによって、浜松は味わい深い古いビルが市街地に多く存在しており、こうした余裕をもった空間を、今後いかにうまくリノベーションしていくかが期待される。
近代建築も興味深い。中村與資平による《静岡銀行本店》(旧三十五銀行本店、1931)は、4本のイオニア式のジャイアント・オーダーが並ぶ。古典主義の建築だが、玄関の両側にある2つのアーチは、やや鈍重で、ロマネスク風にも見える。同じ建築家が手がけた《木下惠介記念館》(旧浜松銀行協会、1930)は、サロンということもあり、スパニッシュ風のもう少しくだけたデザインだ。浜松出身の映画監督、木下惠介の記念館として使われているおかげで、室内も見学できるが、装飾付きの円窓やステンドグラスなどのインテリア・デザインが残る。同市出身の中村に関する資料展示室もあり、銀行協会の当初の図面などが陳列されていた。
ちなみに《浜松市立中央図書館》のデジタルアーカイブは「中村與資平コレクション」を含み、彼の作品の図面や写真が閲覧できるのは素晴らしい。ぜひ、日本の各地方都市でも、こうした建築アーカイブの整備にとりくんでほしい。
道路を挟んで《木下惠介記念館》の向かいにたつのが、《鴨江アートセンター》(旧浜松警察署、1928)である。正面は柱頭がない5本の列柱、室内は幾何学的に処理された独特の柱頭をもち、様式建築が解体されていく過程のデザインだ。本来は左右対称を崩す位置に望楼がついていたが、現在は撤去されたために、かえって硬い表情になっている。
2021/05/01(土)(五十嵐太郎)
「モネ─光のなかに」、《江之浦測候所》
[神奈川県]
同日に建築家からアートへの試みと、アーティストからの建築の実践を鑑賞した。前者は、《ポーラ美術館》のコレクションを活用した企画展「モネ─光のなかに」における中山英之の会場デザインである。そして後者は海を眺望する傾斜地に杉本博司が構想した広大な建築群とランドスケープの《小田原文化財団 江之浦測候所》だ。
中山は TOTOギャラリー・間における個展「, and then」でも見事な作品の見せ方を提示し、こうしたデザインが建築的な表現になりうることを強く感じさせた。今回は湾曲したトタン板の壁に目を奪われがちだが、実は「光」がテーマである。すなわち、《ポーラ美術館》のプレキャストコンクリートによる特徴的な天井を薄く白い膜で覆い、壁との境界を消しつつ、上部からの直接照明を使わない代わりに、仮設展示壁の上部にLED照明を組み込み、天井を照らしているのだ。また壁の片面が濃い緑なのは、額の反射を打ち消す効果があるという。印象派の絵画はそもそも光の表現を工夫していたが、展示デザインによって特別な光の環境を創出している。照明器具によって、スポット的に光をあてるのではない。色温度が変化する人工的な空が室内につくられた。
《江之浦測候所》は高低差が激しく、全体を散策しようとしたら、2時間はかかるだろう(展示もこれで完成ではなく、現在も作品が増えているようだ)。それにしても、贅沢な環境である。杉本が収集してきた様々な時代(白鳳、室町、江戸、明治など)の古材、石、道具などをあちこちに散りばめながら、自らの現代アート作品を効果的に配し、さらにはその空間までも本人がつくりだしているからだ。古代ローマのハドリアヌスのヴィラは皇帝にとっての記憶のテーマパークだったが、ある意味で《江之浦測候所》も、モノを媒介して歴史的な記憶と接続する杉本世界のテーマパークといえるだろう。しかも、夏至や春分・秋分の軸線に対応した象徴的なデザイン、あるいは石舞台や屋外の円形劇場などの建築ヴォキャブラリーは、古代の遺跡のようだ。なるほど、これは未来に向けて創作された時代錯誤的な遺跡である。
これまで杉本の建築には、あまり実験的な構造がないことが気になっていたが、今回は「夏至光遥拝100メートルギャラリー」が抜群に刺激的だ。片面は重厚な石のテクスチャーによる壁が続くが、反対側はずっとガラスだけが続き、片持ち梁で成立させている。建築としては、ここが最大の見せ場だろう。これを抜けて、下に降りていくと、現代の作庭を味わえる。
「モネ─光のなかに」
会期:2021/04/17~2022/03/30
会場:ポーラ美術館
ウェブサイト:https://www.polamuseum.or.jp/monet_inthelight/
2021/05/02(日)(五十嵐太郎)
小松左京『復活の日』
発行:KADOKAWA
発行日:1975/10/30
新型コロナウイルスが流行し始めた昨年、『ペスト』とともに再注目を集めた小説が『復活の日』である。御多分に洩れず、私も両作品とも夢中になって読んだ。『ペスト』はフランス領アルジェリアを舞台に疫病に惑わされる庶民の言動を坦々と描いた不条理小説であるが、『復活の日』は同じ疫病を扱いつつもスケールがまったく違った。世界的パンデミックがいまだ収まらず、変異種が次々と生まれている昨今、同作品に改めて注目してみたい。
