artscapeレビュー
2010年04月01日号のレビュー/プレビュー
三嶽伊紗 微分する眼
会期:2010/03/06~2010/03/27
ギャラリーヤマグチクンストバウ[大阪府]
展示室の壁際に白いカーテンをかけ、向う側で灯る光がうっすらと透けて見える《カーテンの向こう/白いカーテン》、13年前に描いた絵画の表層を削り取り、同じ色で改めて塗り直した《アカイ絵》、雪の日に定点観測した映像を何層も重ねて投影しした《雪1》《雪2》などの作品を出品。いずれも、日々の生活で得られる微細な感興や、忘れていた記憶がうっすら甦って来る時の何とも言い難い感覚を造形化したらこうなるのか、という感じの作品。言語化される以前の感覚を捉える鋭敏な感覚はこの人ならではのものだ。
2010/03/12(金)(小吹隆文)
武井伸吾 写真展「星宙夜想」
会期:2010/03/16~2010/03/21
NADAR/OSAKA[大阪府]
「天体写真」ならぬ「星景写真」というジャンルがあることを本展で初めて知った。星景写真とは、星空と風景の両方が写った写真を指すそうだ。山あいの湿原で撮った星空は山の切れ目から明るい光が覗く。向うに町があるのだろうか。夜の富士山と星空の写真にはふもとの人工光がしっかり捉えられており、星空との不思議な共演に目が釘付けになる。なかには昼夜の区別がつかない作品もあるし(マグリットを超えた?)、とてもワンショットで決めたとは思えない構図の作品もある。とにかく驚き。こんな世界があったとは。
2010/03/16(火)(小吹隆文)
エトリケンジ個展 VANISHING
会期:2010/03/04~2010/03/31
BAMI gallery[京都府]
人体にスチールネットを当てて成型した少女の人型オブジェ8点と、ドローイングやスケッチ類を出品。遠目には半透明に見えるオブジェははかなくも空虚で、抜け殻や陽炎が連想される。それらは都市に暮らす匿名の人間の輪郭であり、身体性を喪失した情報化社会における人間の姿を暗示しているそうだ。『攻殻機動隊』の草薙素子や『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイとリンクさせる人が多いとも聞いたが、それも納得だ。
2010/03/17(水)(小吹隆文)
増山士郎 作品集 2004-2010
会期:2010/03/09~2010/03/28
現代美術製作所[東京都]
「ネットカフェ難民」ならぬ、「アーティスト難民」で知られる増山士郎の個展。昨夏の「所沢ビエンナーレ」で与えられた展覧会場を寝床にして日中睡眠をとり、深夜にアルバイトに出掛ける作品でたいへんな反響を呼んだ。今回の個展でも会場の奥に仮設小屋を設けて寝床を公開し、同じようにアルバイトの面接の様子やこまごまとした書類も展示した。通常は眼に見えない、あるいは見ようとしない暗部を反転させる鮮やかな手つきが増山の大きな特徴だが、それは他の作品でもいかんなく発揮されていた。《parky party》は、ラーメン屋の「一蘭」のように、半ば個室化したカウンターで飲食を提供する観客参加型のインスタレーションだが、これは作品を見るというより実質的に社交の場と化している展覧会のオープニング・レセプションを大いに皮肉っているし、炎がゆらめく暖炉の映像を流したモニターとソファーを設置した《暖炉》は、文字どおり寒々しい画廊の広々とした空間への強烈なカウンターパンチである。さらに、歌舞伎町の公園に「安心! 無料! 恥ずかしい姿見放題」と謳ったいかがわしい電飾看板を2日間設置し、そこに開けられた覗き穴を覗き込むと内部に仕込まれた鏡が本人の「恥ずかしい姿」を映し出すという《歌舞伎町プロジェクト》も、木箱の内部に隠しカメラを忍ばせて運送業者が荷物を移動させる行程を記録した《moving from kanagawa to hiroshima》も、それぞれ私たちのだれもがふだんは見ることのない一面をありありと浮き彫りする、すぐれて批評的な作品にほかならない。
2010/03/17(水)(福住廉)
VOCA展 2010
会期:2010/03/14~2010/03/30
上野の森美術館[東京都]
毎春好例のVOCA展。ここ数年来の大きな特徴だった、痛々しい内面を少女マンガ的なモチーフによって具象的に描き出す傾向がある程度落ち着き、新たな方向性を求めて試行錯誤するかのように、じつにさまざまな絵画表現が発表されていて、おもしろい。選考委員のひとりである高階秀爾は、毎年図録で発表される選考所感のなかで、出品作品の多様性を褒め称える言葉をほぼ毎年必ず述べているが、批評に課せられている役割はそうした多様性を無邪気に礼賛することではなく、もう一歩踏み込んで、多様性のなかに隠されている優劣を炙り出していくことにあることはいうまでもない。たとえば、近年の活躍が目覚しい風間サチコは謎の巨人と対峙する女子防空隊の戦いぶりを描いた版画作品《大日本防空戦士・2670》を発表したが、かつての旧陸軍第三歩兵連隊兵舎と現在の国立新美術館を融合させて描くなど細部の工夫がおもしろいものの、全体としてのスケール感に乏しく、もう少し大きな画面で迫力と凄味を効かせることができたらと悔やまれてならない。さらに同じく注目を集めている斎藤芽生も、湿気を帯びた言葉を絵に添えるという手法が従来の近代絵画から大きく逸脱しているからこそおもしろかったにもかかわらず、今回展示された作品にはそうした言葉がほとんど見受けられず、いわば「椎名林檎的な世界観」が影をひそめてしまっていたのが残念である。そうしたなか、得体の知れない怪しい魅力を放っていたのが、伊藤彩。作品名に見られる言葉のセンスが光っているうえ、その絵もまるで見たことのない、不可解な世界がなんの迷いもなく描き出されているように見える。絵の展示の仕方もすばらしく、今後の動向がもっとも気になるアーティストである。
2010/03/18(木)(福住廉)