artscapeレビュー
2022年02月01日号のレビュー/プレビュー
石原友明「蝿とフランケン」
会期:2021/12/04~2021/12/29
MEM[東京都]
石原友明がこのところずっと続けている「自画像」シリーズが、よりスリリングな展開を見せはじめた。2016年にMEMで開催された個展「拡張子と鉱物と私。」では、頭髪をスキャンしたデータをプリントしたり、3Dスキャンした自らの身体の部位をスライスして重ね、再構築したりする作品を発表した。今回の個展では、その作業をさらにエスカレートさせている。
「I.S.M.―代替物」では、3Dプリンタで1.7倍の大きさに拡大した身体のパーツを、あたかもフランケンシュタイン博士が死体をつなぎ合わせて人造人間を作り上げるような手つきで積み上げてみせた。さらに、もうひとつのシリーズ「犠牲フライ」では、死んだ蝿をフィルムの上に無造作に並べてフォトグラムを作成し、それをポジに転換してプリントしている。さらに別室には、皮の球体をつなぎ合わせた自作の彫刻作品を、口からぶら下げるように装着して撮影したセルフポートレート作品「Ectoplasm#4」も展示されていた。
これらの仕事から見えてくるのは、自らの身体を、素材として徹底的に解体・消費・再構築していこうとする石原の志向性である。あたかもマッド・サイエンティストのような、ナルシシズムのかけらもないその作業によって、身体とは、生から死に向かうプロセスの一断面を掬いとった状態でしか提示できないことが多面的、多層的にさし示されていく。スキャナーや3Dプリンタのような、デジタル機器を積極的に使用することによって、以前にも増して自由な発想を形にすることが可能になってきた。まだこの先に、思いがけないやり方で、新たな身体性を開示する表現が出てくるのではないかという期待がふくらむ。
2021/12/23(木)(飯沢耕太郎)
生誕120年 木村伊兵衛回顧展
会期:2021/11/13~2022/01/23
秋田県立美術館[秋田県]
木村伊兵衛の写真を秋田で見ることには特別な感慨がある。1920年代以来、50年以上にわたる彼の写真家としての経歴をたどり直すと、1952年に「第5回秋田県総合美術展覧会」の写真部門の審査に招かれて以来、1971年まで21回にわたって繰り返し秋田を訪れて撮影した「秋田シリーズ」は、質量ともに最も充実したものといえるからだ。ところが、これまで「秋田シリーズ」を含む木村伊兵衛の代表作を秋田で見る機会はほとんどなかった。その意味で、今回の「生誕120年 木村伊兵衛回顧展」は、特別な意味を持つ展覧会といえる。
展示の全体は、「夢の島──沖縄」「肖像と舞台」「昭和の列島風景」「ヨーロッパの旅」「中国の旅」「秋田の民俗」の6部、132点で構成されている(カタログを兼ねた写真集『木村伊兵衛 写真に生きる』(クレヴィス、2021)には177点を収録)。写真家としての初心を生き生きとさし示した「夢の島──沖縄」から、生涯を締めくくる大作「秋田の民俗」まで、広がりと膨らみを備えた写真世界を堪能することができた。こうしてみると、木村の写真の真骨頂が、人間、とりわけ集団(群れ)としての人間の姿をとらえることにあったことがよくわかる。彼の写真に写っている人間たちは、多くの場合、孤立した個ではなく、互いに結びつき、影響を与え合っている。彼らの表情や身振りなどによって開示される、ダイナミックな関係性、生命力の発露が、融通無碍なカメラワークで見事に切り取られているのだ。木村伊兵衛の「名人芸」についてよく言及されるのだが、単純にシャッターチャンスや構図の素晴らしさだけでなく、人間観察、人間探求の凄みを味わうべきだろう。
今回の秋田県立美術館の展覧会では、3階のギャラリー・スペースで「秋田の写真家たち」と題して、岩田幸助、千葉禎介、大野源二郎の作品、38点が特別展示されていた。秋田県在住の3人の写真家たちは、1952-71年の木村伊兵衛の秋田滞在に際して案内役を買って出て、行動を共にしていた。たしかに、題材、スタイルにおいて、木村の影響を強く受けていることは否めない。だが、そこには秋田という土地に根ざして活動してきた写真家たちに特有の、被写体との細やかで、息の長いかかわりのあり方が、しっかりと写り込んでいる。木村伊兵衛と秋田の写真家たちとの関係のあり方については、次世代の写真家たちも含めて、あらためてより大きな規模での展覧会が考えられそうだ。
