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artscapeレビュー

あの時みんな熱かった!アンフォルメルと日本の美術

2016年10月01日号

会期:2016/07/29~2016/09/11

京都国立近代美術館[京都府]

アンフォルメルとは、フランス人の美術評論家、ミシェル・タピエ(1909-1987)が構想した美的概念で、明確な輪郭を持たない形態や色面のなかで、作者自身による身体行為の痕跡や素材の生々しい物質感を前面化させた絵画や彫刻などを指している。日本には1950年代後半に導入され、岡本太郎や今井俊満が携わった「世界・今日の美術展」(日本橋高島屋、1956)を大きな契機として、爆発的に流行した。本展は、いわゆる「アンフォルメル旋風」が、油画や彫刻はもちろん、日本画、陶芸、生け花といった各種の芸術諸ジャンルに及んだ軌跡を検証したもの。九州派など一部の作品が展示されていなかったものの、それでも約100点に及ぶ作品が立ち並んだ展観は見応えがあった。
具体、九州派、そして反芸術──。戦後美術史の主脈を構成する運動や様式の出発点のひとつにアンフォルメルがあったことは、よく知られている。だが本展は、そのような主脈に位置づけられる荒川修作や工藤哲巳、高松次郎、田中敦子、中西夏之といった美術家だけでなく、麻生三郎、斎藤義重、末松正樹、鶴岡政男、難波田龍起、宮脇愛子、向井修二、村井正誠といった多様な美術家による作品も併せて展示することで、それが特定の運動体や表現形式にとどまらないほど大きな衝撃だったことを示していた。それは、まさしく日本の戦後美術全体を煽り立てた「旋風」だったのである。
本展の醍醐味は、その余波を克明に跡づけただけでなく、その前史として書との親和性を明快に打ち出した点にある。余白をあえて残した画面のなかに躍動感あふれる線の運動性を展開すること。確かに井上有一や森田子龍らの豪胆な書のあとで、白髪一雄や嶋本昭三、あるいは篠原有司男の《ボクシング・ペインティング》などを見ると、双方のあいだの強い連続性を痛感せざるをえない。線の強弱や色彩の有無は別として、いずれも激しい身体行為の痕跡を伺わせるからだ。「熱い抽象」あるいは「激情の対決」という言葉に示されているように、その荒々しいマチエールに作家の内発的な情感を見出すことも容易い。
企画者によれば、ミシェル・タピエはアンフォルメルを「あらゆる思想や形態の可能性をはらんだ混沌とした未分化な状態」として考えていたという(本展図録、p.6)。それゆえ、それは通常「非定形」ないし「不定形」と訳されることが多いが、そのようなタピエの狙いを踏まえるならば、むしろ「未定形」という言葉がふさわしい。そのような、ある種の原始性への志向性がアンフォルメルに内蔵されていることは、例えばジャン・デビュッフェが傍証となるに違いない。よく知られているように、タピエはデビュッフェをアンフォルメルの重要な美術家として評価したが、当のデビュッフェ自身はむしろアール・ブリュットを提唱し、タピエと異なるかたちで、西洋近代的な芸術概念とは「別の芸術」を構想したのだった。
しかし、その一方で改めて思い知らされたのは、「アンフォルメル」として括られたさまざまな作品の多くが、とりわけ絵画に限って言えば、明確な絵画意識によって構成されているという厳然たる事実である。ジョルジュ・マチューの《無題》(1957)は暗い背景に赤と白と黄と黒の線を勢いよくほとばしらせた絵画だが、それらの線がスピード感あふれる運動性を感じさせることは事実だとしても、画面のなかに配置された線の重層性は非常に調和されており、絵画としての美しさが保たれていることは否定できない。横山操の《塔》にしても、縦長の画面を貫く黒く太い線がきわめて暴力的な印象を与えつつも、それがかえって画面全体の統一感を担保している。その他の作品についても、作家の内発的な激情を看取できないわけではないが、それ以上に伝わってくるのは、見た目の激しさとは裏腹に、画面を精緻に構築する冷静な美意識である。つまり「別の芸術」と言えども、アンフォルメルは既存の芸術概念を根底から塗り替えたわけではなく、「別の芸術」という新たな意匠にすぎなかったのではないかという思いを禁じえない。
むろんアンフォルメルを戦後美術史を構成する重要な契機として歴史化するのであれば、それもよかろう。けれどもアンフォルメルの可能性の中心は、そのような歴史観を補強する点にではなく、むしろ根本から転覆しうる点にあったのではないか。結果的にその再生産に寄与することになったとしても、初発の動機には歴史を粉砕するほどの批評性が内蔵されていたに違いない。であれば本展に必要だったのは、例えば街中に描きつけられているグラフィティをアンフォルメルの今日的な展開として位置づけるような視点ではなかろうか。グラフィティには、かねてから線の運動性を重視する美意識が働いているし、昨今のグラフィティはスプレーやステンシルといった従来の画材や技法に加えて、粘着性の塗料や半立体の造形に挑戦しながらマチエールの前面化に取り組んでいるからだ。アンフォルメルは「あの時」に終わったわけではない。それはいまや、既存の「美術」を超えて、路上や巷にあふれ出ているのである。

2016/09/10(土)(福住廉)

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