artscapeレビュー
許紀霖『普遍的価値を求める──中国現代思想の新潮流』
2020年12月15日号
監訳:中島隆博、 王前
翻訳:及川淳子、徐行、藤井嘉章
発行所:法政大学出版局
発行日:2020/08/20
中国における「現代思想」について、日本語で知りうることはいまだ多いとは言えない。思想史的なアプローチをとったものとしては、本書の監訳者である王前の『中国が読んだ現代思想──サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで』(講談社、2011)という好著があるが、その地理的な範囲の広さも災いしてか、今日の中国における現代思想の勘どころを伝えてくれる学術書が、日本であまり見られないのは残念なことである。
本書は、現代中国を代表する知識人のひとりである許紀霖(1957-)がみずから選定した論文をもとに編まれた、日本語では初の単著である。巻末の出典を見てもわかるように、本書所収の論文が発表されたのはおおむねここ10年ほどのことであり、なおかつ論争的な性格をもつものが多くを占める。現代中国における思想状況を概観するための足がかりとして──とりわけ、評者のような門外漢にとっては──格好の一書である。
著者の中心的な関心事は政治思想にある。より具体的には、今日の世界的な状況のなかで、東アジアの新たな国際秩序をいかに構想するかということに、著者の関心は注がれている。東西のさまざまな思想を理論的フレームとして用いつつ、中国および東アジアの現状を見つめる著者の視線は、日本にいるわれわれのそれとも大いに重なり合うものであろう。
本書の中核をなすのは「新天下主義」という思想である。これは、古代中国における「天下」の概念をもとに、東アジアにおける「新しい普遍」を構想すべく生み出されたものである。著者によれば、この言葉にはさまざまな批判が寄せられており、「歴史上の中華を中心とするヒエラルキーの帝国が捲土重来してくる」のではないか、と懸念を抱く人もいるという(v頁)。ある意味ではそれも当然だろう。しかし、著者があえて「天下主義」という中華的な概念を持ち出してくるのは、西洋由来の「普遍主義」とは異なる、もうひとつの普遍主義を構想するためにほかならない。ここでいう「新」天下主義という表現にはむしろ、かつての天下主義の「脱中心化と脱ヒエラルキー化」を目指すという意味が賭けられているのであり、それをもとに著者は、ヨーロッパにおけるEUに相当するような共同体を東アジアにおいて構想することは可能だろうか、とわれわれに問いかける。
いわゆる普遍主義は、多元主義(多文化主義、文化相対主義)の尊重へとむかった20世紀後半の思潮のなかで、長らく旗色の悪い思想であった。しかし今日ではむしろ、狭隘なナショナリズムに対するカウンターとして機能しうるような、新たな普遍主義が必要とされている。許紀霖の議論が興味深いのは、「普遍」という概念にそもそも複数のかたちがありうるということを、ウィトゲンシュタインの「家族的類似」などに依拠しながら論じるところにある。おそらく本欄の読者にとっても、東アジアの「隣人」たる同時代の知識人が、いま何を考えているのかということは大きな関心事であるだろう。柄谷行人、汪暉、白永瑞らとの思想的対話のなかで練り上げられた本書の議論は、国家や言語の枠組みを越えた、東アジアの現代思想の一面を照らし出すものである。
2020/12/03(木)(星野太)