artscapeレビュー

越境─収蔵作品とゲストアーティストがひらく視座

2022年07月15日号

会期:2022/06/17~2022/07/23

京都精華大学ギャラリーTerra-S[京都府]

京都精華大学の学内ギャラリーのリニューアルオープン記念展。前身のギャラリーフロールは変則的な間取りで古さも感じる空間だったが、建て替えられた新校舎内に、床面積630㎡の大型ギャラリーとして生まれ変わった。新校舎自体、ガラス張りで開放感のある今どきの建築だが、ギャラリー名に「テラス」とあるように、池を臨むガラスの壁面からは明るい光が差し込む。本展では、大学が収蔵するシュウゾウ・アヅチ・ガリバー、今井憲一、ローリー・トビー・エディソン、塩田千春、嶋田美子、富山妙子の作品と、若手~中堅の5名のゲストアーティスト(いちむらみさこ、下道基行、谷澤紗和子、津村侑希、潘逸舟)の作品を展示。「ジェンダー/歴史」「身体/アイデンティティ」「土地/記憶」といったキーワードを軸に、作品群がバトンを受け渡すようにゆるやかに結びつく。

「戦争とジェンダー」の問題を問うのが、富山妙子と嶋田美子。富山の「20世紀へのレクイエム・ハルビン駅」シリーズは、少女時代を満州で過ごした記憶と帝国の植民地支配を図像的に描いたものだ。出品作の《祝 出征》では、出征直前に軍服姿で式を挙げる青年と花嫁が、狐に擬人化して描かれる。日章旗と旭日旗を手に「出征」と「結婚」を祝うのは、親族に加え、白い割烹着に「大日本愛国婦人会」のたすきがけをした女性たちだ。割烹着すなわち「母・妻」という家庭内での女性の役割を示すユニフォームにより、「結婚」とは「男児=次代の兵士の補充」であり、「女性の戦争動員の一形態」「国家による性と生殖の管理」にほかならないことが示される。同様に、戦時下の写真を元にした嶋田美子のエッチング作品では、白い割烹着に「満州国防婦人会」のたすきがけをした女性の奉仕活動や、「健康優良児コンテスト」で幼児(もちろん男児である)を抱きかかえて笑顔を見せる母親たちが提示される。写真画像の引用に際し、例えばシルクスクリーンではなく、エッチングを選択した理由は、「版に直接ニードルで刻む」この技法が、「傷」を文字通り想起させるからだろう。



富山妙子《祝 出征(「20世紀へのレクイエム・ハルビン駅」から)》(1995)、京都精華大学蔵


表現メディアとジェンダーの関係を問うのが、谷澤紗和子の切り絵作品である。谷澤は、晩年に精神を病んだ高村智恵子が制作した「紙絵」作品の引用に、智恵子への手紙や「うちなるこゑ」「NO」といった言葉の切り抜きを重ねた。「絵画」/手工芸的要素の強い「切り絵」というヒエラルキーや、美術史における女性作家の周縁化に対して「NO」を突きつけると同時に、「手紙」という親密な文体を借りて、「応答する智恵子の声」への希求を示す。作品は「古い家屋の廃材」でつくった額縁に囲まれるが、古い家制度の解体/なおも残存する強固なフレームの双方を示し、両義的だ。



谷澤紗和子《はいけい ちえこ さま》(2021)


そして、女性への抑圧を、「貧困」「肥満」といった差別構造の交差の視点から問うのが、いちむらみさことローリー・トビー・エディソン。自身も東京の公園のテント村に暮らし、ホームレスの女性の支援活動を行なういちむらは、シェルター/暴力の再生産の場所でもある「家」、炎、墓など暴力を暗示するモチーフを赤い絵具で描き、映像を重ねたインスタレーションを展示。一方、ファット・フェミニズム(肥満受容)運動に関わるローリー・トビー・エディソンは、代表作の「Women En Large」シリーズを展示。堂々と自信に満ちた太った女性たちのポートレートに彼女たちの自己肯定的な言葉を添え、「肥満=醜」とする画一的な美の基準にアンチを突きつける。



ローリー・トビー・エディソン《デビー・ノトキン(「ウィメン・エン・ラージ」シリーズより)》(1994)、京都精華大学蔵


一方、「自身の体重を同じ重さの物体へ還元・置換する」という手法の共通性を示すのが、シュウゾウ・アヅチ・ガリバーと潘逸舟。コンセプチュアルな手法で自己の存在や身体を扱うガリバーは、体重と同じ重量のステンレス製の球体を長椅子に乗せた《重量(人間ボール)》を展示。潘逸舟もまた、体重を「同じ重さの石」に置換するが、より有機的だ。映像の画面いっぱいを占める「巨大な石」がわずかに上下に動き、それを腹に乗せて横たわる潘の「呼吸=生の証」を伝える。この「石」を、神戸港から出身地の上海に向かうフェリーに載せて「旅」をさせた映像では、石を不安定に揺動させるのは、個人の肉体ではなく、国境を超える船すなわち「移民」という社会的様態だ。そして、秤の上に置いた食器を箸やスプーンでつなぎ、円環状に配置した《あなたと私の間にある重さ─京都》では、「重さ」とは何を指すのか(身体?記憶や精神?)、それは計測可能なのか、他者と交換可能なのかと問いかける。さらに、「食器」が危うい均衡を保って円環状につながる様は、気候変動や軍事侵攻がもたらす食料危機も想起させ、「本当に平等に分配されているのか?」という問いをも喚起する。



左:シュウゾウ・アヅチ・ガリバー《重量(人間ボール)》(1979)、京都精華大学蔵
右:潘逸舟《呼吸_蘇州号》(2013)




潘逸舟《あなたと私の間にある重さ―京都》(2022)


「芸術大学の学内ギャラリー」というと、学生や卒業生、教職員の展示という「学内向け」の役割をイメージしがちだ。だが、質の高いコレクションをもっていること、そしてそれを指針として、若い世代の作家の作品と対話的な関係を構築していく姿勢を示していた本展は、「学内コレクションの活用」という点でも示唆的だった。

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