2021/12/28(火)(飯沢耕太郎)
植田正治を変奏する RESEARCH/TRIBUTE
会期:2021/11/29~2022/01/29
写大ギャラリー[東京都]
植田正治の写真の仕事は、ほかにあまり類を見ないユニークなものだと思う。山陰の鳥取県に在って、ローカリティに根ざした風物を撮影し続けながら、その写真の世界はむしろグローバルに開かれていて、海外の評価も高い。題材、手法とも驚くほど多種多様で、写真の旨みをこれほど深く味わわせてくれる作家はあまりいないだろう。とはいえ、決して「上手い写真家」という範疇におさまることなく、写真作品を本格的に撮影し始めた1920年代から晩年に至るまで、常に新たな領域にチャレンジし続けていった。
今回の展覧会は、三男の植田亨氏所蔵のヴィンテージ・プリントと、東京工芸大学写真学科教授の田中仁のコレクションを中心に構成されている。「中学5年(昭和5年)カメラ雑誌の表紙で囲ってフォト・モンタージュ風に撮った。手にはピコレットを」と記された初期の実験作から、1983-1993年の「砂丘モード」の連作まで、会場に並ぶ65点の作品を見ると、ひとりの写真家の模索と探究の道筋が浮かび上がってくるように感じる。田中仁が展覧会に寄せた文章で植田のことを「研究熱心な写真家」と書いているが、単純な「研究」というよりは何かに取り憑かれているという印象が強い。今回の展示には、ヴィンテージとモダン・プリントが混在しているのだが、熟考を積み重ね、トリミングや焼きをかなり変更している様子が見てとれる。写真は彼にとって、汲み尽くしきれない表現意欲の源だったのではないだろうか。
今回の展覧会の白眉は、もしかするとギャラリーの外のスペースを使った「植田正治が遺したもの」のパートかもしれない。2021年に、田中仁が植田正治の生家を訪ねて撮影した遺品の写真が、壁にびっしりと並んでいた。手紙、色紙、原稿、アルバム写真、コンタクトシートなどに加えて、カメラ、暗室用品、蔵書などを撮影した写真もある。圧巻は、植田が生前に描いたドローイングやスケッチ類の複写で、画家としての才能も並々ならないことがうかがえた。不世出の写真家の作品世界を、さらに深く読み解いていくためのヒントがたくさん隠れているようで、とても心躍る眺めだった。
2022/01/08(土)(飯沢耕太郎)
池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて
会期:2021/12/18~2022/02/27
府中市美術館[東京都]
最近、コロナ禍で企画展を組みにくくなっていることもあって、空っぽの展示室をそのまま見せる美術館が出てきた。展示作品より建築自体に目を向けてもらおうとの意図もあるようだ。池内晶子の美術館初の個展は、もちろん建築を見せるのが主眼ではないものの、結果的に展示室をつぶさに見せられるばかりか、ふだんは気にもしていない美術館の立地条件さえ暴いていた。
池内は絹糸を素材にしたインスタレーションで知られるアーティスト。その作品はきわめて繊細ではかなく、目に見えないほどか細いものもある。今回のインスタレーションは、企画展示室の1~3とエントランスロビーに設えた計6点の「Knotted Thread」シリーズ。だが、なんとそのうち2点は「見えなかった」。まず、企画展示室1のインスタレーションは、円筒状の赤い絹糸が壁の四方から吊るされ、その下に、中心から遠ざかるにつれてまばらになるように同心円状に糸が置かれている。絹糸はきわめて細く、1本ではほとんど見えないが、円形に蓄積されることで床がうっすらと赤く染まる程度には存在感を主張する。使った糸は全長2万2千メートルに及ぶという。
企画展示室2は照明が落とされ、遠くからはなにも見えない。近づくと、スポットライトのなか、床すれすれまで1本の糸が垂れているのがわかる。その糸は壁の2方から伸びてきた糸でY字型に支えられている。それだけ。おそらくこの美術館で展示された作品のなかでもっともか細く、軽量な作品に違いない。
