artscapeレビュー
2023年11月01日号のレビュー/プレビュー
ニュー・サウス・ウエルズ州立美術館
[オーストラリア、シドニー]
中国行きの予定が延期となり、確保していた日程を使い、シドニーを訪れた。15年ほど前、国際交流基金基金の企画展「Rapt!」(2006)のためメルボルンに向かう途中、トランジットで2時間くらい駆け足で回っただけの都市なので、一度はじっくりと滞在したいと考えていたからである。シドニーは、ハイドパークからロイヤル植物園まで、都心に緑地が連続的に展開されているが、その中間のあたりに 《ニュー・サウス・ウェルズ州立美術館》が建つ。
本館は古典主義の外観をもち、ミケランジェロやレンブラントなど、外壁に偉大な芸術家や建築家の名前が刻まれる。いかにも美術館という王道のファサードだが、1911年に完成した後、1972年に北側のギャラリー、1987年にさらなる増築が行なわれており、内部に入ると、現代建築の空間が続く。常設のエリアでは、過去の絵画と現代のインスタレーションを同居させている。また奥のアジア美術のセクションには、日本の茶室が組み込まれていた。ほかにイラン人の写真家、ホダ・アフシャールの企画展や、ゲストによるコレクションの再構成が行なわれていた。
本館と隣接して、昨年末にオープンしたのが、SANAAが設計した新館である。彼らは1990年代にもシドニーの現代美術館の新館を依頼されていたが、こちらは実現しなかった。しかし別のデザインになったものの、この《ニュー・サウス・ウェルズ州立美術館》新館は、文化開発を目指したシドニー・モダン・プロジェクトの一環として完成した。本館と比べると、作品は現代アートに特化し、SANAAが得意とする開放的なガラスの空間が多い。傾斜地のランドスケープと呼応しながら、さまざまな向きに振られた箱型のボリュームが、立体的に連鎖しつつ、配置されている。また異なる高さのレベルで、屋外のテラスや中庭に出ることができ、海や街並みの眺めも楽しめる。端的に言って、気持ちが良い空間の体験だった。なお、地下のオイルタンクのギャラリーは閉鎖中だっため、見学することができなかった。ちなみに、本館・新館ともに入場無料であり、誰もが自由に出入りできる。こうした意味では、SANAAが目指す公園のような建築に近い性格をもつ。その特徴を空間として巧みに引き出したのが、まさに新館のデザインである。
ニュー・サウス・ウェルズ州立美術館:https://www.artgallery.nsw.gov.au/
2023/10/04(水)(五十嵐太郎)
シドニー・オペラハウス50周年
[オーストラリア、シドニー]
《シドニー・オペラハウス》(1973)を見学するために、海を囲むサーキュラー・キーを再訪する。海側から振り返ると、街並みの輪郭が凸凹し、巨大な土木構築物が貫入するほか、近代以前の建築は古典主義が崩れており、欧米よりはアジアに近い雰囲気に対し、親近感を覚える印象は前と変わらない。またハーバー・ブリッジの向こうには、水辺でルナ・パークと集合住宅群が近接し、住戸バルコニーの目の前で絶叫ライドが動くという凄まじい状況である。
しかし、ここが観光客にとって必須の場所となったのは、いまやシドニーだけでなく、オーストラリアという国を代表するランドマークであり、人工的な建造物としてはもっとも若い世界遺産、すなわちヨーン・ウツソンが設計した《シドニー・オペラハウス》が建つからだ。今回は1時間のガイド・ツアーに参加し、内部のクラシックのコンサートホールと劇場を見学したが、ホワイエから眺める海の風景はやはり素晴らしい。5000円近い参加費でも、世界中の観光客が集まり、毎日いくつもツアーができる現代建築はあまりないだろう(オペラやミュージカルを鑑賞するよりは安く、しかも複数のホールが見学できる)。
