artscapeレビュー

リボーンアート・フェスティバル 利他と流動性(後期) 

2022年11月01日号

会期:2022/08/20~2022/10/02

石巻市街地(石巻中心市街地、復興祈念公園周辺、渡波)、牡鹿半島(桃浦・荻浜、鮎川)[宮城県]

東日本大震災で大きな被害を受けた石巻の市街地と牡鹿半島を舞台に繰り広げられる芸術祭。3回目となる今回は新型コロナの影響により、昨年と今年の2期に分けての開催となった。ぼくは初めて訪れるので、過去作品も含めて見て回った。

まず市街地では、空き家になった建物を使うインスタレーションが多かった。これは過疎地かつ被災地なので予想できたこと。ていうか、空き家が増えたからそこをアートで充填したいという発想が、地方で芸術祭を生み出す原動力になっているのだろう。旧銭湯を会場にした笹岡由梨子の映像インスタレーション、旧サウナに作品を点在させたプロダクション・ゾミアのキュレーションによるアジア作家6人の作品、民家の納屋を活用した梅田哲也のインスタレーションなど、作品ともども場所そのものにも興味が向かう。

なかでも熱量を感じたのが、小説家の朝吹真理子とアーティストの弓指寛治によるコラボレーションだ。魚屋兼住居だった2階建ての大きな建物内を、住人へのインタビューをまとめた文章と勢いのある絵で埋め尽くしている。当然、文章は朝吹、絵は弓指の役割分担だと思ったら、制作しているうちに次第に互いの仕事が浸透し合い、朝吹の絵や弓指の文章も混じっているそうだ。出口近くでは魚(の絵)の叩き売りまでやっていて、場所ともども楽しめる展示だった。



朝吹真理子+弓指寛治「スウィミング・タウン」[筆者撮影]


日和山公園の旧レストランを会場にした雨宮庸介の《石巻13分》(2021)は、高台に位置するロケーションを最大限に生かしている。建物はガラス窓に覆われ展望がよさそうだが、ブラインドが下されているので薄暗く、背後にはテーブルや椅子などレストランの備品が積み上げられている。床に電光掲示板、柱に映像が流され、ベルリンで手のひらに「石巻」というタトゥーを彫ったこと、高速道路で事故ったことなど、「リボーン」に参加するまでの作者の日常が淡々と語られる。話が終わりに近づいたころ、ブラインドが徐々に開けられ、津波に襲われた南浜地区と向こうに広がる海が目に入ってくる。おおこれは感動的。作者はこの場所を訪れてまずエンディングを思いつき、逆算してストーリーを組み立てたのではないか。

南浜の津波復興祈念公園では、目[mé]がいい仕事をしている。予約した時間に行くと、トラックを改造したバスに乗せられる。内部は旅館の客室仕立てで、両サイドが全面窓になっているので、ソファに座って外の景色を見ることができる。参加者が着席したら出発し、復興祈念公園内を一周巡るという「作品」だ。被災地を観光する「ダークツーリズム」というのがあるが、ここは甚大な被害を受けたとはいえ現在その面影はほとんどなく、巨大な堤防や津波伝承館が見られるくらい。ダークを明るくポップにしたようなツーリズムだ。これを不謹慎と感じる人もいるかもしれないが、それが許されるほど復興したという証でもあるだろう。



目[mé]《repetition window 2022》 バス車内。窓から巨大堤防が見える[筆者撮影]


復興祈念公園のはずれ、北上川河口に架かる日和大橋のたもとに作品を設置したのがSIDE CORE。工事現場のような四角い囲いをつくり、内部に人やハンマーや給水塔のようなかたちのスピーカーを置き、さまざまな場所から集めてきた電車や雑踏などの音を流している。津波でぽっかり空白になった更地にストリートを移植する試みか。

市街地から離れると、牡鹿半島の根元にあたる渡波地区では、旧水産加工場に置かれた小谷元彦の彫刻《サーフ・エンジェル(仮設のモニュメント2)》(2022)が圧巻。背に羽をつけ、両手を横に広げてサーフボードに乗る水着姿の巨大な少女像だ。羽はサモトラケのニケからの引用で、頭部には幾何学形のネオンが被せられている。そのポーズから船首像、さらに映画『タイタニック』のワンシーンも連想され、古代芸術と現代風俗をシャッフルしたものになっている。



小谷元彦《サーフ・エンジェル(仮設のモニュメント2)》[筆者撮影]


白い樹脂製の巨大彫刻といえば、もう少し先の荻浜にある名和晃平の《White Deer(Oshika)》(2017)も圧倒的。モチーフは神の使いといわれる鹿で、金華山に多く生息し、牡鹿半島の名の由来にもなった動物だ。この作品は初回に制作・設置され、「リボーン」のシンボル的存在としてしばしば目にしていたが、実際に見ると想像以上にでかい。でもそのわりに表面が白くて波打っているせいか、実在感に乏しく、白昼夢のような印象だ。なにしろ神獣だからね。

その彫刻の近くの洞窟を作品化したのが伊勢谷友介の《参拝》(2022)だ。穴の奥に丸い鏡を置き、手前に据えた台から双眼鏡で覗けるようにしている。洞窟に鏡というと、天の岩戸に引きこもった天照大神を誘い出すため、岩戸の隙間から鏡を入れて開けさせたという日本神話を思い出す。これにヒントを得て、洞窟の内(神)と外(人)の立場を逆転させて人間の傲慢さを表わそうとしたのかもしれない。

さらに牡鹿半島の突端、金華山の対岸まで行く。ここでは島袋道浩が、金華山の見える海岸までの道を整備している。題して《白い道》(2019)。階段や柵を整え、植栽を切りそろえ、道に白い小石を敷くだけ。なにか作品を置くわけでも風景を変えるわけでもないが、場所の意味や見え方を変えてしまう。これに近い感覚を以前どこかで味わったことがあるなと思ったら、若林奮の《緑の森の一角獣座》だった。若林はゴミ処分場の建設反対のため、予定地だった日の出町の森に道や階段をつけ、下生えを払って整備した。作品を置くだけだと撤去されたらおしまいだから、土地全体にさりげなく手を加えて作品化することで森を守ろうとしたのだ。目的は違うけど、島袋も最小限の手を加えることで、霊場として知られる金華山への細道を「神道」に変えてしまった。作為がミエミエの大仰な作品も嫌いではないが、こうした労力を費しながらさりげなくたたずむ作品にも心を動かされる。



島袋道浩《白い道」[筆者撮影》


(鑑賞日:2022年9月28〜30日)

公式サイト:https://www.reborn-art-fes.jp

2022/09/28(水)(村田真)

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