artscapeレビュー
江川家住宅、韮山反射炉
2020年12月15日号
[静岡県]
静岡の韮山を訪れ、江戸時代後期に建設された《江川家住宅》を見学した。1950年代において、『新建築』の編集長、川添登が仕かけた伝統論争を盛り上げることになった白井晟一の論文内でとりあげられた古建築として知られているものである。当時、白井は「縄文的なるもの」というテキストにおいて、こう記した。「茅山が動いてきたような茫漠たる屋根と大地から生え出た大木の柱群、ことに洪水になだれうつごとき荒々しい架構の格闘と、これにおおわれた大洞窟にも似る空間は豪宕なものである。……野武士の体臭が、優雅な衣摺れのかわりに陣馬の蹄の響きがこもっている。繊細、閑雅の情緒がありようはない」。これは桂離宮や伊勢群宮を日本の伝統とみなすような考え方へのカウンターだった。それゆえ、江川家住宅は、いつか訪れようと思っていた建築である。
もっとも、室内に入り、土間を見上げた最初の印象は、だいぶ予想と異なった。むしろ屋根裏の架構は、精密に細い材が組み合わせられ、とても繊細なデザインだったのである。それゆえ、大いに困惑した。とはいえ、展示されていた修復前の写真をみると、現状と違うことが判明した。例えば、かつての屋根は茅葺きがむきだしで見えていたが、いまは銅板に葺き替えられている。室内で見える架構も、今は除去された(補強のために、後世に付加されたと思われる)斜材のほか、イレギュラーな位置に柱や梁もあって(これらも現在は撤去)、もっと混沌としていたようだ。おそらく、白井が目撃したのは、こうした状態だろう。が、その後、きれいに修復され、雰囲気が変わったのではないか。それにしても、広い土間である。空間の大胆さは維持されている。
後世の変更という意味では、江川家住宅のすぐ近くにある、世界遺産に指定された《韮山反射炉》も興味深い。ちょうど修復中のため、外観はあまり見えなかったが、見学用の足場がつくられていた。《韮山反射炉》の場合、鉄骨のブレスは当初なかったもので、後から補強で入ったが、むしろこれが外観のアイデンティティになっている。世間で出まわっているイメージは、「×」だらけのデザインだ。したがって修復工事が終わっても、おそらくオリジナルには戻さないだろう。
2020/11/01(日)(五十嵐太郎)