20世紀半ばの鉄筋コンクリートの技術が可能にした新しい造形は、完成までに十数年かかり、コストが膨れすぎたために、政治的に攻撃され、途中で建築家が辞めざるを得なかったが(後に名誉回復)、やはり彼がコンペに提出した最初のスケッチに描かれた曲線的なデザインが、普遍的な価値を獲得したのだろう。近くのシドニー博物館では、2023年10月にオープン50周年を記念するオペラハウスの企画展を開催していた。大変だった設計や建設の経緯はもちろん(インテリアはオーストラリアの建築家に引き継がれ、当初案と違うものとなった)、オープン時の式典や公演の記録、これまでのポスターなどを通じた活動の紹介、上演に使われた衣装、舞台美術のほか、グッズ、ニュースの映像におけるオペラハウス、アート作品化された造形などによって、半世紀の歴史を紹介している。
資金難を解消するために宝くじが行なわれたり、現地の家庭にも何気なく置かれているであろう膨大な種類のグッズを見ると、パフォーミングアーツの鑑賞に出かけなくても、国民に浸透した建築であることが伺えるだろう。またさまざまな視点からのドキュメント映像も興味深い内容であり、1時間半ほどかけて4作品ほど鑑賞した。後に和解はしたが、ウツソン自身は完成したオペラハウスを見ていないという(亡くなったのは2008年)。改修などの監修は、建築家になった彼の息子が引き継いでいる。
シドニー・オペラハウス:https://opera.org.au/welcome/ja/
「The People’s House: Sydney Opera House at 50」展(シドニー博物館):https://mhnsw.au/whats-on/exhibitions/the-peoples-house-sydney-opera-house-at-50/
2023/10/05(木)(五十嵐太郎)
生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ
会期:2023/10/06~2023/12/03
東京国立近代美術館[東京都]
展示を見ていて思ったのは、棟方志功は最初「わだばゴッホになる」といって油絵を始めたのに、なんで版画に転向してしまったのかということだ。初期の油絵(および疎開先の富山で描いた風景画)を見ると、続けていれば安井曽太郎や梅原龍三郎並みにはなっていたかもしれないと思う。だからといって版画に走ったのは失敗だった、とは思わない。なぜなら安井・梅原と肩を並べたところで世界には通用せず、しょせんドメスティックな洋画家に終わっていただろうから。ところが版画家としての棟方は、サンパウロ・ビエンナーレで版画部門最高賞(1955)を、ヴェネツィア・ビエンナーレでは国際版画大賞(1956)を受賞し、世界の頂点を極めた。もっとも両ビエンナーレとも「版画部門」での受賞だが、それでも洋画家として国内に埋もれるよりはるかに大きな名誉を手にし、広く国際的に認められたのだ。
なぜ棟方は油絵を捨て、版画の道に進んだのか。思いつくまま理由を挙げてみると、まずこれは偏見かもしれないが、晴れた日が少なく色味に乏しい青森出身だから、単色もしくは少色の版画が向いていた説。でも子供のころから色鮮やかなねぶたに親しんでいたというから違うか。まあ、版画に転向してからは、ねぶたの力強い明快な線描表現から影響を受けたかもしれないが。また視力が弱かったので、油絵より目と画面の距離が近い版画を選んだ説。これは例の版面に目を近づけて一心不乱に彫る姿からの推察だ。
いま思いついたが、画面に絵具を塗る油絵はあまりに直接的すぎるので、頭を冷やすため彫りと摺りのプロセスが入る版画の間接性を求めた説。うなずけそうな気もするが、こじつけっぽい気もする。もっと単純に、版画のほうが性に合っていた説。もう少し詳しくいうと、油絵で公募展に落選し続けたころ、川上澄生の版画に出会い、眠っていた版画魂(?)が開眼した説。だんだん「メイキング・オブ・ムナカタ」の核心に近づいてきたぞ。でも実は、木版画のほうが画材も安いし、売りやすかったという経済的な事情説も考えられる。これがいちばん納得しやすいか。