『復活の日』はSFの名手、小松左京によって書かれた小説だ。1964年に発表されたとは思えないほど斬新で、来たる未来を予知していたかのような内容には慄くばかりである。第一部では1960年代のある年に “チベットかぜ”と呼ばれるインフルエンザが世界中で猛威を奮う様子が描かれる。その年の3月に最初の兆候が現われてからわずか半年間でパンデミックとなり、人類が滅亡に向かうのだ。5月の東京では、朝のラッシュ時、いつもなら満員になる電車が空いている。誰かが激しい咳をすれば、人々は薄気味悪そうに、横を向いて身を引く。そんな描写が昨春のコロナ禍と被り、読みながら身を震わせてしまった。一方、病院の中は戦争同然だったという描写も、現在の逼迫した医療現場と酷似している。
そうした世の中の様子と並行して描かれるのが、米英の国家軍事機密だ。それぞれが断片的な場面として描かれているが、それらをつなぎ合わせていくと、おそらく米国の人工衛星が宇宙から採取してきた微生物をもとに、同国の国防総省である原種がつくられ、それが盗まれて英国へと渡り、同国陸軍省の研究所で恐ろしい“核酸兵器”に変異させられたという経緯が見えてくる。そして強烈な毒性を持った変異種が何者かによって研究所から奪われ、彼らのうかつな飛行機事故によってアルプス山中にばら撒かれてしまうのが事の発端となる。新型コロナウイルスが中国の武漢ウイルス研究所から漏れたものではないかという噂が昨年に立ち、未だに消えないが、同書を読むと、そんな噂もあながち嘘ではないかもしれないという気さえしてくる。
しかし人類は完全に滅亡しなかった。南極に滞在する世界各国隊が生き残ったのである。まるでノアの箱舟のように……。そこで彼らが築く新たな共同体によって人類は“復活”に向かい、そして彼ら自身も想定外だったある出来事によって病原体で覆われた地球が“復活”する。その壮大な結末のすごさをぜひ味わってほしい。
関連レビュー
アルベール・カミュ『ペスト』|杉江あこ:artscapeレビュー(2020年05月15日号)
2021/05/10(月)(杉江あこ)
五十嵐太郎×山梨知彦×東浩紀 「いまこそ語ろう、ザハ・ハディド」
会期:2021/05/14~2021/11/11
ゲンロンカフェに登壇し、日建設計の山梨知彦、思想家の東浩紀の両氏と、ザハ・ハディドの新国立競技場プロジェクトについて語った約4時間のトークは、ネット上で大反響を呼び、期せずして神回となった( https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20210514?)。そもそもこの企画は、2月に新宗教をテーマとした回に筆者が出演した後、ゲンロンカフェで東氏と飲みながら雑談していたとき、監修で関わった「インポッシブル・アーキテクチャー」展の話題が出た際に発案されたものである。
すなわち、東京オリンピックがぐだぐだになっている現在、あの白紙撤回は何だったのか、また実際にプロジェクトはどうなっていたのかを語ること。展覧会でもそうだったように、キーパーソンは山梨氏である。そこでまず彼に打診し、会社の許可が得られたことから実現する運びとなった。もっとも「インポッシブル」展と同様、プロジェクトに関連する画像を使う場合、JSC(日本スポーツ振興センター)の確認が必要であり、当日どこまで新しい情報が出てくるかがわからない。そこでバックアップとして、筆者はザハ・ハディドの軌跡をたどるスライドを用意していたが、トーク本番では知らなかったことが数多く語られることになった。
例えば、4千枚の図面によって設計を終了し、確認申請の提出の準備をしている最中に、突然首相からプロジェクトのキャンセルが発表されたこと。その第一報を聞いた設計の現場では、すぐに真偽を確かめられず、「とりあえず今日は帰ってください」とスタッフに告げられたこと。その後、コンペのやり直しが決まり、デザインビルド方式になったものの、一緒に組むゼネコンが見つからず、ザハがイギリスの日本大使館にまで出向き、お願いしていたこと。山梨氏が冷静な口調で語っていただけに、無念さが推し量られる内容だった。そしてザハ事務所と日建設計が共同し、コンピュータによるシミュレーションを徹底的に遂行した新しいデザインを完成させており、貴重なプロジェクトが実現する機会を喪失したことが判明したのである。
残念ながら、当時は魔女狩りとでもいうべきマスメディアのバッシングや、実現不可能といったデマが吹き荒れる一方、守秘義務に縛られたことによって、設計者が反論できない状況だった。また『日経アーキテクチュア』が事件として関連の記事を報じてはいたが、建築学会や建築雑誌はこの問題をほとんどとりあげていない。だが、その結果、デジタル・テクノロジーと連動した設計・施工の新しいステージを推進できなかったことにより、大きな社会的な損失がもたらされた。今後、同じような事態を招かないためには、施主や設計サイドからの情報開示が必要なことはもちろん、建築に対する報道のあり方を改善しなければならないだろう。
公式サイト:https://genron-cafe.jp/event/20210514/(公開終了 2021/11/11 23:59)
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新国立競技場問題|菊地尊也:Artwords(アートワード)
2021/05/14(金)(五十嵐太郎)