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宮岡俊夫 個展「名前を奪われた風景」

2016年06月15日号

会期:2016/05/10~2016/05/15

KUNST ARZT[京都府]

樹木の茂る田園風景、草地の向こうに見える家屋、川、無人のプール。宮岡俊夫が描くのは、匿名的で平凡な風景に見える。だがそれらは、二重、三重の手続きを介して絵画化されている。まずそれらは、宮岡自身が直接目にしたものではなく、雑誌の写真やインターネット上の画像に基づいている。さらに、元の写真や画像を180度反転させて描くことで、対象の再現よりも、色面やコンポジション、塗りの方向性や絵具の物質的厚みを意識した、抽象度の高い画面に仕上がっている。また、白く塗られた「余白」の存在は、画面上のコンポジションの一要素として機能するとともに、「矩形に切り取られた風景」を強調し、カメラのフレームや誌面のレイアウトを想起させ、「二次元のイメージ」に過ぎないことを露呈させる。
こうした宮岡の絵画は、上下反転した自作を偶然目にしたことから抽象絵画を開始したというカンディンスキーの半ば伝説的なエピソードや、雑誌の誌面レイアウトをひとつのイメージと捉えて絵画化したリヒターを連想させる。また、宮岡の絵画では、キャンバスの裏面に引用元の画像が貼られていることから、河原温の「Today」シリーズ(「日付絵画」)が想起される。河原の「Today」シリーズでは、その日滞在した国の言語表記で記された日付の刻印が、画家の生存の証となるとともに、封入された新聞がその日世界で起きた出来事を記録し、個人的営為と絵画の延命と社会的次元(時に世界史的文脈の大事件)との接続が起こっていた。
宮岡の場合、写真や画像を180度反転させて描く行為は、抽象への傾斜の操作だけにとどまらない。180度反転したイメージ、つまり水面に映った反映像を描くという意味で、水面=スクリーンに映る風景という二重性を帯びるのだ。その風景は、雑誌やインターネットに掲載された画像という、大量生産され、共有・拡散され、たちまち消費されていく束の間の存在である。特にネット上の匿名的な画像は、容易に共有可能な反面、いつ削除されるかも分からない、不安定で儚いものだ。宮岡の試みは、そうした儚い画像を絵の具によって物質化する行為であるとともに、膨大な情報の海に埋没して消えゆく元の画像を裏に貼って保存することで、アーカイブを埋め込まれた絵画であるとも言えるだろう。

2016/05/15(日)(高嶋慈)

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