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artscapeレビュー

小林康夫『《人間》への過激な問いかけ──煉獄のフランス現代哲学(上)』

2020年12月15日号

発行所:水声社

発行日:2020/09/30

長年にわたり、フランスの思想や文化と密接な関わりを持ちつづけてきた著者が、20世紀後半のフランス哲学を「人間」へのラディカルな問いとして総括した書物。その上巻にあたる本書では、おもにバルト、フーコー、リオタールの三者について過去に発表された時評的な文章が集められている。

本書は三部からなるが、第I部「フランス現代哲学の星雲」が、本書全体の導入にあたる。そこには、著者が80年代以降に著した数本の概説的なテクストが配されているのだが、それら「《人間》の哲学」や「《ポスト・モダン》の選択」──ともに初出は1987年──こそが、本書のトーンを決定していると言っても過言ではない。本書の表題に含まれる「人間」という言葉が重要な意味を担うのも、まずはそこにおいてである。

著者によれば、20世紀後半のフランス哲学をあえてひとつの言葉によって特徴づけるなら、それは最終的に「人間」という言葉へと帰着する。これは、いささか驚くべきテーゼだろう。というのも、ひじょうに大まかに言って、実存主義のあとに台頭した構造主義──およびポスト構造主義──には、むしろ既成の意味での「人間」を後景に追いやることによって展開してきたというイメージがあるからだ。「構造」にせよ「記号」にせよ「テクスト」にせよ、そこで探求されていたのは個々の主体に回収されることのない非人称的な次元であり、その意味で「人間」は世界の中心からの退位を余儀なくされていたとも言える。

しかし著者は、グザヴィエ・ティリエット(1921-2018)がメルロ=ポンティに捧げた「人間の尺度(la mesure de l’homme)」という表現に合図を送りつつ、そこで問われていたのは、あくまで「人間」をめぐる問いにほかならなかったと指摘する。なるほど、かつて「構造」や「記号」や「テクスト」といった合言葉のもとでなされてきた探求は、「人間」からその明証性を剥奪する営みと地続きであったと言ってよい。しかし同時にそれは、「現に生き呼吸している具体的な人間の尺度」をけっして忘れることがなかったし、超越的なものの探求においてなお「具体的な人間に注がれる眼差し」を手放すことがなかった(29頁)。本書のひとつの読みどころは、いまだフランス現代哲学が導入・紹介される途上にあった1980年代に、すでにそうしたことを指摘している著者の慧眼にある。

第I部と同じく、第II部(バルト、フーコー)、第III部(リオタール)も、著者の旧稿を新たに構成しなおしたものが大部分を占める。そのため著者の世代の仕事を追ってきた者にとって、そこにさほどの新しさは感じられないかもしれない。だが、70、78年の二度のフーコー来日に立ち会った著者の回想、さらにフランスおよび日本で行なわれたリオタールとの濃密な対話をはじめとして、ここには彼らのいまだ知られざる表情がある。そして、これまで単行本に未収録であったこれら数々のテクストから見えてくるのは、半世紀にわたりフランス哲学の「隣人」でありつづけてきた著者の「冒険」の軌跡である。あるいは本書の表現に拠るなら(8頁)、ここに読まれるのは、フランス現代哲学という星雲の「客観的なマップ」などではなく、むしろひとつの「内部観測」にほかならない。その意味で本書は、著者が言うところの「パッションに貫かれた《人間》」(29頁)が示しうる、ひとつのモデルでもあろう。

2020/12/03(木)(星野太)

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