artscapeレビュー

2010年04月01日号のレビュー/プレビュー

シュウゾウ・アヅチ・ガリバー EX-SIGN展

会期:2010/02/27~2010/04/11

滋賀県立近代美術館[滋賀県]

昔から多くの美術業界人からエピソードを聞いていたが、実作品を見たことがないため自分のなかで伝説化していたシュウゾウ・アヅチ・ガリバー。その正体は私が勝手に妄想していた1960年代的アングラ・カルチャーの伝承者ではなく、極めてスタイリッシュかつ哲学的なコンセプチュアル・アーティストだった。特に近年の作品は簡略化された記号的表現へと昇華されている。それをもって物足りないという人もいるかもしれないが、一貫したテーマを追求しつつも過去に拘泥しない姿勢は、好む好まざるに関わらず評価されるべきものだと思う。本展は彼にとって初の回顧展。企画を実現した滋賀県立近代美術館にも高評価が与えられるべきであろう。

2010/02/26(金)(小吹隆文)

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高木こずえ「MID」

会期:2010/02/17~2010/03/12

第一生命南ギャラリー[東京都]

第35回木村伊兵衛賞を受賞した高木こずえの写真展。日本橋高島屋の美術画廊XではVOCA展2009にも出品していた「GROUND」シリーズを展示していたが、ここでは「MID」というシリーズを発表した。壁面に縦横無尽に貼りつけられた写真に写し出されているのは、暗闇のなかストロボで浮かび上がった田んぼやガードレール、牛、猫。典型的な田園風景を無造作に撮影したスナップショットのようでありながら、どういうわけか、しばらく見続けていると、昔見た夢のなかを漂っているかのような錯覚を起こす。爆発的なエネルギーを体感できる「GROUND」とは対照的に、「MID」はどこまでも吸い込まれていきそうな恐ろしさが魅力だ。海面すれすれで旋回する飛行機の機影をとらえた写真など、謎めいたモチーフも観覧者の心をざわめきたてる。

2010/02/26(金)(福住廉)

チェルフィッチュ『わたしたちは無傷な別人であるのか?』

会期:2010/02/14~2010/02/26、2010/3/1~2010/03/10

STスポットほか[神奈川県]

近々タワー型のマンションに移り住む予定の〈幸福な若夫婦〉のお話。この幸福には根拠がないと悩む妻。妻の悩みにどう返答すべきか戸惑う夫。そんなある日、妻の同僚の若い女性が彼らの住まいに遊びに来る。きわめて日常的で小さなお話。その所々に差し挟まれるのが他人の振る舞いについてのエピソード。例えば、夫婦の住まいへ向かう電車で若い女性は見知らぬ隣の男がなぜちょっと古い音楽を聴いているのか気になってしまう。そんな、ささやかだけれど不断に起こる他者との接触にぼくらは日々さらされている。本作はその接触の事態に留まり続ける。どこかで聞いた選挙CMの文句を登場人物がそらんじるのも、他者(ここではCMや選挙なるもの)が自分の内に不断に侵入してくる日々の表現だろう。他者の侵入はいらいらや不安を誘発し妄想を助長する。山縣太一が演じる男は妻の妄想の産物で、妻の幸福を輪郭づける不幸の表象としてあらわれる。この男=山縣の佇まいのなんと怪物のように不気味なこと。今作の際だった特徴はこの異形性にあった。台詞に端を発した動きではあるのだけれど、どの役者たちも人間らしさの希薄な、ヌルッとした粘着質の不思議な身体と化していた。台詞にも独特のひっかかり(異形性)があって、リアルな発話とは言い難く、ときに役者たちは役を演じるというよりも単なる朗読者になっていた。ほかにも壁の掛け時計や時折役者がストップウオッチで時間を計りながら芝居が進むなど仕掛けに溢れた上演は、日常の出来事の演劇的解体のみならず演劇そのものの解体の過程でもあって、ときにグロテスクささえ感じさせるこの解体の光景は、演劇の未知なる相貌を垣間見たという知的な快楽に満ちていた。

2010/02/26(金)(木村覚)

東京五美術大学連合卒業・修了制作展

会期:2010/02/18~2010/02/28

国立新美術館[東京都]

国立新美術館を舞台とした五美大展。多摩美術大学・武蔵野美術大学・東京造形大学・日本大学芸術学部・女子美術大学から選抜された作品が一挙に展示された。昨年に比べると、全体的に中庸で、そこそこおもしろいものもなくはなかったけれど、飛び抜けて突出した作品は少なかった。そうしたなか、あえて一点だけ挙げるとすれば、「プラグマ型」など女性を類型化しながら裸と情念を剥き出しにしたペン画を描きこんだ森田夕貴。まだ質に量が追いついていない点が否めないにせよ、もっと見てみたいと思わせる作品だった。

2010/02/28(日)(福住廉)

川口隆夫『動くポリへドロン──私の目に映るもの』

会期:2010/02/20~2010/02/28

セッションハウス[東京都]

1時間ほどのパフォーマンスは、1月から2月にかけて実施されたワークショップの成果披露をかねていた。「パフォーマンス」と言っても、ワークショップの課題を繋いだもので、上演後の観客とのトークで聞いたところだと、川口以外の5人ほどの参加者/パフォーマーはそれぞれ、上演中に新たな発見があったという。テーマは空間への意識を更新すること。最初の課題/演目で川口は、観客を含めた全員に目をつむらせ、目の前にはどんなものがあったか、背中の空間には何があったかをイメージさせた。その後、目を開けさせると、イメージと現実がどう違っていたかについて観客と簡単なディスカッションをした。次に、パフォーマーたちを向き合わせ、互いに車やアパートの部屋など各自が所有する空間について質問させた。さらに、黄色いテニスボールが10個ほど出てくると、パフォーマーはそれを空間のさまざまな場所に配置していった。こうして点(ボール)からはじまった空間を意識するレッスンは、さらにボールを投げ誰かがキャッチした点を三次元(縦軸/横軸/奥行き軸が目盛の付いた紐によって固定された)で次々に定めそのなかの2つの点を結ぶことで空間に線を描く課題へと移行した。6人で3本の線が空間に配置された。川口はこれを90度回転させようと言い出した。するとある点(線の端)は低位から高位に、別の点は高位から低位にずらされ、なかには床を突き破らないと置けない点も出てきた。ジェットコースターが急降下する前後のような空間の変化をパフォーマーは体感しているのだろう。その感触が観客にも伝わってくる。最後に、6人が長い紐を等間隔でつまみ(この川口のアイディアを支えたのは紐というアイテムだった)、6角形をつくると、1人がその形の内側へと入り込んだ。「紐を貼った状態で各自が移動する」といったルールが設定されていると思われるこの演目は、トリシャ・ブラウンの棒を用いたタスクによる作品を想起させるものだったけれど、ブラウンのよりも空間への顧慮が含まれていて、各自が他の5人を意識しながら(紐を貼りつつ)移動してゆくさまは、シンプルなアイディアながら緊張感のある時間をつくった。こうしたワークショップに限りなく近いパフォーマンスは、ときに参加者/パフォーマーがえた意識の変容を共有することが観客の体験となる。ならば観客が観客のままでいるのはもったいないと言うべきかもしれない。こうしたユニークな試行を経て、今後川口がさらにどんな観客との関係を切り開いてゆくのか。期待が膨らむ。

2010/02/28(日)(木村覚)

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