2021年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

2021年02月01日号のレビュー/プレビュー

瀬戸正人 記憶の地図

会期:2020/12/01~2021/01/24

東京都写真美術館2階展示室[東京都]

瀬戸正人はユニークな出自の持ち主である。1953年、タイ・東北部のウドーンタニに、残留日本人兵士だった父とベトナム人の母との間に生まれ、8歳の時に父の故郷の福島県に移り住んだ。日本人とベトナム系タイ人という複眼を持ったまま育ったわけで、そのことが、東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)卒業後、1981年からフリーの写真家として活動するようになってからも、彼の写真に大きく影を落としている。今回の東京都写真美術館の回顧展では、その瀬戸の代表作を展示していた。

デビュー写真集としてアイピーシーから1989年に刊行された「Bangkok, Hanoi」(1982−1987)のシリーズは、20年ぶりにタイ・バンコクに帰った時のスナップショットと、母とともに訪ねた親族の住むハノイの写真をカップリングしたシリーズである。忘れかけていたタイ人としての視点を再び取り戻していくプロセスが刻み込まれている。東京在住のアジア人と地方出身者のリビングルームを撮影した「Living Room, Tokyo」(1989−1994)、公園で休日を過ごすカップルにカメラを向けた「Picnic」(1995−2003)、台湾の国道沿いに点在するガラス張りの「ビンラン・スタンド」の女性たちを浮かび上がらせた「Binran」(2004−2007)、東日本大震災後に福島を撮影した「Fukushima」(1973−2016)にも、それぞれアジア人と日本人の間を行き来する、瀬戸の眼差しの振れ幅を感じとることができた。

やや戸惑ったのが、会場の最初のパートに展示されていた近作の「Silent Mode 2020」(2019−2020)である。室内で、「数秒程度」の露光時間で、至近距離から撮影された女性ポートレート群は、彼女たちが「自己の内面へと降りていくプロセス」を写しとろうとしたものだという。だがその意図にもかかわらず、写真から見えてくるのは、ある固定した位相に封じ込められた、意外なほどに均質な「(若く美しい)女性像」の集合である。そこには、さまざまな解釈の余地を残す、あの複眼の視点を感じることができない。だが、もしかするとこのシリーズから、瀬戸の写真の次の展開が始まるのかもしれないとも思う。いまは判断を保留しておきたい。

2020/11/30(月)(飯沢耕太郎)

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青春と受験絵画

会期:2020/11/28~2020/12/06

パープルームギャラリー[神奈川県]

ぼくが横浜の黄金町で毎月やってる定例講座で、10月と11月に「日本の美術教育」について連続で取り上げ、荒木慎也の『石膏デッサンの100年』(三重大学出版会、2016)を参考に、石膏デッサンをはじめとする「受験絵画」についても話した。最後に、「こういう受験絵画だけ集めて展覧会をやったらおもしろい」と締めくくったら、本当に開くところがあるというので喜んで見に行った。やはり芸大受験をテーマにした会田誠の『げいさい』や、山口つばさの『ブルーピリオド』などが話題になったことが大きいだろう。

会場のパープルームギャラリーは初めてで、相模原からとぼとぼ歩いて20分ほど。ガラス戸を開けると、壁3面に受験絵画が2段がけ3段がけで飾られている。石膏デッサンはなく、F15号前後の油彩画のみ。計27点のうち19点は新宿美術学院から借りたもので、いずれも合格者の作品だ。1966年から現役高校生のものまで幅広く、川俣正の油絵もある(1974年)。しかし60-80年代は少なく、大半は90年代以降の作品だ。展示は年代順ではなく一見ランダムだが、モチーフや描き方が似たものを近くに並べているようだ。受験絵画の変遷はわかりにくいが、このレベルなら(でも)受かるんだというのはなんとなくわかる。逆に不合格作品も並べたらもっとわかりやすいが、それをやると「落選展」みたいになってしまうか。

ちなみに、ぼくが思い浮かべる受験絵画は濁った色彩のセザンヌ風だが、それはせいぜい80年代までで、90年代から明らかに変わり、シュルレアリスム風から表現主義、コラージュ、抽象となんでもあり状態。なかには受験絵画を超えてレッキとした芸術作品といえそうな絵もある。どうやら80年代に芸大で受験改革が行なわれ、それにつられて予備校も対策を練り、芸大はそんな「対策絵画」から逃れるために毎年課題を変え……というイタチごっこを繰り返してきたらしい。哀れなのはそれに翻弄される受験生だが、それをうまくくぐり抜けてきた人たちがいまの日本の現代美術を支えていると思うと、いささか複雑な気分にもなる。

ありがたいことに、この規模の展覧会では珍しく20数ページのパンフレットを制作している。全出品作品の図版のほか、パープルームを主宰する梅津庸一や受験絵画研究者の荒木慎也によるエッセイを掲載するなど、資料としても貴重だ。最後のページにはしっかり新宿美術学院とパープルーム予備校の広告も載っていた。

2020/12/03(木)(村田真)

眠り展:アートと生きること ゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで

会期:2020/11/25~2021/02/23

東京国立近代美術館[東京都]

写真は現実世界を描写するメディアだから、眠りや夢とはあまりかかわりのないように思える。だが、東京・竹橋の東京国立近代美術館で開催された「眠り展」には、かなり多くの写真作品が出品されていた。第一章「夢かうつつか」のパートに、マン・レイ「醒めて見る夢の会」(1924)、瑛九「眠りの理由」(1936)、楢橋朝子「half awake and half asleep in the water」(2004)が、第4章「目覚めを待つ」のパートにダヤニータ・シン「ファイル・ルーム」(2011−13)、大辻清司のオブジェをテーマにした連作(「ここにこんなモノがあったのかと、いろいろ発見した写真」ほか、1975)が並ぶ。それ以外にも、塩田千春、森村泰昌の映像作品も出品されていた。

