artscapeレビュー
足立智美×contact Gonzo「てすらんばしり」
2016年04月15日号
会期:2016/03/26~2016/03/27
京都府立府民ホール“アルティ”[京都府]
「KYOTO EXPERIMENT 2016 SPRING」公式プログラム観劇7本目。
ヴォイスパフォーマー・作曲家の足立智美×contact Gonzo×ワークショップ参加者の子どもたち、という異色の組み合わせ。contact Gonzo×子どもたち、足立智美×子どもたち、そして足立智美×contact Gonzoという3項の組み合わせが、身体と音、ルールと即興、遊戯と真剣性、演出と逸脱、予定と不調和、軽やかさと過激さのあいだを行き来しながら繰り広げられた。また、「身体と音」をめぐるさまざまな位相─接触や衝突による身体そのものが出す音、声、それらの電気的な変換と増幅─が全編を通して主題化されていた。
会場の京都府立府民ホール“アルティ”は、通常は演劇やダンス、音楽コンサートの会場としてプロセニアム式の舞台を備えているが、舞台が取り払われ、剥き出しになった更地の空間が出現したことにまず驚く。観客は周囲を取り囲んで座り、闘技場のような楕円形の空間で起こる出来事を見つめる。足立智美が登場し、壁にプロジェクションされた、殴り書きのようなカラフルな図形や線描について説明する。これらは子どもたちとのワークショップでつくった図形楽譜であり、日用品や声を使って出したさまざまな音を図形化したものだという。説明を続ける足立に、contact Gonzoのメンバーが突然、体当たりをかまし、そのまま乱闘へ。演出なのか偶然なのか判然としない、先の読めない展開が続く。予測不可能な、即興的な身体のぶつかり合い。そのスリリングな応酬と身体のぶつかる鈍い音を、間近で見つめること。身の内に、不可解な衝動が熾火のようにうずき出す。さらに、パフォーマーの身体にはマイクが取り付けられており、拾った音が変調・加工されて発せられる。肉体の接触と同期して響く、鉄パイプで殴ったような金属音や電子音。それらの音は、肉体どうしがぶつかり合う衝撃の強さを、音響的に増幅する。
しかし、暴力すれすれの肉体の衝突と高まるスピード感を体感するカタルシスは、あっけなく崩壊する。偶然にも(?)、客席からもれた、怖がる赤ん坊の泣き声。観客の笑い。そして、一陣の風のように舞台上を駆けぬける子どもたち。10人ほどの子どもたちは、contact Gonzoのメンバーと身体の応酬を繰り広げた後、彼らだけで「子ども版」contact Gonzoをプレイする。無邪気で真剣なその遊戯は、信頼と承認と痛みの共有と他者への開かれという、contact Gonzoの(技法でなく)思考の核をつかみ出して見せていた。相手も肉体を備えた存在であることの承認、その承認を自らの肉体を差し出すことによって得ること、痛みも含めて相手との関係性の中で起きたことを無条件に受け入れること。
そして足立智美×contact Gonzoとなった終盤は、テスラコイルと台車という2つの装置を駆使した圧巻のパフォーマンスが繰り広げられた。テスラコイルとは、放電によって稲妻を発生させる共振型変圧器である。その真下に、ヘルメットを被って立つcontact Gonzoメンバーたちは、足立の乗った台車にロープを付けて引っ張り、大きな円を描いてぐるぐると回転させる。足立が変幻自在に操るヴォイスパフォーマンスは、不可解な言語を、目まぐるしく音程を変化させながら、狂った再生機のように超高速で繰り出してみせる。その声の高低に合わせて、テスラコイルの放電がコントロールされており、激しい放電音それ自体が、太く鋭い金管楽器のように轟音の音程を奏でる。一方、頭上で炸裂する放電の圧力と音の緊張感がcontact Gonzoメンバーの身体に負荷をかけ続け、足立の乗る台車の遠心力を加速させ、ヴォイスパフォーマンスをヒートアップさせていく。身体と声、それぞれのパフォーマンスが互いにフィードバックし合い、密度と緊張感を極限まで高めていく。一見、無意味でナンセンスな危険な「遊び」に、真剣に全力で身を投じるとき、拘束や負荷の中に浮上する、コントロールや表象の操作を離れた身体。それが何ものかへの抵抗として切実に感じられる限り、私たちは彼らのパフォーマンスに何度でも魅了されるだろう。
2016/03/26(土)(高嶋慈)