ともあれ棟方は、版画を選んだことで唯一無二のスタイルを確立することができ、「世界のムナカタ」になったのであって、油絵では世界一はおろか日本一も難しかったに違いない。ま、結果論だけどね。ちなみに、東京国立近代美術館が棟方の個展を開くのは3回目で、これは横山大観や黒田清輝という近代日本の2大巨匠よりも多く、同館も「稀有な例」と認めている。おそらく版画なので作品数が多いのも理由かもしれない(贋作も多いといわれているけど)。今回は初期の代表的な連作《二菩薩釈迦十大弟子》(1939)をはじめ、青森県庁舎の壁面を飾った幅7メートル近い大作《花矢の柵》(1961)など約100点に加え、挿絵本なども展示。
生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ:https://www.munakata-shiko2023.jp
関連レビュー
わだばゴッホになる 世界の棟方志功|小吹隆文:artscapeレビュー(2017年02月01日号)
2023/10/05(木)(内覧会)(村田真)
超老芸術展 -遅咲きのトップランナー大暴走!-
会期:2023/10/03~2023/10/08
グランシップ6階 展示ギャラリー[静岡県]
いま個展を絶賛開催中のデイヴィッド・ホックニーや横尾忠則は、半世紀以上にわたって華やかな第一線で活躍してきた「長老」芸術家だが、ここに集められた「超老」芸術家は、退職後に突然作品をつくり始めたり、何十年も人知れずコツコツと絵を描き続けてきた知られざる人たちだ。老後のアマチュア美術家ともいえるが、その熱量と方向性は趣味の域をはるかに超えてとんでもない境地に達している。サブタイトルにあるように、まさに「遅咲きのトップランナー大暴走!」なのだ。
清水信博(1950-)は障害者支援施設に入居後、テレビに映る女性のお尻を撮影して紙に描いている。といってもすべて着衣で、膝から後頭部までの後ろ姿だが、臀部は一様に丸くて大きい。「尻フェチ」か「マザコン」か。色彩も豊かで、数百枚も並ぶと圧巻。見原英男(1936-2023)は漁師や水産加工所で働き、70歳で退職後いきなりカツオの木彫りをつくり始めたという。その数300点以上。さすがにカツオを釣り、タタキをつくっていただけあって、かたちも色も正確だ。
ガタロ(1947-)は33歳から清掃員として働き始め、拾ってきたクレヨンなどで清掃道具や靴をスケッチするようになる。5年前から毎日描いているというしぼった雑巾の数百枚に及ぶ連作は感動的。岩崎祐司(1946-)は自転車店を経営しながら独学で木彫を始め、50歳からダジャレと木彫を融合させた「パロディ笑彫」をつくっている。太った人が横たわる彫刻には「マツコリラックス」、長髪の青年がスクーターに乗る姿には「リョーマの休日」、サイを背負い投げする像には「サイは投げられた」といったタイトルがつけられている。木彫技術はウマすぎずヘタすぎず、くだらないダジャレにピッタリ合っているのだ。
田中利夫(1941-)は、朝霞の米軍基地近くにあった実家に出入りする娼婦と米兵の記憶をもとに、10年前から朝霞の裏面史を紙芝居に描いて伝えてきた。紙芝居の絵はプリミティブながらコラージュなどの手法も使い、よくできている。小八重政弘(1954-)は、石材加工会社で働きながら拾い集めた石に人の顔を彫るようになった。退職するまでにつくった作品は約3,000点。笑い顔あり泣き顔あり、それが数百点も凝集するさまは不気味だ。
総勢22組、作品は計1,500点を超す。この「質より物量」「考える前に手を動かす」精神は、凡庸な日々を送るわれわれに揺さぶりをかける。会場にはやはりというか高齢者が多く、ずいぶん賑わっているなと思ったら、出品作家の何人かが自作の前で待ち構え、来場者を捕まえて解説しているのだ。もう話したくって仕方がないのだろう。こうした光景は功成り名を遂げた「長老」芸術家の展覧会では、オープニングでもない限り見られないことだ。
超老芸術展 ─遅咲きのトップランナー大暴走!─:https://artscouncil-shizuoka.jp/choroten
2023/10/06(金)(村田真)
開館35周年記念 福田美蘭─美術って、なに?
