2021年04月15日号
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artscapeレビュー

瀬戸正人 記憶の地図

2021年02月01日号

会期:2020/12/01~2021/01/24

東京都写真美術館2階展示室[東京都]

瀬戸正人はユニークな出自の持ち主である。1953年、タイ・東北部のウドーンタニに、残留日本人兵士だった父とベトナム人の母との間に生まれ、8歳の時に父の故郷の福島県に移り住んだ。日本人とベトナム系タイ人という複眼を持ったまま育ったわけで、そのことが、東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)卒業後、1981年からフリーの写真家として活動するようになってからも、彼の写真に大きく影を落としている。今回の東京都写真美術館の回顧展では、その瀬戸の代表作を展示していた。

デビュー写真集としてアイピーシーから1989年に刊行された「Bangkok, Hanoi」(1982−1987)のシリーズは、20年ぶりにタイ・バンコクに帰った時のスナップショットと、母とともに訪ねた親族の住むハノイの写真をカップリングしたシリーズである。忘れかけていたタイ人としての視点を再び取り戻していくプロセスが刻み込まれている。東京在住のアジア人と地方出身者のリビングルームを撮影した「Living Room, Tokyo」(1989−1994)、公園で休日を過ごすカップルにカメラを向けた「Picnic」(1995−2003)、台湾の国道沿いに点在するガラス張りの「ビンラン・スタンド」の女性たちを浮かび上がらせた「Binran」(2004−2007)、東日本大震災後に福島を撮影した「Fukushima」(1973−2016)にも、それぞれアジア人と日本人の間を行き来する、瀬戸の眼差しの振れ幅を感じとることができた。

やや戸惑ったのが、会場の最初のパートに展示されていた近作の「Silent Mode 2020」(2019−2020)である。室内で、「数秒程度」の露光時間で、至近距離から撮影された女性ポートレート群は、彼女たちが「自己の内面へと降りていくプロセス」を写しとろうとしたものだという。だがその意図にもかかわらず、写真から見えてくるのは、ある固定した位相に封じ込められた、意外なほどに均質な「(若く美しい)女性像」の集合である。そこには、さまざまな解釈の余地を残す、あの複眼の視点を感じることができない。だが、もしかするとこのシリーズから、瀬戸の写真の次の展開が始まるのかもしれないとも思う。いまは判断を保留しておきたい。

2020/11/30(月)(飯沢耕太郎)

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