2020年06月01日号
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artscapeレビュー

村川拓也『ツァイトゲーバー』

2013年03月01日号

会期:2013/02/15~2013/02/16

KAAT 神奈川芸術劇場(TPAM in Yokohama 2013)[神奈川県]

2011年のフェスティバル/トーキョーでも話題になった作品。しかし、筆者は今上演ではじめて本作を見たので、ここに雑感を記しておきたい。
最初に村川拓也は簡単に作品を説明したあとで、出演者を客席から募る。介護をテーマにした本作では、実際に日々介護の仕事をしている労働者(工藤修三)が舞台でその1日を実演する。観客の1人がその際の「被介護者」となる。役柄は、目だけで介護者とコンタクトをとる「被介護者」で、ほぼ完全に体を介護者に預けることになる。1人の若い女性が手を挙げ、60分程度に簡略化された1日(昼食を挟んだ夕食前までの時間)の再現がはじまった。介護者・工藤はめがねを掛けた優しそうな若者。だが白いTシャツ越しにはその印象に見合わない隆起した筋肉が見える。そのさまは介護が筋肉労働であることを強調していた。その代わり、介護の感情労働の側面は抑制されていた。介護者と被介護者のコミュニケーションは「あ・か・さ・た・な……」と介護者が声を発し、例えば「あ(行)」で被介護者が瞬きすると今度は「あ・い・う・え・お」と読むなかで瞬きがあったところで一文字(「い」でまばたきがあれば「い」)が特定される、というきわめて根気のいる作業で進められる。そうして届けられる被介護者からのメッセージを基に、介護者は料理をつくり、外出するかどうかなどの決定に応じる。
ストレスのかかる肉体労働のドキュメンタリーは、たいてい健常な肉体ばかりが幅を利かせている劇場空間が普段は見過ごしている被介護者の肉体に光を当てている点で価値ある試みだと思う。抑制された介護者と被介護者のやりとりは、物語的展開を生まない分、「こんなに穏当なことばかりのはずはない。じつはあんなこと、こんなこともあるのでは」と見る側がさまざまな想像をめぐらせる余地を生んでいた。「被介護者」には舞台上で自分の欲求を口にするという指示が課せられていて、若い女性は3回「のどが渇いた」と口にした。しかし、そういう演出だったのだろう、介護者・工藤は淡々とその発言を無視した。そのことが被介護者の孤独を浮き彫りにした。この「被介護者」役を観客が遂行したことには意味があったろう。その仕掛けは観客全員がこの立場を追体験する可能性を与えていたのだから。ただし、やはり本物の被介護者が舞台上にいたら、舞台の質は相当変わっていただろうとも思わずにはいられない。被介護者が客席にいたらどうだったろう、とも思う。リアリティにというよりも想像力に訴えようとの意図は理解できるし、そのことの意味を否定するつもりはない。ただ、演劇の盲点を突くこうしたドキュメンタリーの手法が、演劇変革に寄与するためにあるのか社会変革に寄与するためにあるのかは真摯に考えるべき事柄であるに違いない。もちろん、作家の試みは両方に寄与すべきだ。村川にとってそのための一歩が本作なのだと信じる。

2013/02/15(金)(木村覚)

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