artscapeレビュー
2022年11月01日号のレビュー/プレビュー
コペンハーゲンの郊外ツアー
[デンマーク、コペンハーゲン]
コペンハーゲン北部のヴィラム・ウィンドウ・コレクションを起点にいくつかの近現代建築をまわった。2つの教会が近郊にある。まずヴィラムの施設内にその写真も飾られているのだが、シドニー・オペラハウスで知られるヨーン・ウッツォンの《バウスヴェア教会》(1976)だ。外観は箱型のヴォリュームを組み合わせるだけで、そっけないが、内部に入ると、一転して柔らかい空間に包まれ、トップライトからの光の入り方も魅力的である。いわばツンデレ建築だ。建築史・批評家のケネス・フランプトンは、この教会を批判的地域主義の事例として紹介し、高く評価していたが、そうした文脈を踏まえなくても、惚れ惚れとする名建築である。
ここからもう少し足をのばし、イェンセン・クリントによる《グルントヴィークス教会》(1921-1940)を訪問した。看板建築的にファサードを本体よりも過剰に大きく見せる、表現主義というべきか。なお、室内は基本的にゴシック様式だが、装飾的な細部は省かれている。特筆すべきは、これが単体として存在せず、まわりの住宅開発も一体的になされ、統一感のある街並みの景観を生みだしていたことだろう。
またヴィラムからミニバスのツアーを企画していただき、デンマークを代表するアルネ・ヤコブセンの良好な状態で保存されている建築群(1930年代のガソリンスタンド、映画館、集合住宅)、VELUXの本社、《ルイジアナ近代美術館》めぐりを行なった。本社では、ルーフ・ウィンドウならではの傾けた展示もカッコいいが、地球規模の環境の視点で考え抜かれた植栽のランドスケープがまわりに展開していたことに感心させられた。またオラファー・エリアソンの日時計的な作品も設置している。
そして1958年に設立された《ルイジアナ近代美術館》が、想像していた以上に素晴らしい。増築を重ねたことにより、通常では導かれない複雑な平面であることは理解していたが、地形や自然の環境と呼応し、起伏がある断面の構成も秀逸だった。あちこちの展示室から庭を自由に出入りできる体験は気持ちいいが、果たして日本の美術館では可能だろうか。同館は建築の企画展もシリーズ化し、ちょうどフォレンジック・アーキテクチャーの大きな個展を開催中していた。彼らは戦争、空爆、拷問、殺人、事故など、非人道的な暴力が発生した空間を精密に調査する組織である。すでにヴェネツィア、ソウル、恵比寿などで見た作品を含んでいたが、やはり新作としてロシアによるウクライナ攻撃も含み、精力的に活動を継続している。
Witnesses
会期:2022年5月22日(日)〜2023年10月23日(月)
会場:ルイジアナ近代美術館(Gl. Strandvej 13, Humlebæk)
2022/09/16(金)(五十嵐太郎)
クリスチャニアとチボリ公園
[デンマーク、コペンハーゲン]
コペンハーゲンは2つの興味深いエリアをもつ。ひとつはヒッピー文化が生みだした自治区、クリスチャニアと駅前のチボリ公園である。前者の知識はあったが、国立歴史博物館を訪れると、現代セクションの展示室において紹介されており、その運動体が立派な歴史の1ページとして評価されているだけでなく、いまも現存しているを初めて知って驚いた。クリスチャニアは1971年につくられ、議論を巻き起こしながらも、公式に存在が認められるようになり、明らかに観光地化もしている。自治区は34ヘクタール以上の面積をもち、飲食店、ホール、展示場、マーケット、チャイルド・ケアセンター、デイケアセンターなど各種の施設を備え、千人近い居住者がいるという。外で生活費を稼ぎ、週末をここで過ごす人も多いらしい。有名なゲートをくぐると、壁画や落書きだらけであり、セルフビルド的な風景が展開する。まさに自由と祝祭の小さな街だ。整然としたコペンハーゲンの都市において、こうした非日常的な空間は強烈な印象を与える。もっとも、どことなくありし日の駒場寮を思いだし(学部時代に筆者が暮らしていた)、懐かしい気持ちにもなった。
