2017年11月15日号
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artscapeレビュー

2016年06月15日号のレビュー/プレビュー

奥山ばらば「うつしみ」

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会期:2016/04/29~2016/05/01

大駱駝艦「壺中天」[東京都]

「ダンス」という表現は、見れば見るほど不思議なものだ。言葉を用いる演劇であれば、演じる体は言葉のリズムや意味やそこから形作られる物語に自ずと縛られる。縛られているから、見ている観客は言葉を追いさえすればいいと安心しがちだ。けれども、その縛りがダンスにはない。踊る体は無言で見る者に迫る。物語から自由である分、始まりも終わりも曖昧。それでも、惹きつけられる。ダンスという表現はだから、プリミティヴで最新型で、いつも根本的に世界の異物であり続ける。さて、奥山ばらばの新作は、ソロの舞台。冒頭、円形の装置で裸の奥山が一人、回っている。舞台にはこの体しかない。この体が言葉とは異なる道具となって語りかける。回転が止むと、背中を向けて肩甲骨をぐりぐり回す。見慣れた「背中」が異形性を帯びてくる。普段は白塗りが多い大駱駝艦だが、今日の奥山は肌をさらす。次第に、汗が溢れてくる。奥山には、そうした汗を含め、自分の体以外にダンスのパートナーはいない。この自分が自分のダンスの相手という、なんというか「自分の尻尾を飲んだ蛇」のごとき自家中毒状態は、例えば、自分の髪を掴んで後ろに引っ張りながら首を前に押し出そうとするなんて仕草で象徴的にあらわされる。風に吹かれるままの一枚の落ち葉のような、誰かに弄ばれる操り人形のような、思いのままにならない体が描かれることもある。悲しいような、寂しいような気持ちに吸い込まれることもあるけれども、汗をしたたらせる裸体はエロティックでもあり、生命の強さも感じさせる。70分強の舞台は、じっくりとゆっくりと人間という境遇を経巡ってゆく。ソロの舞台ということもあり、1年ほど前に逝去した室伏鴻を思い出さずにはいられなかったが、室伏の敏捷な野生動物のごとく変幻し移動する踊りとは対照的に、どこにも行きつけない、ここで踊るしかない、そんな体のダンスだった。

写真:熊谷直子

2016/04/30(土)(木村覚)

本橋成一「在り処(ありか)」

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会期:2016/02/07~2016/07/05

IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]

本橋成一は1940年東京生まれだから、荒木経惟、篠山紀信、沢渡朔、土田ヒロミ、須田一政らと同世代である。2歳上の森山大道や中平卓馬を含めて、まさに「日本写真」の黄金世代というべき充実した多彩な顔ぶれだが、本橋はそのなかでもやや地味な存在であり続けてきたといえるだろう。だが、その彼の50年以上に及ぶ写真家としての営みを集大成した、今回のIZU PHOTO MUSEUMでの展示を見ると、彼のしぶとく、したたかな仕事ぶりにあらためて目を見張ってしまう。ドキュメンタリー写真という枠組みにきちんと寄り添いながらも、ときにはそこからはみ出し、テーマ的にも、手法的にも、地域的にも、大きな広がりを持つ写真を撮り続けてきたことが、くっきりと見えてくるのだ。
約200点の展示作品は、1968年に第5回太陽賞を受賞した初期の代表作「炭鉱〈ヤマ〉」(1964~)をはじめとして、「上野駅」(1980~)、「屠場〈とば〉」(1986~)、「藝能東西」(1972~)、「サーカス」(1976~)、「アラヤシキ」(2011~)、「チェルノブイリ」(1991~)、「雄冬」(1963~)、「与論島」(1964~)といったテーマ別に並んでいた。そこから浮かび上がってくるのは、本橋がある特定の被写体に集中して撮影するよりは、その周囲の環境のディテールを丁寧に写し込んでいることだ。むしろ、聴覚や嗅覚や触覚を含めた全身感覚的なその場の空気感こそを、写真を通じて捉えようとしているように思える。本展のタイトルにもなっている「在り処」、すなわち「生が息づく場所」をどう定着するのかという持続的な関心こそが、本橋の真骨頂といえるのではないだろうか。
興味深かったのは、東京綜合写真専門学校在学中に撮影された、彼の最初期の作品「雄冬」と「与論島」に、すでに後年の本橋の、被写体の周辺を画面に広く取り入れていくスタイルがあらわれてきていることだ。北海道増毛町雄冬と鹿児島県与論島で撮影されたこれらの写真群を、展示の最後に置いたところに、本展を「原点回帰」として位置づけようという本橋の意思が、明確にあらわれているように感じた。

2016/05/01(日)(飯沢耕太郎)

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チリ33人 希望の軌跡

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実際に起きた炭鉱事故を題材とした映画『チリ33人 希望の軌跡』は、『白鯨との闘い』を想起させるチームによるサバイバル状況を描いた作品である。ただ、途中で地下の閉じ込められた空間に33人がまだ生存していることがわかってからは、『オデッセイ』と同様、物語は世界が結集する外部からのレスキュー大作戦に変わる。何もしようとしなかった会社に対し、家族が運動を起こし、メディアに火をつけ、政治の問題に変わり、世界の注目を集めたことによって、彼らの奇跡的な救出が可能になった経緯がよくわかる。

2016/05/01(日)(五十嵐太郎)

SICF17

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会期:2016/05/01~2016/05/04

スパイラルホール[東京都]

スパイラル・インディペンデント・クリエーターズ・フェスティバル(SICF)も17回目。2000年に始まったんで「17」なんだろうけど、今年は2016年だからややこしい。というのも下のスパイラルガーデンでやってる「SICF16 受賞者展」を、今年の受賞者と間違えそうになったからだ。1回休んで年号と一致させるのはどう? もひとついわせてもらうと、会期わずか4日間を2グループに分けて50組ずつ2日間ずつしか展示しないので、すべて見るには4日間以内に2回見に行かなくてはならない。こりゃ不便だ。まとめて文句を書いたのは、語るに値するクリエーターが少なかったからだ。注目したのは二人だけ。ひとりは、静物画みたいな絵から絵具を削り取ったキャンバスや、紙をはがしたパネルを並べた野内俊輔。明らかに周囲から浮いていたが、そのことも含めてこういうの好きだ。もうひとりは、ソラマメやチクワを原寸大で描いたり、小さな布袋を「あぶらあげ」と称したり、タイルの上に富士山のせて「ポケット銭湯」をつくったりしている橘川由里絵。セコさの向こうに高橋由一の影が見える。

2016/05/02(月)(村田真)

中正公園ほか

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[台湾、基隆]

台湾の基隆へ。港町を見下ろす中正公園は、日本が支配していた時代の神社跡であり、入口の大きな鳥居は中華風のデザインに改造されていた。街中には近代建築もちらほら残る。仁愛市場は、筆者が20年前に台中の市場で目撃した混沌の記憶を蘇らせたが、21世紀にまだこうした場所が残っていることに驚かされた。なお、海辺はデッキの空間を工事中、駅では「かわいい基隆」の観光キャンペーンを展開しており、村上隆+奈良美智風の現代アートによって、ファサードやインテリアが覆われていた。

写真:左=上から、《中正公園》、元鳥居、仁愛市場 右=上から、《基隆駅》《尊済宮》《基隆市史蹟館》

2016/05/02(月)(五十嵐太郎)

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