眠りや夢は日常や現実の対立概念ではないことが、写真や映像の展示作品を見ているとよくわかる。むしろどこからどこまでが幻影なのか、現実なのかという境界は曖昧なものであり、写真はその両者を結びつけ、リアリティを与えるのに大きな役目を果たしているということではないだろうか。シュルレアリスムの作り手や批評家たちは、写真が現実を克明に描写すればするほど、神秘性、非現実性が増すことを指摘した。そのことが、本展ではくっきりと浮かび上がってきていた。逆に写真作品に絞り込んだ「眠り展」の企画も充分に考えられるのではないだろうか。

なお、本展は独立行政法人国立美術館に属する東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館、国立映画アーカイブの6館の共同企画「国立美術館による合同展」の枠で開催された。これまで「陰翳礼讃」展(国立新美術館、2010)、「No Museum, No Life?−これからの美術館事典」展(東京国立近代美術館、2015)が開催され、今回の「眠り展」が3回目になる。国立美術館の収蔵作品の総数は4万4千点に及ぶという。それらを活用した、より大胆かつ新鮮な企画を期待したい。

2020/12/05(土)(飯沢耕太郎)

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井津健郎「ETERNAL LIGHT 永遠の光」

会期:2020/11/25~2021/02/13

gallery bauhaus[東京都]

井津健郎は1949年、大阪生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、1971年に渡米し、ニューヨークで写真家としての活動を続けてきた。14×20インチの大判カメラで世界各地の「聖地」を撮影し、プラチナ・プリントで仕上げた作品を発表し続けてきたが、今回のインドのガンジス川、ヤムナ川の流域のベナレス、アラハバッド、ヴリンダバンの3都市で、2013-15年に撮影したシリーズは、これまでとはかなり趣が違っていた。

大きな違いは、中判のハッセルブラッドカメラを使っていることで、そのことによって被写体との距離の取り方、画面構成がより自由でのびやかなものになっている。また、これまではどちらかといえば遺跡や風景にカメラを向けることが多かったが、本作では人間が主なテーマになった。ベナレスの孤児院やホスピス、ヴリンダバンで12年に一度行なわれるヒンドゥー教の祭礼に集う巡礼者たちの姿を捉えた写真群には、長年にわたって鍛え上げてきた被写体のフォルムをしっかりと定着させる能力が充分に発揮され、堂々たる、見応えのある作品として成立していた。

井津は近年、デジタルバックの中判カメラも使い始めた。そちらの作品は「ポンペイ鎮魂歌─POMPEII/REQUIEM」(富士フイルムフォトサロン東京スペース3、2020年11月13日〜26日)と「抚州・忘れられた大地」(富士フイルムイメージングプラザ東京 ギャラリー、2020年11月18日〜12月7日)の両展で発表されている。 gallery bauhausでの展示も含めて、新たな写真機材を導入することで、表現の領域を拡張していこうとする強い意欲を感じる。30年以上にわたる「聖地」の探究が、より豊かな広がりを持つ、次のステップに進んでいくことを期待したい。

2020/12/08(火)(飯沢耕太郎)

SURVIVE - EIKO ISHIOKA  石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか 前期

会期:2020/12/04~2021/01/23

ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)[東京都]

東京都現代美術館で大規模な「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」展が開催されるなど、石岡瑛子の仕事にあらためて注目が集まっている。東京・銀座のギンザ・グラフィック・ギャラリーでは、前期「アド・キャンペーン篇」、後期「グラフィック・アート篇」の二部構成で、石岡のグラフィック・デザイナー、アート・ディレクターとしての活動を概観する展示が実現した。

その前期「アド・キャンペーン篇」を見ると、彼女が1960-80年代において写真とグラフィック・デザインを結びつけ、強力な磁場を形成するのに決定的な役割を果たしたことがよくわかる。資生堂時代に横須賀功光と組んだ伝説的な広告キャンペーン「太陽に愛されよう 資生堂ビューティケイク」(1966)は、いま見てもエポックとなる仕事だが、なんといっても1970-80年代のPARCOの広告キャンペーンが特別な輝きを発している。石岡は広告における写真家たちの役割を重視しており、彼らのインスピレーションやテクニックを積極的に取り込んでいこうとした。横須賀功光をはじめとして、沢渡朔、藤原新也、鋤田正義、操上和美、十文字美信らを次々に起用し、ヌード写真を大胆に使ったり、黒人のモデルを起用したり、インドやモロッコで海外ロケを敢行したりしたPARCOのキャンペーンは、日本の広告写真の表現力がこの時期にピークに達しつつあったことをまざまざと示している。

別な見方をすれば、石岡は高度経済成長がバブルへと向かうこの時代の沸騰するエネルギーをそのまま取り込み、大きく開花させたわけで、バブル崩壊後の1990年代以降になると、企業広告からは明らかに活力が失われてくる。展示を見終えて、1960-80年代をノスタルジックにふり返るだけでなく、その限界を踏まえたうえで、広告写真の冒険と実験の精神をもう一度取り戻すことはできないのだろうかと考えてしまった。

後期:2021/02/03〜2021/03/19

2020/12/09(水)(飯沢耕太郎)

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