artscapeレビュー

2009年04月01日号のレビュー/プレビュー

苅谷昌江 個展 Screen

会期:2009/03/18~2009/04/25

studio J[大阪府]

京都での「now here,nowhere」、東京での「VOCA展」と出展が相次いだ苅谷が、間髪をいれず個展を開催(と言っても、先に個展が決まっていたのだが)。新作は、映画館と思しき場所にさまざまな猿たちが座っていて、スクリーンがあるべき場所には密林が広がっている、というもの。いかにもストーリーがあり気だが、説明的な要素は見当たらず、見る者それぞれが自分なりの解釈を要求される。むしろ、絵から滲み出る不気味で不安定な感触を味わうこと自体が彼女の意図なのかも。床に置かれた裸電球と鳥のシルエットも相まって、空間全体が苅谷のトーンに染まっていた。

2009/03/19(木)(小吹隆文)

ボクデス「スプリングマン、ピョイ!」

会期:2009/03/19~2009/03/20

SuperDeluxe[東京都]

「ベスト・ライブ」と銘打ってはあるものの、ほぼ「全部のせ」。きゅうりでお盆の動物やおつまみをつくり、カレーを早(?)食いし、睡眠中独り言を漏らし、蟹を振り回し、時計を見る仕草をダンスとして披露する。ワンアイディアの短い作品を繋ぎ、休憩を何度も挟んで18演目、2時間。たっぷりとボクデスを堪能し、わかってきたのは「おっさん」「論理性=だじゃれ」「失敗」といった構成要素。要するに、だめな若いおじさんの無茶な振る舞いを笑って、笑うことで許し、愛するというとても平和な、母性的な時間が会場に流れているのだった。だめだけど嫌われるほどでないキャラがつくるのほほんとした会場の空気。CMやテレビドラマに出演しているというタレント・パワーもそれを助長する。だじゃれネタもそうだけれど、画像にあらわれるキャプション使いなどかなり「テレビ」的な公演。『増殖』(YMO)ネタなどは80年代。すると根底にあるのは「80年代のテレビっ子」の感性であって、この感性とどうつきあっていくべきかという社会問題として考えさせられた。
ボクデス:http://www6.plala.or.jp/BOKUDEATH/

2009/03/19(木)(木村覚)

Chim↑Pom「広島!」

会期:2009/03/20~2009/03/22

Vacant[東京都]

本展覧会の核となる、というかあの騒動の原因を招いた《広島の空をピカッとさせる》は、動画作品だった。騒動の際に流通した写真は「ピカッ」の文字だけが切り取られた状態であったけれども、この作品にとって重要なのは、この文字の下に原爆ドームが配置されていることで、もっと重要なのは、原爆ドームの下、のどかな調子で歩く修学旅行生や市民の姿をカメラがフレームインさせていることだった。原爆ドームが示唆する〈過去の現実〉とその足元の呑気で鈍感な〈今日の現実〉。上空の「ピカッ」は、2つの現実を重ねるとともに、両者のギャップを痛烈に意識させる装置だったのだ。本作に一層の凄味を与えているのは、「ピカッ」が飛行機雲で出来ていることだった。つまり、かつてリトルボーイを搭載し飛行した武器が、脳天気な表情のカタカナを描く絵筆へと誤用されているわけだ。リトルボーイの放った光がゆっくりゆっくりと描かれてゆくこの文字だったらよかったのに、と思う。けれどもそんな無邪気な夢(ギャグ)は、原爆ドームの現実にかき消されてしまう。しかもそのドームの現実はさらに、穏やかな今日の現実にスルーされている。ドームにはカラスがちょこんと座っていて、Chim↑Pomのカメラは、その光景全体をじっと見つめている。彼らの制作過程に勇み足の面があったとしても、またそれによって悲しみや怒りを引き起こしたことが事実であるとしても、この作品が映し出した現実は間違いなくひとつの現実であり、現実を映す鏡の機能を強烈な仕方で発揮している本作が、彼らの代表作、のみならずこの時代の代表作となるのは間違いない。これは彼らの作品ではなくぼくたちの作品である。

2009/03/20(金・祝)(木村覚)

椿昇2004-2009:GOLD/WHITE/BLACK

会期:2009/02/17~2009/03/29

京都国立近代美術館[京都府]

美術家・椿昇の個展。会場に一歩足を踏み入れると、キャプションも解説も一切設けない、椿の「オレ様ワールド」が全開になっていて、ちょっとひく。「鑑賞前に通読されることをお奨めします」となにやら忠告めいた断り書きがつけられたパンフレットのテキストも、いかにも現代思想にガツンと打ちのめされた大学院生が書いたような理屈っぽい文章で、暗い展示室内では最後まで通読することもままならない。結果として、印象に残ったのは牛の首を切断する映像作品だけで、これも血の海のなかで死んでゆく牛の眼球を執拗にクローズアップでとらえているせいか、安手のヒューマニズムを喚起することはあっても、これではたして「ラディカル・ダイアローグ」が可能となるのかどうか、疑わしい。美術館のロビーに設置されたロケットのような巨大な風船模型も、いまや伝説と化している横浜のホテルにはりついたバッタには到底およばない代物で、せめて海風にあおられるバッタほどの滑稽な勇姿を見せてもらいたかったものだ。

2009/03/20(金)(福住廉)

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インシデンタル・アフェアーズ うつろいゆく日常性の美学

会期:2009/03/07~2009/05/10

サントリーミュージアム[天保山][大阪府]

「わかるようでわからない」という、美術館の企画展にありがちなタイトルはともかく、国内外の17人による作品を集めた展示は、それなりに見応えがある。ティルマンスやペイトンといった有名作家から宮島達男、東恩納裕一といったベテラン、佐伯祥江や田中功起、さわひらきといった中堅、榊原澄人や横井七菜といった若手まで、出品作家のバランスもよい。なかでも増殖しながら離合集散を繰り返す群衆を描き出したミシェル・ロブナーの映像作品と、紙でつくったフェイクの対象をリアルに撮影したトーマス・デマンドの写真作品は、一見の価値あり。

2009/03/20(金)(福住廉)

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