artscapeレビュー

早川千絵『PLAN 75』

2022年07月15日号

筆者は6月に『誰ための排除アート? 不寛容と自己責任論』(岩波ブックレット)を上梓したが、仕切りをつけた排除ベンチを検討するシーンが登場すると聞いて、早川千絵監督の映画『PLAN 75』を鑑賞した。相模原障害者施設殺傷事件を想起させる冒頭の場面を経て、75歳以上の高齢者に対し、お国のための死を志願することができる制度=「プラン75」を採用した日本という映画の世界観が説明される。特殊効果を用いたSFでもファンタジーでもない。そのまま現在と同じ風景が描かれる。それが、この映画の真に恐ろしい部分だろう。すなわち、生産性がない人間は排除しても構わないという日本を覆う空気と、『PLAN75』の映画が地続きであることが端的に示される。そして市役所では「プラン75」の申請窓口を担当する行政マンが、公園のベンチで寝られないよう、業者と仕切りを検討する短い場面も、効果的に挿入されていた。最初からプロダクトとしてつくられたものではなく、いわゆる後付けタイプの排除ベンチである。躊躇することなく、どの仕切りが良いですかねと会話するのだが、その無邪気さこそがリアルだった。

『PLAN 75』が秀逸なのは、複数の視点から、この制度をとりいれた日本を描いていることだ。限られた登場人物は、以下の通り。突如解雇され、住居も失いそうになり、「プラン75」という選択を考えるようになった一人暮らしの78歳のミチ、市役所につとめるが、やがて制度に疑問を抱くヒロム、死を選んだ年寄りをサポートするコールセンターのスタッフ瑶子、そして娘の手術費用を稼ぐため、介護職から「プラン75」関連施設における遺品整理の仕事に転職したフィリピン人のマリア。弱い人たちばかりである。逆に一体どんな政治が、少子高齢化による財政難の解決策として「プラン75」の制度を導入したのかは、まったく描かれない。権力者の不在を批判する向きもあるだろうが、日本国民の大勢がなんとなくそれで構わないと思うからこそ、こうなってしまうのではないか。本来、こんな社会をつくらないために、政治は重要なのだ。『PLAN75』における姥捨山的な設定は、社会に不要な人間の切り捨てを機械的にこなす現代の似姿にほかならない。

公式サイト:https://happinet-phantom.com/plan75/

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