チボリ公園は夜に訪れた。19世紀に設立された歴史あるテーマパークゆえに、東洋やイスラムなど、オリエンタリズム的なデザインが目立つ。すべての建築の輪郭には電飾がつき、おそらく夜の方が見栄えは良いだろう。日本なら駅前の一等地ゆえに、すぐに再開発すると思われるが、いまだに人気が衰えず、見事に持続している。実際、バブル期にここをモデルとして登場した倉敷チボリ公園は、すぐに閉園となり、跡地にアウトレットパークがオープンした。チボリ公園は、新しい施設や意外に高速で動くライドのアトラクションも導入しているが、基本的にはレトロ感が漂うテーマパークである。が、園内を歩くと、手動のアナログなゲームなどが、一周まわって、かえって新鮮だった。また夜10時からはバンドによる屋外ライブを開始し、にぎやかなフェス感も加わる。ところで、公園の名前は、ローマの近郊にあるチボリ(Tivoli)と同じ綴りなのだが、やはりこれが名前の由来のようだ。デンマーク人にはイタリアへの憧れがあり、リゾート地でもリドなどの名称が見受けられたが、なるほどチボリにはヴィラ・アドリアーナが存在する。これはハドリアヌス皇帝が建設させた、ローマ帝国の各地の風景を再現した、いわゆるテーマパークだった。
2022/09/17(土)(五十嵐太郎)
ポーラ美術館開館20周年記念展 ピカソ 青の時代を超えて
会期:2022/09/17~2023/01/15
ポーラ美術館[神奈川県]
ピカソほど多作な画家もいない。油絵と素描だけで1万3500点、そこに版画、挿絵、彫刻、陶器なども加えれば15万点にもなるらしいから、100点を集めた「ピカソ展」が1500も成立することになる。だからいまどき単なる「ピカソ展」をやっても見向きもされないだろう。なにがいいたいかというと、今回の「ピカソ展」はただピカソ作品を集めたのではなく、テーマ性を重視しているということだ。それがサブタイトルの「青の時代を超えて」だ。
同展はポーラ美術館とひろしま美術館の主催で開かれるもの。なぜこの2館かといえば、ポーラは青の時代の《海辺の母子像》(1902)をはじめ27点、ひろしまは同じく青の時代の《酒場の二人の女》(1902)はじめ9点のピカソを所有するからだ。周知のようにピカソは多作なだけでなく、時代ごとに表現スタイルをコロコロと変えたことでも知られているが、その始まりが青の時代。だから青の時代を起点として、そこから長い画業をたどってみようというのが展覧会の狙いだ。ただ時代ごとにスタイルを変えたといっても、何年から何年まではキュビスム様式で、何年から何年までが新古典様式みたいにスタイルが交代していったわけではなく、青の時代に新古典主義時代を特徴づける母子像や海の背景を先取りしたり(たとえば《海辺の母子像》)、逆に、新古典主義時代にキュビスム風の静物画が再臨したり(たとえば《新聞とグラスとタバコの箱》[1921])、スタイルやモチーフがしばしば時代を超えて飛び火しているのがわかる。
もっとおもしろいのは、青の時代には画家が貧乏だったこともあって、いちど描いたキャンバスの上から別の絵を上描きしていたこと、そして近年の科学調査によって、下に描かれた絵がどんな絵柄であったかが明らかになってきたことだ。その代表例が先述の2点で、《海辺の母子像》の下層からは酒場で飲む女性が現われ、《酒場の二人の女》の下層から母子像が見つかったのだ。つまりこの2点は互い違いにモチーフを隠し持っていたということになる。この発見こそ両館が「ピカソ展」を共同企画することになった理由だろう。ちなみに、出品作品81点のうち36点がこの2館のコレクション、23点がそれ以外の国内の美術館の所蔵作品なので、7割強が日本にあることになる。そんなにピカソを持っていたのか。でもピカソ全作品から見れば0.04パーセントにすぎないけどね。
公式サイト:https://www.polamuseum.or.jp/exhibition/20220917c01/
2022/09/17(土)(村田真)
コペンハーゲンの南北
[デンマーク、コペンハーゲン]
コペンハーゲンの北部は落ち着いた住宅街やリゾート的なベルビュー地区が印象に残ったが、港や運河沿い、そして南部では現代建築が目立つ。実業家のコレクションを公開している《オードロップゴー美術館》は、北部の緑豊かな住宅街の奥に位置し、電車とバスを乗り継いで訪れた。もとの古い私邸に対し、2005年にザハ・ハディドによる新館を増築しているが、彼女のデザインを考えると、かなり控え目である。この空間では企画展を開催しており、ちょうどデンマークの近代絵画を牽引したヴィルヘルム・ルンストロームの生涯を紹介していた。さらに2021年にはスノヘッタによる地下レベルの増築もなされたが、採光のための屋根の部分は地上において現代彫刻のように見える。
美術館の背後には、デザイナーの《フィン・ユール邸》(1942)も存在し、週末に内部も見学可能だ。センスのかたまりのような美しいインテリアの空間であり、ルンストロームとも交友関係をもち、かつて室内に彼の作品も展示されていたことが示されている。