会期:2023/09/23~2023/11/19
名古屋市美術館[愛知県]
安井賞を受賞した1989年の大作《緑の巨人》から、本展のために制作した5点の最新作まで、34年にわたる作品のなかから計56点を展示。新作を除いて出品作品の大半は見たことがあるので、これまでの軌跡を代表作で振り返る「還暦」記念展といっていいだろう(本人は嫌がるだろうけど)。作品は年代順ではなく、「福田美蘭のすがた」「名画─イメージのひろがり」「名画─視点をかえる」「時代をみる」というテーマ別に並んでいる。驚くのは、年を追うごとに磨きをかけてきているとはいえ、時代によってコンセプトも描画技術もそれほど変わりがないこと。裏返せば、20代のころからすでに完成の域に達していたということで、これじゃあ年代順に並べても意味がない。
福田の絵の特徴は、テーマがなんであれ現実の人物や風景を見て描くのではなく、写真やマンガや絵画などすでにある画像に基づいて制作すること。たとえば《ゼレンスキー大統領》(2022)は、当然ながら本人を前にして制作したのではなく、おそらく報道写真を見て描いたものだ。初期の《緑の巨人》のコメントに、「伝統的絵画からコミックまで、視覚による情報として誰でも知っている既存のイメージで作品をつくっていこうとした」とあるが、この姿勢はいまでも守られている。
ただし、写真や名画を丸写ししているわけではない。《ゴッホをもっとゴッホらしくするには》(2002)は、名画ならぬ贋作をより本物らしく描き直すというアクロバティックな試み。きっとゴッホ作品と贋作を見比べながらゴッホになりきって描いたに違いない。また、モナリザが寝そべっている《ポーズの途中に休憩するモデル》(2000)や、林のなかで裸の女性と着衣の紳士がくつろぐ《帽子を被った男性から見た草上の二人》(1992)は、パッと見なんだかわからないが、すぐにだれもが知っている名画を異なる視点から描き変えたものであることに気づく。この場合、福田はポーズするモデルを参照したかもれないが、それより《モナリザ》や《草上の昼食》を凝視し、3次元化し、絵のなかに入り込んでヴィジョンを得たことのほうが重要だ。
福田にとって「なにを描くか」「どのように描くか」といったことは重要だが、それより実は「どこまで描けるか」がいちばんの問題なのではないかとふと思う。アイデアが浮かんだとき、たいていそれは突拍子もないものだが、それを自分は絵にできるかどうか自問してみる。簡単に絵にできそうなアイデアだったら、ほかのだれかがすでにやっているかもしれないので採用せず、描くのが難しい、だれも思いつきそうにない、実現できそうにないアイデアこそ作品化しているのではないかと思うのだ。陳腐な言い方をすれば「不可能に挑戦」しているわけだが、なぜそんなことをするのかといえば、うまく描き上げたときの喜びに勝るものはないからだろう。一種の征服欲というか、高い山ほど登りたくなるように、うまい絵ほど描きたくなるみたいな。あくまで憶測にすぎないが。
もし福田にライバルがいるとすれば、それは最近になって登場したAIに違いない。「ゴッホの贋作をもっと本物らしく」とか「モナリザをその場で休憩させて」とか入力すれば、それなりの絵柄が出力されるだろう。もちろんそこにはマチエールがないし、描く楽しみも描き上げた喜びも得られないが。ほかにも、写楽の浮世絵をリアルに肉づけした《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》(1996)にしろ、ロシアの大統領をモディリアーニ風にアレンジした《プーチン大統領の肖像》(2023)にしろ、福田の絵の多くはAIの得意とするところ。その意味で、福田はAI絵画の先駆者ともいえるのだ。しかしAIが追いついてきた以上、これからはAIでは描けない、AIの追従を許さない絵画を目指すしかないだろう。
開館35周年記念 福田美蘭─美術って、なに?:https://static.chunichi.co.jp/chunichi/pages/event/fukudamiran
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2023/10/06(金)(村田真)