企画展示室3には立ち入り禁止の仕切りが置かれているだけで、最初はなにも見当たらない。仕切りに沿って移動していくと、光の加減でわずかに赤い糸が見えてくる。両側の壁から弧を描くように無数の糸が横断しているのだ。「鑑賞ガイド」を見ると、この展示室にはガラスケースのなかにもう2点あるらしい。よくよく探したら手前の作品は見つかったけど、奥にあるはずの作品は見つからなかった。ぼくの目が悪いせいか、それともだれにも見えないのか。ひょっとしたら展示してなかったりして。エントランスロビーの吹き抜け空間にも1本の糸が張られているというが、2階から、階段を降りながら、下からそれぞれ目を凝らしたが、とうとう見つからなかった。
そんなわけで、作品を鑑賞するより、つい作品を発見することに一生懸命になってしまうが、同展には糸が隠れているだけでなく、また別の意図も隠れている。「鑑賞ガイド」を見るとわかるが、壁から伸びる糸はすべて壁面に対して斜めの角度になっている。これは糸を東西または南北の方向に張り渡しているからで、逆にいうと、この美術館建築が東西または南北の方角を向いていないということを示している。これまで意識したこともなかったが、図らずも府中市美術館がどういう方角に建てられているかを明らかにしたわけだ。ではなぜ東西南北かといえば、それがもっともわかりやすい基準だからだろう。彼女はどの美術館、どのギャラリーで展示するときも、建物の方角に関係なく糸は東西南北に渡される。それが彼女のか細い作品を支える骨格になる。そしてこの原則を設けることによって、作品はすべて統一されたフォーマットのなかに位置づけられるのだ。
2022/01/09(日)(村田真)
フィリア―今道子
会期:2021/11/23~2022/01/30
神奈川県立近代美術館 鎌倉別館[東京都]
ベッドの上にたくさんのキャベツを敷きつめたり、コハダの切り身を重ねてブラジャーをつくったり、タコと点滴装置と人形の首を組み合わせたり……。今道子の写真を一言で表わせば「グロテスク」に尽きる。グロテスクの語源がグロッタ(洞窟)で、それが地中から発掘された動物や植物の入り混じった古代ローマの奇怪な装飾に由来するならば、つまり異質なもの同士の風変わりな組み合わせを意味するならば、今の写真はまさにグロテスクというしかない。それはまた、「解剖台の上でのミシンとコウモリ傘の不意の出会いのように美しい」と歌ったロートレアモンの詩に代表されるような、シュルレアリスムの美学でもあるだろう。その趣味嗜好は、モデルとして登場する数少ない人物が澁澤龍彦(遺影として)、種村季弘、四谷シモンらであることからも明らかだ。
ぼくが今の写真を初めて見たのは、1979年に横浜のギャラリー芝で開かれたグループ展「写真としての芸術、芸術としての写真」においてだった(展覧会歴を見ると、これが最初の発表らしい)。その直前に『ぴあ』の取材で出品作家たちに会い、話を聞いて記事にしたのでよく覚えている。でも4人の出品作家のなかで、顔も名前も作品も覚えているのは最年少の今だけで、ほかにだれがいたのか、どんな作品があったのかまったく記憶にない。それほど今の写真が際立っていた。ちなみに、今回の出品作品のなかでそのとき出ていたのは、冒頭のベッドの上にキャベツを並べた《キャベツ+寝台(1)》(1979)や、ストッキングに野菜を詰めてベッドに横たえた《野菜+ストッキング》(1979)だったと思う。
ついでにいうと、グループ展のタイトルにも使われた「芸術としての写真」というフレーズがにわかに注目を集めるのは、それから10年後の1989年、写真発明から150年目のことだった。この年、プロの写真家ではなく、アーティストによる写真を使った作品、つまり「芸術としての写真」を集めた企画展が何本も開かれ、今もいくつかに出品している。それまでも「芸術としての写真」がないわけではなかったが、大半は概念的なコンセプチュアル・フォトで、今のような物語性のある写真が続々と現われるのはこのころからだ。そういう意味で今は早かった。
しかしそれより今のすごいところは、作風こそ少しずつ変化しているものの、野菜や生魚や日用品を組み合わせて写真に撮るという基本コンセプトが、40年以上ほとんど変っていないことだ。だから展覧会場を見渡すと、モチーフが一貫しているのはもちろん、一部を除いて大半が黒い背景のモノクロームプリントだし、額縁もほとんど黒に統一されている。そのため写真が遺影のように見えるが、魚や野菜の「死体」を被写体にしているので、あながちそれも間違いではないだろう。展覧会全体としては単調ともいえるが、それ以上に一貫したテイストを持続させていることに舌を巻くのだ。
2022/01/09(日)(村田真)