一方、都心からメトロのM1で南下すると、途中から高架に変わり、線路の両側に奇抜かつ巨大な現代建築が並ぶ。例えば、デンマークの放送会社(2009)、《ノルデア銀行本社ビル》(2017)、V字形の立面をもつ《ACホテル・ベラ・スカイ》(2011)、ランボル本社(2010)、高さ85mの《コペンハーゲン ・タワーズ》(2009)などの企業ビル、BIGが設計した《VMマウンテン》 (2008)、《VMハウス》(2005)、《8ハウス》(2010)などの集合住宅、そして《ロイヤル・アリーナ》(2016)、学校や図書館などの公共建築である。BIGによる驚くべき造形の建築が単発で終わらず、仕事が続いているということは、住民に受け入れられ、分譲が成功しているのだろう。ともあれ、都心と違い、古建築が一切存在せず、歴史的な文脈に配慮しなくてもよいということで、アイコン建築的なデザインも少なくない。言い方を変えると、建築の実験場になっている。特に1990年代から開発が始まったオーステッドや、現在進行形で工事が続く《ベラ・センター》のエリアは、そうした傾向が強い。もうひとつのコペンハーゲンの新しい顔だろう。
VILHELM LUNDSTRØM. RETHINKING COLOUR AND SHAPE
会期:2022年9月16日(金)~2023年1月15日(日)
会場:Ordrupgaard(Vilvordevej 110, 2920 Charlottenlund, Copenhagen)
2022/09/18(日)(五十嵐太郎)
学年誌100年と玉井力三 ─描かれた昭和の子ども─
会期:2022/09/16~2022/11/15
日比谷図書文化館 [東京都]
子供のころ親しんだ『小学一年生』などの学年別の雑誌を「学年誌」と呼ぶ。その黄金期ともいうべき昭和30-40年代の表紙を飾ったのが、画家・玉井力三の描いた少年少女たちだ。同展は小学館が学年誌創刊100年を記念して、玉井の原画を中心に表紙画の変遷をたどるもの。ぼくもこの世代に属するので、昔好きだった娘に久しぶりに会うような気分で見に行った。
学年誌は『幼稚園』から『小学六年生』まであるが、玉井が担当したのは主に一~三年生。同展ではそれを学年順でも制作年代順でもなく、新学期が始まる4月から5月、6月と月ごとにまとめて展示している。こうすれば入学式とか運動会とかクリスマスといった年中行事がわかり、季節感や時代の変化も比較しやすい。原画はキャンバスに油彩で描かれ、画面上のタイトル部分が空白になっている。制作手順は、東京のスタジオで玉井の立ち会いの下にモデルを撮影し、その写真をもとに新潟の自宅で制作。完成したら東京に持参して、次号の撮影に立ち会うというサイクルだったという。作画も受け渡しも完全アナログだった。
描かれる少年少女たちは一様に笑顔で明るくかわいい。子供心にもなんてかわいい女の子だろう、なんでこんなにうまく描けるんだろうと感心したのを覚えている。が、いまこうして数百枚も並べてみると、ふと不気味にも感じてくる。それは「明るい未来」を描いた中国や北朝鮮のプロパガンダ絵画とどこか通じるものがあるからかもしれない。もちろん子供のころはそんなこと考えもしなかったが。
玉井は1908年、新潟県生まれ。美術学校には行かず中村不折に師事し、戦前は戦争画を手がけたこともある。同展には洋画家としての作品も出ているが、小磯良平ばりの卓越した描写力を持ち、表紙絵に時間を割かれなければ具象画家としてそれなりに名を成しただろう。雑誌の表紙の仕事が来るようになるのは戦後のこと。1954年から小学館の学年誌の表紙絵を始め、最盛期には『幼稚園』や『めばえ』も担当し、さらにライバルである講談社の学年誌の表紙まで引き受けたというから呆れる。表紙絵の仕事は約20年続いたので、総数は軽く千点を越すに違いない。
展示の最後に、小学館が学年誌を創刊してから100年間の表紙コピーがズラーっと並んでいるので、時代の移り変わりがよくわかる。大正時代の素朴な童画調に始まり、戦中・戦後はさすがに表紙絵もお粗末になるが、玉井が手がけた1950年代後半から70年代前半までは明るくカラフルで、部数も伸びたという。ちょうど高度経済成長と軌を一にしていたのだ。玉井が最後の表紙絵を描いたのは1974年で、その翌年から表紙は写真になり、80年代からドラえもんなどのキャラクターが侵出。90年代には文字情報が増え、最近は以前のような定型的な表現が崩れ、混沌とした様相を呈している。てか、まだ学年誌って出ていたの?
公式サイト:https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/information/20220916-hibiyaexhibition_gakunenshi/
2022/09/23(金・祝)(村田真)